どんなに辛くても「自分で決める」と決めた
2022年5月 母が亡くなった。急性大動脈解離だった。
仕事が始まったばかりの時間に、珍しく父からの着信。それから病院で母の命を看取るまでの約4時間、ひたすら「お母さん」と何度もなんども呼び続けた。
母は本当に優しく、手先が器用で、控えめな女性だった。
必死に私たち3人兄妹を育てながらも仕事に生きがいを持って生きていた。
仕事をリタイヤしてからは、父と一緒に外出や家庭菜園をしながら、孫たちと過ごす時間も大切に過ごしていた母。
そんな母をコンプレックスに思っていた時代が私にはあった。
ひどく心配性で気も弱い、自分の意見を外に伝えられない母、そんな女性にはなりたくないと思っていた。
そんな母に育てられ、私もそれなりに成長し、周りの空気も読めるようになった。「これがいいよ」と周りから勧められる選択肢を選ぶことで、両親や家族が喜ぶのが嬉しくなっていたし、それが大切だと思うようになっていた。ちょっとした違和感を自分に感じても、周りの期待と自分の気持ちに違いがあっても、私が我慢することで周りの「いい」と思う選択肢を選んできた。
長い就職活動から解放されて、地元で念願のCAになれたのに乗務1年でまさかの異動。本当はCAを続けたい、他社の就職試験をもう一度受けたいと思いながらも、当時付き合っていた彼との結婚やそれまではそばにいて欲しいと願う両親の期待もあり、異動を受け入れた。仕事でようやくやりがいと感じ始めたばかりでの結婚・出産も、今まで通りに働けないもどかしさに、「女性が働きながら結婚・出産・子育てをするってこういうこと」だと自分に言い聞かせながらその環境を受け入れた。
でもその我慢が選べなくなったのが、結婚3年目。
これくらいのことで悩むなんて、といつものように自分の気持ちを誤魔化そうと思っていたけれど、どうしても耐えられなくなって、涙が止まらなくなった。自分の足で立っている感覚も無くなった。
そして溢れ出た「辛い」「苦しい」思い。
ただ、「辛い」「苦しい」を外に出せたことで、小さい光が照らす道があった。
もちろん、その小さい光が差す道を選ぶと伝えるには相当な勇気が私には必要だった。その選択で踏まなければいけない過程が、特に世間体を気にする母にとって、とても受け入れ難いものであることが明らかだった。とにかく反対された、説得された。両親の「耐えてほしい」という気持ちが痛いほど刺さった。
それでも私に光を見せ続けてくれたのは、それまで10年近く続けていたフラメンコ。
フラメンコは振りを真似をするだけでは人の心を動かす踊りにはならない。
表現する身体を作って、自分の本当の気持ちを感じながら、それにどう向き合うか、そしてそれを表現した時に初めて、見ている人はハッとしたり、息をするのも忘れるくらい心を奪われる。フラメンコはそこに表現者の本当の気持ちと、強い意思があるから人々を魅了する。
そして気づいた、
それは人生と同じだって。
その強さを体感できたから、私はどんなに辛くても私は自分で道を選ぶ。
正解かどうかなんて、決めるのは自分。
正解にできるのは自分の行動だけ。
誰かが「いい」と言ったものではない。
自分が「いい」と思った選択をする。
そう決めた。
今私が進んでいる道は、母が「いい」と思った道ではないかもしれない。
でも、私は「大丈夫、心配しなくていいよ」と母に伝えたい。
母に「そっちの道でよかったね」って思ってもらえる世界を見せたい。
私は、私の中から湧き出る気持ちで、意思を踊りで表現する。
私は、私の中から湧き上がる気持ちで、意思で生きていく。
Yo soy flamenca.
その強さを、大切な人を心から大切にしたいと葛藤している人に伝えられたらいいなと思う。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
これから、よろしくお願いします。