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日本と南アジアの狭間で生きている


こんにちは、ゆるーく書いていこうと思います。

題名何にしよっかなぁって思ったんですけどこれにしました。

noteは今のところどこにもリンク貼ったり連動してないのでしばらくは自分の頭の整理的な感じで書くことにします。

私は1995年生まれの24歳なんですが、

小さい頃から親の転勤で東日本中心に転々としてきました。

親戚はみんな西日本、九州・関西にいるので生まれは長崎だけど、その後すぐ埼玉→新潟→北海道→横浜(現在)です。小学校は3つ行きました。

横浜にはもう10年以上いるけど家は3つ目です。

それに加えてここ数年は南アジアを中心に、日本と行ったり来たりでした。

だから友達や知り合いが増えたけどほぼ外国人ばかりだし、日本にいても国際的な仕事を19歳の頃からやっていたせいか結構自分がマイノリティーな思考なのかな?(日本人としては)などと思うことが最近多くて悩んでいます。なんか知らなくていいことってあるよな、などと思ったり(笑)

なんか話がそれたんですが、なんかこう一箇所にずっと留まるみたいなことがすごく苦手みたいで、色々移動しながら行動しているのが自分には合ってるみたいです(これは人間関係も然りなのですが)

逆に言うと環境を変えたりする抵抗が人より薄いっぽいです。

地方からこっちに出てくる友達が「実家帰る」って言えるのすごく羨ましいなぁって思ってました。なんかホームが定まってるっていいよね。

私の家族も、私も、移動人間なのですごく新鮮に感じます。


で、題名とは話変わるんですけど私はここ2年くらい南アジア地域と絡むことが増えました。

きっかけは2018年のちょうど今頃、たまたま訪れたネパールという国が始まりです。

別にネパールに行きたくて行ったというよりも、

当時国際協力のファンドレイザーをやっていて、私はある団体から委託されてる企業で働いていたのですが、

その仕事で直属の団体の方とお仕事する機会があり、その方がたまたまネパール人だったことからネパールへいくことになったのです!

途上国の仕事をしていたにもかかわらず途上国に行ったことがないことが自分で嫌だったのと、

単純に以前から行きたいと思っていたタイミングが重なっていくことになりました。

期間は一ヶ月間、

その方が全てスケジュールなどを立ててくださり、ポカラという地域にある山の中の学校や、首都のカトマンズにある児童養護施設、

首都から何十キロも離れた、2年前に道ができてまだ開発途中にある村でボランティアをしました。

内容は子供向けのもので、授業を教えたり、ゴミを捨てることを教えたり、ホームステイをしながら色々な場所を転々としました。

日本じゃ当たり前の物もないけど、日本じゃ当たり前のことができない人々を目の前にして色々なことを思いました。

宗教や政治や文化の違い、言葉にすると簡単に見えるけど、どうやって彼らと関わればいいのかも結構迷いました。

翌年はインドで就職活動しました。その後ネパールに寄って日本に帰ってきました(詳しくはひとつ前の記事をどうぞ)

ここ数年で彼らと関わるにつれ、やっと最近南アジアの人間がどういう気質なのかがわかってきました。

と、同時に貧困層と教養がある層には雲泥の差があることや、

この国を良くしたいと国から出ないネパール人もいれば(彼らはインドで就業・進学することが多い)

ビザを取ることに身を粉にして海外で悠々自適な生活を望むネパール人もいれば(これが大多数でこの層は欧米、日本などに行く)

まぁ色々なネパール人がいることが分かる。そりゃ人だからそうなんだけど。

でもひとつ全員に共通してるのは、

みんないつも笑顔で幸せそうに見えるってこと。

これが私が数年彼らから学んだことだった。

日本には物も、人も何もかもが溢れていて、幸せだと意識しないと気づけないくらい様々な物がありすぎる。

私はその恩恵と、日本人という称号を持って生きている。

海外にいるときはなんだか全てができるような気がするし、自分もはつらつしているし、日本人ってだけで珍しがられて興味をもたれて(女性ならではのめんどくさいことも含むけど)、「生きてる感」みたいなのを感じやすいけれど、

日本にいると毎日が平坦に感じてしまうくらい全てが平和で平行線な幸福が続いている。

どっちもいいんだよなぁって最近思います。

どんな生き方も結構好きです個人的には。


私はどっちも半分くらい感じながら生きていくのがスマートかなって思ってます(テヘペロ)





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