どうせ、この曲も売れません。

褒められることもなく叩かれることもなく明日には忘れられます。


今日の引用元。↓

仕事終わりにたまたま寄ったドラッグストアで、たまたま流れていた曲。
タイトルと冒頭の歌詞が流れて、瞬間的に「私は忘れない」と反発して、家に帰って歌詞を頼りにYouTubeで検索して見つけた。

中学生?が作った歌らしい。
確かにあまりにも歌詞が直球すぎる。一人称もぶれているし。
偉そうなことを言える身分ではないが、全くオブラートに包まない言葉たちは、まるで6畳の自分の部屋で訥々と呟いた泣き言にそのままメロディを付けたようで、

私は好きだと思った。

才能なんてないよ

そんなのとっくに気づいていた。

去年、関西コミティアに出展した。
フォロワー以外にも誰かしらが、きっと誰か一人くらいは、
私のスペースに立ち止まってくれるかもしれないと期待していた。

でも、現実はそうではなかった。
お品書きだけ見て、誰も彼も去っていった。
誰も気づかず、通り過ぎる。でも時計は回る。

誰か一人くらいは。
誰か一人くらいは立ち止まって、立ち読みだけでもしてくれないかな。
あわよくば、買ってくれないかな。
誰か一人くらいは。

そんな淡く甘い希望は、虚しく打ち砕かれた。

もうイベントなんて出たくない。
何の意味があるんだ。
そう思った。

でも、もし、この曲が売れて、

職場で、新年会のようなものがあった。
その際に「イラストが趣味だ」と話すイケメンと話す機会があった。
というか無理やり自分から話しかけた。
イラストの腕前がどんなものか知りたかったからだ。

「依頼をもらうこともあります」とイケメンは話した。
絵を見せてもらうと、とても上手だった。
イラストは何人かキャラクターがおり、これでいくらくらいですかと尋ねると、「3万とか…」とのこと。

3万円…。
中学生が作った歌の歌詞を思い出した。

「僕は、一食分だけでいいから音楽でご飯を食べたい。」

3万円もあったら、何食ご飯を食べられるんだろうか。
切なさのようなものが全身を駆け巡った。
人にもよるが、一人暮らしなら立派に半月〜1ヶ月分の食費が満たせるはずだ。

「この歌で一食だけでもご飯を食べたい」といういたいけでいっそ悲痛なほどまっすぐな願いと、
本業の片手間で描いたイラストで半月分の食費を稼ぐ。
その対比がグロテスクで、境遇も年齢も違えど同じ「芸術」で「お金」を稼ぎたい稼ごうという想いは同じなのに、なんていうか…、
何が言いたいんだ?

わかんない。
全部やめよう。
もう好きなことさえ嫌いになりそうだ。

消耗品でした。

私も音楽も全部ぜんぶ。

芸術で金をもらおうなんて無理だ。

以前働いていた職場に、日体大卒の同僚がいた。
その人が言うには、日体大のとある学部は東大よりも倍率が高いのだとか。
その人自身も勉強よりもフィジカルの鍛錬を徹底していたと言っており、一芸に秀でるとは何たるかを改めて感じた。

イベントも同じだ。
学生の時、学会発表をしたことがあった。
その時は、誰かしらが立ち止まってくれ、私の発表を最初から最後まで聞いてくれ、質問まで投げかけてくれて、最後には名刺交換もした。

でも創作イベントでは、フォロワー以外の誰一人としてそんな人はいなかった。
芸術で食っていく、芸術で誰かの心に問いかける、打ち勝つことの厳しさを思い知った。
だから、私は学術で食っていくしかないのだ、とも。

それでも私は、誰かの心に食い込むことを、
漫画の力で誰かの心に居座ることを、漫画の形で主張することを、諦められない。
お金の問題でなく、才能がどうとかの問題でなく。
イケメンからイラストで3万円稼ぐと言われた時のあの言語化できない悲しみを、いつか言語化できるまで覚えていようと思った。
いつかその悲しみが誰かの心に届くように。
それでもこの曲に曲名を、
誰か聞いてくれ、私の音楽を!

だから私はきっと懲りずに10月の関西コミティアに応募するのだ、きっと。

忘れられるさ。

忘れないで。


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