『手当たり日記 92』見慣れない景色から、あの人たちとの交差へ 2024年2月9日
家から取材先へ直行の日。昨日夜に滑り込みで購入したコーヒー豆の封を開けて、コーヒーを淹れる。朝、美味しいコーヒーが飲めるというだけで、気分が上がり、起きるのが楽しみになる。逆に、ここ2週間ほど、美味しいコーヒーなしでよく朝早く起きれたもんだ。頑張った。昨日のリモート打ち合わせで、取材先に伝えた諸々の変更にはきっと納得していないだろうなと思って、胃が痛くなる。変更が生じたのは僕のせいではないが、それでも説明をしたり心を尽くすのは僕の立場の責任ではある。嫌なことほど、きちんと向き合ったほうが、いい結果になる。そう思って、家を出る。
外が寒い。イヤホンを耳に入れて音楽を聴きたいが、寒すぎて手をポケットから出すのが億劫だ。裸耳で駅までの道を歩いていると、通りぎゆく左側のマンションの窓からアラームの音が聞こえた。すぐには停止されないので、きっとまだ微睡の中なのだろう。少し羨ましく思う。そのまま歩みを進める。イヤホンをしていないと、周りの音はもちろん聞こえるが、視覚的に入ってくる情報も増える。前の方から、カイロを頬に当てるおじさんが歩きてくる。髪の薄くなった頭ではなく、カイロを頬に当て、首の後ろに当て、そして反対側の頬に当てる。頭には当てない。駅までの道を半分くらいくると、この時間にいつもすれ違う、黄緑ダウンのパタゴニアのダウンを着ているおじさんとすれ違う。7時過ぎの電車に乗るために家を出ると、ちょうどこのおじさんが僕が来た道に向かっていくところに遭遇する。いつも、どこか自信ありげに胸を張っていて、寒さも気にしていないようだ。向こうはこちらを認識しているのだろうか。
今日も1時間半の電車通勤。地下鉄で千葉方面にガタゴト揺られる。案内モニターの、終点まで表示されている路線図を眺めていたら、降りたことのない駅、乗り換えでしか使わない駅にも、そこに住む人たちの生活や、彼らの見る風景があるんだよなと、ふと思う。何もすることがない休みの日があったら、自分が乗り換えでしか使っていない駅のまわりを散歩してみたい。いつも地下鉄から地上の電車へと乗り換える駅で降りて、エスカレーターをあがる。次の電車まで少し時間があったので、たまに寄る駅構内のコンビニではなく、横断歩道を挟んだ向こうにあるセブンイレブンに歩いて行ってみた。自動ドアをくぐる前にふと左手に目をやると、これから僕が乗る予定の電車の高架橋に、陽の光があたり、その脇の路面電車の踏切がけたたましく警音を鳴らしていた。ここに住む人や、通勤で使っているひとたちからしたら、いつもの日常の光景だろうが、僕はノスタルジーを感じた。路面電車が通過するまで、そこで立ち止まり、通過するその瞬間に何枚か写真を撮った。通り過ぎゆく路面電車の背中を見送って、一度セブンイレブンに入る。店内を一回りして、パンと付箋を買って出てくると、ついさっきまで陽が当たっていた高架橋は、雲で翳っていた。
朝の家から駅までの道もそうだが、何度も同じ時間に、同じルートを辿っていると、他のそうしている人たちとの交差が繰り返される。あ、ツバが長い帽子かぶって電車の座席に浅く座り腕組みをして目を閉じているいつものおじさんだ、とか、大学でアラビア語を習っていた時のシリア出身のあの先生に似たいつものおじさんだ、とか。見慣れない景色が、見慣れてくる景色と、あの人たちとの交差に変わる。8時45分ごろ取材先に到着し、警備室の窓に挨拶をする。警備員さんに、おーぅ!と返され、こちらから名前を言わなくても、預けている入構証を渡される。
いつもの部屋に入ると、昨日の続きで、取材先の人との長い対峙が始まる。朝イチから、皮肉や嫌味や文句を言われるが、それを浴びれば済むのであれば甘んじて聞く。めちゃくちゃ頭を使って、心も使って、相手のことばを傾聴はする。その上で判断して、伝えるべきことを精査して話す。一日の半分くらいはこのために脳をフル回転させた。
先輩と現場を出たのは、22時ごろ。二人で、今日はきつかったと言い合い、途中の駅でそれぞれの方向へ別れた。乗り換えた電車は空いていた。座席の一番端に腰を下ろして、一息ついてからイヤホンを耳に押し込む。再生ボタンを押すと、キツく縛られていたこころがふっと緩む。無事良い番組になるように自分ができることは全部やりたい。それから、番組の総合演出やプロデューサーから僕に対しての期待。そして、取材相手の大切な人生のある期間の質の責任も背負っている。いろいろな力関係のはざまにいて、そこのテンションを維持するために、こころも、頭も使っているのだと気づく。
明日は朝から会議で、そのための資料をまだ作れていない。多少寝不足でも一日を乗り越えられるように、コンビニに寄って鉄分を取れる栄養ドリンクを買う。鉄分を摂ると何らかの働きで、朝起きられる、となんか知っている。概念として知っている。実際はどうか分からない。よく見ると宇宙食のような容器に詰められた栄養剤を吸いながら、今朝アラームが聞こえた道を歩く。あと1分で家に着く、というところで、離人感が湧き上がってきた。ずっと下を向いて歩いていたからかもしれない。家の前の道は細くて車一台がやっと通れるくらいの細さのはずが、やけに広く感じて眩暈がした。鉄分よ、効いてくれ。疲れたな。あーぁ、僕も3年間で3500万円を調査研究用の書籍代に使いたい。大丈夫、僕はちゃんと書籍代として使います。