君が置いてった言葉だけ ポケットの中で握りしめた
手のひらになじんだ感触を 忘れたくないから
ゴールデンウィーク前半戦が終わろうとしている。
この3連休は、久しぶりか初めてくらいにまともに「ゴールデンウィーク」をエンジョイした。
思い出せる限り、ゴールデンウィークなんてのはいつも部活かバイトか仕事で塗りつぶされていたので、自分がゴールデンウィークの「消費者」として楽しむのは本当に思い出せないくらい久しぶりのことだった。
以前の記事にも書いたように、学生時代の同期二人が遊びに来てくれた。
なのでこの3日間ばかりは観光客に擬態し、普段行かないような場所にまともな恰好をして出向き、普段並ばないような店に1時間並び、普段食べないような料理に舌鼓を打った。
観光客らしく、綺麗な風景の前では写真を撮ったりなんかもして。
そうやって過ごしていたら、あっという間に時間は過ぎ去った。
楽しいイベントの3分の1が、終わってしまった。
「cobalt」お披露目
予てより、ちらちらと話に出していた創作漫画「cobalt」を、いよいよ同期たちに読んでもらった。
2人のうち一人は、「執筆者の前で作品を読むとか無理!!」などと言うため、無理強いはしないことにした。が、表紙裏のあらすじだけ読んで「職業特性がよく表れている」といったことを伝えてくれた。
「cobalt」は職業人としての自分も表現したい、この職業だからこそ描けるものを描きたいと思って描いていたものなので、それは素直に嬉しかった。
もう一人の同期は、きちんとVol.1(1話~10話)を最後まで読んでくれた。
「よく作り込まれている。全員に訳ありなバックグラウンドがあって、モブがいない。真面目な人が作ったんだなあという感じ」というようなことを伝えてくれた。
「真面目な人」…。
この「真面目」という言葉にいささかの引っ掛かりを覚えた。
実は、「cobalt」のキャラ作りをする時、「職業人としての本気を見せよう」と自分なりに設定をこだわって詰めた。
後から本編を描くことになり、いざ描いてみると、そこまで詰めなくてもよかったことに気が付いた。
というか、描いているうちに「設定」などというものは作者が勝手にキャラクターに対して抱く「印象」や「考察」、つまりはアセスメントにすぎないのではないかとさえ思うようになった。
「真面目」に事前アセスメントしすぎた結果、少なからず自分の首を絞めることになってしまっている。
もう少し色々な可能性を考えて「余白」を持たせた方がよかった。
それに気が付いていたからこそ、今回この「真面目」という言葉に引っ掛かったのかもしれない。
「真面目」なのは、悪いことではないが、いいことでもないのだ。
少なくともこの場合においては。
ちなみにこの同期二人とも、ありがたいことに本が欲しいと言ってくれた。
なので今度のイベントで出す新刊、Vol.1、7~8月頃出す予定のVol.2の計3冊をまとめて送ってやることにした。
俺たちに裏切りはなしだ。
夢の跡で
昔、一人暮らしをしていた学生時代の後輩が、「家に友達を呼ぶのはいいけど、帰った後が寂しいから結局呼びたくない」とごちていたことを思い出す。
同期二人を見送った後、一人の家に帰ると、つわものどもが夢の跡と言わんばかりに二人がいた形跡が残っていた。
二組たたまれた布団、2枚出された座布団、スマホの充電に使うようにと出した延長コード。
それらを片付けながら、自分は不思議と寂しさは感じなかった。
むしろ、2日ぶりの一人の時間と、部屋に残る他者の余韻の間で、せっせと片づけに追われる時間というのは、結構趣深いものだと思う。
自分が片づけることで少しずつ原状復帰していく部屋。時間の流れと共に薄れていく他者の匂い、気配。
そして滲むようにして戻ってくるいつもの日常。
それらは名残惜しくも愛おしく、思い出を噛みしめる時間を与えてくれる。
明日から3日間は、また仕事だ。
どうあがいても日常には戻らなくてはならない。
それでも、彼等と共に見上げた星空、歩いた夜道、耳を傾けた潮騒の音は、まぎれもない過去の事実であり、噛みしめ続ける限りはなくなることはない。
友達と別れた後の寂しい時間もまた、友達との思い出の一部なのだ。
というわけでゴールデンウィーク第一部、完。
後半戦では、今度は高校時代の友達が来てくれる。
人生でこんなに大型連休が充実していたことは、なかったかもしれない。
それにcobaltの18話も描かなきゃ。忙しい~