「人生は大したものじゃない」と思える練習をしたかった
私は4年制大学を卒業後、就職活動をせずシンガポールへ飛びました。
Visaはワークホリデーパス、MAX滞在期間は6か月間。
英語を使いたい、尚且つ 自分の興味のある分野で職業経験を積みたい、という背景で、「Intern SG」というローカル若者層がメインターゲットとなるWebサイトからインターンシップに応募しました。
少額だけど報酬がもらえるし、カナダやオーストラリアといった留学大国のように、インターンにアプライするだけで参加費が発生する、ということもない。
よく「なぜシンガポール?」と人に聞かれるけれど、この「お金がかからず就業経験が詰める」というポイントが何よりも大きな決め手だった。私の目的を果たすのに、シンガポールは間違いなく最適な選択肢でした。
無駄なものにお金は使いたくなかったので、ある程度の英語力は日本で強化し、渡航2週間ほど前にスカイプ面接をパスし、ローカル小売企業に受け入れてもらいました。シンガポールでは、デジタルマーケティングインターンとして半年間、目一杯働きました。
流されやすい人間だっから、あえて流されない道を選んだ
こういう話をすると、ありがたいことに「周りに流されなくて、自分の道を進んでいてすごいね!」と褒めていただくことが多い。けれど私は、決して周りに流されない強さを持っている人間ではないんです。むしろ、流されやすいほうだと思う。自分の意思や本当にやりたいことに対して、ずっと目を背けながら生きていた。
多分、そうなってしまった背景には、過去の挫折から生まれた劣等感がある。小学生のころから選手として取り組んでいたスポーツで、兄弟や親戚は全国レベルで結果を出しているのに、自分はなかなか出せなかったんです。身内が結果を出しているのだから、私も当たり前のようにうまくいくものだと思っていた。けれど、そうじゃなかった。私はそこで、自分が「人より不器用で、成果を出すのに時間がかかる」人間だという感覚を初めて味わいました。多分、小学校高学年~中学生くらいの時期。
だから、自分が何かを始めることや、新しくチャレンジすることがすごく怖かったんですよね。何かを始めることで、出来の悪い自分があらわれ、そんな私に私自身が傷つくこと。
高校も大学も部活ではプレイヤーではなく「マネージャー」というポジションを選んだのは、自分がプレイヤーとして何かに取り組むことで、周囲と比べて劣等感を抱くことを恐れていたから。だったら無所属とか帰宅部とかで全然良かったと思うんだけど、当時の私は部活という枠組みに属することが当たり前になっている社会で、その枠から外れることさえも異様に恐れていた。そう、だから本当に、確固たる自分なんてどこにもいなかったんです。私は周囲の目や考えを異様に気にして、自分のポジションを他人軸で定めていた。
ただ繊細な自分のせいなのに皆から「すごい」と言われる、そのたびに恥ずかしさで死にたくなった
そんな中でも受験勉強を乗り越えたり、大学時代はゼミや卒論に奔走したり、多くはないけれど小さな成功体験も積み重ねていました。でも、私はずっとくすぶっていた。小さな成功体験だけでは拭いきれない心のもやもやがあり、そんな自分を打破するためには、何か一度くらい「突拍子もないこと」をしなければ無理だと思っていたんです、心の中でずっと。
それが私にとって、「就職活動をしない」「何の肩書もない状態で知らない国へ行く、そこで暮らす」ということでした。単純に自分にとって必要な経験だと、そう思わざるをえないから選んだ道でした。大学生当時からずっと、就活なんてしてやるもんか、という尖りはずっとあって、でも内心、本当にそれでいいのだろうか、と思い悩む日々も多かった。他人の意見に何度も左右され、やっぱり就活しようか、海外行くにもどこに行こうか、ワーホリがいいか大学院がいいか、等々、とにかく迷いながらもがきながら、今の活路を見出しました。
その決断に至ったのは、私自身が一番、私の「流されやすさ」を自覚していて、それをどこかのタイミングで、どうにかしてせき止める必要があると強く感じていたから。自分の責任で人生の進路を選び取るような、一度くらいはそういった「周りに流されずに生き抜く期間」を設けてみて、自分を試してみたかったから。
だから私は全然、自分がすごいことをしたとは思えないんです。というか、むしろ恥ずかしい。皆んなが当たり前のように持っている確固たる自分を、私はその時点で何も持っていなかったから。海外に行くとか、あえてレールから外れるとか、そういう破天荒なやり方をしないと本当の自分自身をあぶりだすことができないなんて、そんな私の非効率さと繊細さが、恥ずかしくてたまらなかった。
自分がどんなに遠回りしても、他人にとっては関係がないこと。
でも、べつに勇敢な決断をして海外に行ったって、通常のルートから外れた道を気まぐれに歩んでみたって、私自身は何も変わりませんでした。シンガポールに行ってローカルと働いて色んな人に出会って、人生劇的に変わりました!!とか、そんなのってマジでない。
わかったことは、私はどこへ行ってもただの私だということ。どんな環境に身を置いたって、狭い田舎や騒がしい都会から逃れてきたって、私自身からは一生逃げることはできないということ。思い出したくない過去の経験やトラウマも含めて、私自身が積み上げてきた自分は決して変わらないのです。そうやって自分に向きあわなければならない現実、それを受け止めなければならない事実を突きつけられ、それが地味にしんどかった。
でも、「だったらしょうがないか」と割り切れたことや「海外ってこんなもんか」「まあでも、割とよくやってるな、自分の人生悪くないな」と思えたことが、自分にとって大きかった。自己啓発本を書けるようなダイナミックな収穫は一ミリもないけれど、シンガポールにいた日々は忘れた頃にさりげなく、私の心を元気にさせてくれる。
そうはいっても根本的には軟弱意思人間なので、私は今でも油断すると、他人の意見にすぐ揺らいでしまう。日本企業でプロパー社員として働く今、大勢の人と関わりながら仕事を進めていくし、ある選択や決断を迫られる際、私はそんな自分のせいでひどく頭を悩ませるし、プロジェクトをスタックさせてしまうことも多々ある (日々反省)
そんなとき、昔の私だったらどうしていただろうか? やたらと人生を大げさに受け止めていた、あの頃の私。もう当時の自分を上手く想像するなんてできないけれど、それでも今は心のどこかに、「どうにかなるか」と思える気楽さがある。それはきっと、あの頃の私にはなかったものだ。
こんなの、他の人にとっては当たり前にできることなのかもしれない。わざわざ外国になんか行かなくたって、就活をしないというリスクを取らなくたって、「人生を大げさに受け取らない」力なんて、標準装備で搭載済みの取るに足らないスキルかもしれない。けれど、バカでかい感受性を携えて生まれてしまった私にとって、それは大げさな選択をしてまでも手に入れる必要があった。
非効率な人生かもしれない、変な人だと笑われるかもしれない、誰にも理解もされないかもしれない、でも、だけど、それがどうした。人生を歩む足取りは相変わらずおぼつかないし、今でもすぐに傷ついてしまう、けれど一呼吸をつけばいつだって、「大したことないか」と人生をあしらえる自分いる。今を適当に生き抜く自分がいることを、私は少し嬉しく思える。