私はここにいるよ
私はグループLINEが苦手だった。
仕事柄、1日でLINEを見る機会も少ない。だから、未読メッセージがびっくりするくらい大きい数字になっている時もあるけど、私が気づいた時にはその話題も終わっていることが多い。別に私のリアクションなんて必ずしも求められていないから、と思うと私は既読スルーでいいと思うけど、何か私の周りだけ早送りして流れている気がして、私はその流れに置いていかれている気になる。
この感じは何なんだろう?
同じように、ひとりポツンとした感じは以前にもあった。
大学3年から始まった就職活動の時だ。
それまで、大学のゼミやアルバイト先、専門学校の友人との交流はあったが、とても限られたコミュニティで過ごした。お互いによく理解しあえた仲間ばかり。その小さなコミュニティから、社会に出る就職活動で、まさにこれから出て行こうとする「社会」が大海原のように感じたときが、まさにそうだった。
当時は就職難で、希望していた航空会社の採用試験も少なく、国内大手の会社は新卒の採用を見送っていた時期だった。必死に外資系の航空会社の採用試験にアタックした。ただ、履歴書の自分PRも、これといって大きな数字で見せられる業績もない、大学で必死に打ち込んだ研究もない、ボランティア活動もしたことはない。何の武器も持たなかった私は、そんな薄っぺらなままで企業が私を必要とするはずがないと思った。他の受験生全員がすごく美人で立派に見えて、試験管の視線も怖かった。いつも自分の小ささや無力さを感じていた。不採用通知をもらう度に、これまで何の実績や活動もしてこなかった自分を情けないと思っていた。その度に、社会に「不要な人」として自分が押しつぶされてしまう気がしていた。この状況がいつまで続くのか、先の見えない不安でいっぱいだった。
それを繰り返していくと、押しつぶされていくことから自分を守るように、私はその流れから離れることが増えてきた。その時、私の周りは早送りで進んでいて、ひとりポツンとその流れていく社会を立ち止まって見ていた。
それでも、周りは私が社会に出ることを当たり前のように思っている。その当たり前にならなくては、と必死に自分を採用してくれる会社を探した。
やっとの思いで決めた会社は地元の新規航空会社だった。
ずっと憧れていたCAになれた。同期も魅力的な人ばかり。そのうちそれまで感じていた虚無感はどこかに消えていた。
そしてまたひとりポツンとしたあの違和感を感じたのが、グループLINE。
何か取り残されたような感覚
何か置いてきぼりのような感覚
そして気づいた、「私がここにいる」と気づいてもらいたい気持ち。
私は、社会に会社に必要な人だと思ってもらいたかった。
あの時は違和感に向き合う時間も心の余裕もなかったけれど、今ならわかる私の想い。
それに気づくと、あの時、流れから離れてその早送りの様子を見ている私は、「ここにいるよ」と小さく手を挙げていた。
今日も最後まで読んでいただき、ありがとうございました。