音色、心音、こころね

久しぶりの更新だ。年末年始以来だろうか。

ほんとうに、いろんなことがあった。

軽く要約する。
一人暮らし生活開始一周年を目前にこれから持病になる病気を発症、生活の質を担保しようと突如実家に帰され、最近やっと長い文章を苦なく打てるようになった。まさかである。

アルバイトや授業などの活動から離れたため、長い余暇をいかに小遣いを節約しつつやりたい推し活にピンポイントでお金を使うかという命題が生まれた次第だ。

その前にきっちり療養しろともいうが、正直推しのイベントを目標にステップやリズムを組んでほかを休養に回すくらいが一番健康的なのも現実である。
推し活はメンタル保持に続けてくれって担当医も言っていたからヨシ。

そういうわけで次の目標は半月後。

メルパルク大阪で興行される、ミュージカル刀剣乱舞・東京心覚(とうきょうこころおぼえ)だ。

今日は最近あった「音」のトピックをまとめよう。

音色

フェアリーコードという作品がある。あえて媒体はここで述べない。

世界に満たされた「心から生まれる音の結界=フェアリーコード」をめぐる東京の人々と妖精のものがたり。

そこでは集団が形成する「音」の強固さが第一にあり、それを上回る「暴走した音」が場を狂わせ、主人公たちが自らの「音」で向き合って、乗りこなして、街の事件を解決する。

ここでの「音」はそのままひとつの「楽曲」という演出でありファンタジックな意味合いが強かったが、実際のところ空間に流れる現実の「音」もひとの心に強く干渉する。

たとえば街の雑踏、エンジン音、街頭広告。
たとえば相手の話し方、語感、歌声。

私はそれに嫌というほど意識を持っていかれる人間だ。

「東京心覚」の情報が最初にリリースされた正月ごろ、2部ライブの音楽プロデューサーとして刀ミュシリーズを通して新たにクレジットされたavexの油井氏を調べ、氏が扱う分野のひとつである「サウンドスケープ」という単語に行き着いた。

なんでも環境音などの聞こえ方をコントロールすることで聞き手の感覚に変化をもたらすのだとか。

そんなのめちゃくちゃ気になるじゃないか。もしかしたらリアルに音を「乗りこなす」技術のある人が参入するライブを見られるかもしれないのか。

そういうわけでチケットに応募した。

同じ先行で2枚当たった。

なら行くか、という流れである。

初日アーカイブという形で先に内容は知れたが音にこだわるなら一にも二にもまず現地だ。

今はうちわやペンライトをこさえて中止の報がないことを祈りながら日々を過ごしている。

心音

(私はしんおん、とも、こころね、とも読む。)

私は人と出会っても、その名前や見た目を正確に覚えられない。

表情や仕草から気持ちを察するのも正直苦手だ。

でも、話し方は濃く印象に残る。

その感覚で私は
「素直に話せる人」
「怖い人」
「不器用そうな人」
「信じるまで時間のかかる人」…
などとラベルを分ける傾向がある。

(さすがにまだ外国語話者の方と話しても判断はつかないが。)

話し声というのは面白いもので、話しているときのキャラがなんとなく伝わってくる。

棘のある話し方、わざと当たり障りなくした話し方、真にやわらかくした話し方…
と、言葉の字面にのらない気持ちの持ちようがたっぷり内包されている。

だから、心根ならぬ心音(こころね)、である。

「東京心覚」の彼らの音はとても優しかった。
畑の実りを待ち、しとしとと降る恵みの雨のような、そんな心地がした。

私のこころねはどう伝わっているだろうか。

やさしく素直なこころねを伝えられるような話し方でありたいと、私は思っている。

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