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『手当たり日記 89』 目に映る雪、叩き固められる雪 2024年2月6日

昨日のはなし。

朝6時起き。眠くてどうしようもない。暖房もタイマーでバッチリついているが、朝スッキリと起きられなくなってきた。しかも、夜中に仕事の夢をいくつもみて、ガバッと起き上がることもしばしば。昨日は、いけない寝坊した、と思って飛び起きたらまだ朝の3時過ぎだった。6時にかけたアラームのスヌーズが何度かなって、15分くらい経ってから起き上がる。シリアルを食べて、飲むヨーグルトを飲んで、数日前作った大学芋の残りを全部食べると、お腹が冷えて胃が痛んだ。『庭のかたちが生まれるとき』を読み終わって、次に読む本は何にしようか迷っているうちに、家を出なくてはいけない時間になる。適当に手に取って家を出た。

パッと手に取ったのは、翻訳家の斎藤真理子さんとくぼたのぞみさんの往復書簡『曇る眼鏡を拭きながら』だった。斎藤真理子さんは、ハンガンの著作や、去年の年末に、会社の先輩との対談イベントで深い魅力を感じていて、エッセイでもとても刺激を受けていた方。対談イベントで買った本の、もうひとつがこの本だった。くぼたのぞみさんのお仕事には、これまで全く触れてこなかったので、この本を読み進めて行くうちにどんどん気になり、ついうっかりオンラインで購入してしまいそうだ。ついうっかり。明日は表参道で仕事なので、ついうっかり青山ブックセンターに立ち寄ってしまうかもしれない。

家の最寄駅から電車に乗ると、乗客はいつもより少ない。今日は午後から雪の予報だからだ桜花。たまたまなのだが、斎藤さんとくぼさんの往復書簡の前半で雪の話が出てきた。斎藤さんのお仕事、韓国の作家ハン・ガンの『すべての、白いものたちの』の中で、雪が出てくる印象的なシーンがある、というくぼたさんに、斎藤さんが返した韓国語についての知見が面白かった。韓国語では「雪」と「目」は同音異義語らしい。つい、韓国語について無知な想像を働かせて、なにか詩的な情景を思い浮かべてしまう。見上げる目に映る、はらはらと舞い落ちる雪。しんと静かに赤らむ頬。

乗り換えで、地下から地上に上がり改札を通ろうとすると、改札に人だかりができていた。どうやら、車庫の停電か何かで、電車が一部の区間で止まってしまっているらしい。駅員さんに、行き先の駅を伝え、迂回ルートを教えてもらう。さっきまで乗っていた地下鉄に再び乗り、取材先に北側から向かう。いつもとは別の駅からタクシーの乗り、無事現場に到着した。

僕が着いたころから、取材先のひとたちは、降雪予報の話をしていて、場合によっては早く解散しようという流れになっていた。午後過ぎくらいから、みぞれのようなものが降り始め、15時ごろには積もり始めていた。年齢関係なくみんな少し楽しそうに色めき立って、廊下に出て窓から駐車場につもる雪を見に行くひともいた。

想定通り、17時半ごろには先方の活動が終わり取材を終えられたので、すぐに荷物をまとめて建物を出ると、すでに道路に1センチ以上は湯持っているようだった。すっかり雪化粧で変わったしずかな夜の道をゆっくり歩くと、アラスカにいた頃の足の感覚を少し思い出した。いつも横切る畑がすっかり雪に覆われ、畑の向こうの家が白くのっぺりして見えた。まるでアメリカ北部の、田舎で酪農を営む家のようで写真を撮った。

自宅の最寄りのオオゼキで買い物を済ませた、19時半ごろの帰り道。バッテリーがかなりへたってきて、ノイズキャンセリング機能を使うと30分くらいしか持たないイヤホンの電池が切れた。耳栓と化した左右の機械をケースに戻して、商店街をざくざくと歩いて家に向かう。住宅街のエリアに入った時に、ターンターン、と立ち並ぶ家々に繰り返し響き渡る音が聞こえた。ふと左をみると、民家の玄関前に人影が見える。歩みをゆるめ、よく見ると、スキーウェアか何かを着込んだ小学1年生くらいのこどもが、大きな雪かきを抱えて、盛った雪を一生懸命叩いて固めていた。まるで職人のような手つきで作業に没頭していた。何を作っているのかはわからないが、きっと夕飯を大急ぎで食べ、早くこの作業に取り掛かりたかったのだろう。そんな、なにかしらの思いが横顔から伝わってくるようだった。体が冷え切らないうちに、満足のいく何かが作り終えられるといい。

夜は、コーンスープと、実家にありそうな煮物と、チルドの餃子とシュウマイを食べた。ごちそうさまでした。

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