3日目〜オアシスってどこにあるの〜
自分は飲み会が嫌いだ。ノリとやらを読めないと置いてかれるし、黙ってたらそれはそれで、話す事を強制される。
でもって、結局話す内容なんてものは、過去の武勇伝がほとんど。どれだけ遊んだかを話すだけ話し、「お前も遊ばなきゃだよな」と言われる始末。
そもそも遊ぶってなんだよ。自分から言わせればプライベート活動以外に遊びなんてものはないんだよ。だから言ってしまえば、飲み会に行くという行為自体もプライベートよりもタスクに近い。
というと、「お前は分かってない」と一蹴される気がする。「人の聖域は荒らす割に自分の聖域を荒らされるのは嫌なのですね、、」
だなんて思ったりする。
居酒屋が人間関係のオアシスなのだとしたとしても、そこの水は自分からしたら、熱湯でしかないため、癒しでもなんでもない。
そんなこと思ってるから新しい友人は一向に増えない。でも、それでいい。
話は変わり、自分が飲み会と同じくらい嫌なことは怒られることだ。怒っている人の多くはその瞬間の感情のコントロールが出来なくなってしまい、結果的に怒りという感情で攻撃してくる。
叱られることはまだ、自分のためを思っているのは分かるのでありがたいと思えるのだが、怒られても浮かんでくるのは、相手への苛立ちしかない。
この間も、仕事上での顧客に、不十分な説明のせいで怒られた。顧問料に関して、説明しなければならないものをしなかったというのはこちらのミスだ。不誠実な対応なのは自分の責任だというのは重々承知だ。ただ、自分が全責任を受け入れるほど怒られるほどの事かというのは疑問だ。
でも、実際にお金を払ってもらって仕事をしているのは事実で、現に説明を怠ったのは自分なので、真摯に受け止めるしかない現実を理解しよう。怒られたという事実は動かないので、いかに今後、怒られた経験を活かしていけるかが肝心。
ただ、このミスで解約になってくれればそれはそれで楽ではあったのだが、、
怒られた日の夜、地元の親友から久々に話さないかとお誘いを受けた。30分だけ近くの公園で話した。話したのは最近の近況報告だけで、別になんてことない世間話だった。けど、昼間にナイーブになっていたので、その反動でかなり気持ちが楽になった。
会話ってのは不思議で、何を話しているかで楽しさが変わるけど、結局誰といるかが重要で、別に会話の内容の面白さがなくても居心地のいい相手となら、楽しく感じれる。その瞬間はタスクでもなんでもない。
いくら新しい友人が増えないだろうと、飲み会をつまらなく感じようと、顧客に怒られようと、友人との関係性は簡単に崩れないし、何もしてなくても居心地はいい。そういう貴重な空間を大事にしたい。
”オアシス”は目の前にあった。