『手当たり日記 87』 小さな声でさんきゅー 2024年2月4日

昨夜、12時過ぎまで日記を自分の部屋で書いて、手足が寒くなってきたので母がいるあたたかいリビングに行って、テレビをぼーっと眺めていたら、風呂から上がった父が入ってきた。僕がまだ風呂に入っていないのを見て、「まだ入ってなかったのか。湯船のお湯抜いちゃったよ」と言う。僕が、ひどいなー、とかなんとか言うと、「シャワーにしろ」などと返してきた気がする。僕が作った料理だろうが、何だろうが、食事どきに食卓にやって来て、どかっと座り、箸がないだのなんだの行ってひとに取りに行かせるような父。そういう、この世代の男性特有の横暴さと言うか、悪びれなさには慣れてはいるが、手足が冷えていて風呂に入りたかった純粋な欲求もあり、今回はすこしイラッとする。が、だいぶ前から父とは戦わないことを決めているので、特に何も言わない。僕があえて話を変えようとすると、母が「ごめんなさいくらいいいなさい」と父に言った。そうなんだよな。風呂の湯を、流してしまったのはしょうがない。覆水盆に返らず。悪気がないのはもちろん分かるし、これはそこまで大きな問題ではない。だが、人は意図せずとも人を傷つけられる。自分自身のままならない加害性をきちんと直視したい。

僕の父と同世代の、会社の先輩を思い出した。今回の取材が始まる前、取材先にロケハンに行った後、その先輩と居酒屋で飲んだ。彼と飯を食っていたり飲んでいたりすると、基本アドバイスや訓話になってしまうので、こちらからも色々な話をぶつけてみるのだが、やはり教えが降ってくる。あるタイミングで、先輩が、「取材相手にすぐ謝っちゃいけないよ。大事なのは、すぐに謝ることじゃなくて、しっかり対峙すること」と言っていた。彼が意図したのは、変に下手に出たり、萎縮すべきでないと言うことだと思う。だが、もやもやした。確かに、28歳の僕が望む現場の過半数以上は僕より年上だ。それに、この番組は取材する各社が、こちらの制作側が作った競技に挑む、という特殊な状況。つまり、僕は、取材担当でもあり、競技のルールを取材先に伝えたり、進捗を管理する、運営担当でもある。それを踏まえると、僕がおどおどしていたり、戸惑っていると、取材先や、こちら運営チームの仲間も不安にさせてしまう。それは分かる。でもそれを、今現に、番組内で強い発言権のある50代男性が、持論を法律のように年下の僕に伝えてくることに違和感がある。年齢や経験を重ねた男性は、自分自身の振る舞いで、他者を萎縮させていることを想像できたほうが良いと思う。自分が思う以上に、他者は自分を忖度してしまっているかもしれない。社会の、これまでのありようが、そうさせてしまっているかもしれないからだ。僕が自戒したいのは、自分が他者にどう作用しているか、その可能性をきちんと考える謙虚さをもって、謝るべき時にはすぐ謝れることだと思う。

家を出て実家に向かう時に、鼻炎の薬をカバンに入れ忘れてしまい、昨夜は鼻の調子が悪く、寝つきも悪かった。朝9時くらいに目が覚めるが、眠い。しばらくゴロゴロして、母が昼過ぎから出かけることを思い出して起きた。母にあいさつして、リビングでコーヒーを入れ、シリアルを食べていると、祖父の寝室から呼び鈴が鳴る。身の回りの手伝いを済ませると、何か食べたいという。そう言ってくれることが嬉しい。やはりぜんざいがいいと言うので、僕は餅を焼いて、ヨーグルトのども持っていく。

昨夜、祖父について母と話した。医者からは、一日中800kcalから1000kcalくらいは食べたほうがいいと言われているらしい。でないと、どんどん栄養失調になってしまう。でも、本人が食べられないのなら、無理させなくても良いとのこと。そうなってしまうと、もう先は長くない。そう考えると、すこしでも多く、祖父に食べさせたいと思う母の気持ちを察せる。本人に無理はさせたくないが、すこしでも長く一緒にいたい。僕らの身勝手な思いだ。一日にぜんざい1/4人前といちごひとつ。それから、300kcalの栄養ドリンク半分。どのくらいのエネルギー量だろうか。

昼、何を作ろうかと母と話している時に、ナポリタンばどうか、という流れになった。祖父が好きらしい。それきたとばかりに、昔ながらのナポリタンのレシピを調べて作った。最近少食の祖母も、美味しい美味しいと言って食べてくれた。祖父の分は、小さなお椀に持って残しておく。

いわゆる介護の作業には慣れてきて、祖父に負担をかけることなく、そういった作業を手際良く済ませられるようになってきた。と思っていたのだけれど、昼過ぎに母が家を出た後に、身の回りの手伝いで大失敗してしまい祖母と大騒ぎした。結果、体力の落ちた祖父を疲れさせることになり、終わった後、みんなでへたりこんでしまった。「疲れたよね、ごめんね」と何度か祖父に言うが、伝わっているのかどうか分からない。

祖父からの呼び鈴は、1時間おきくらいの頻度にあり、毎度、返事をしながら小走りで寝室に向かって、いろいろ手助けをする。16時くらいだっただろうか、諸々が済んで僕が、「お昼にナポリタン作ったからね、食べたくなったら食べようね」と声をかけると、祖父は何度かうなづいた。「何かあったら呼び鈴で呼んでね」と伝えて、寝室から出ようとすると、祖父の掠れ声が聞こえてきた。振り返って、どうしたのと尋ねて顔を近づける。聞き返すと、祖父は、小さな声で「さんきゅー」と言っていた。昔から聞き馴染みのある言い方だった。そういえば、ものごころがついた頃、祖父が「さんきゅー」と行っているのを聞いて、あのことばの意味は何だろう、と不思議に思い、おうむ返しのように真似していたことがある。僕が高校生になったくらいから、祖父の老いが目立つようになってきて、それまで自分でやっていた電球の交換作業などができなくなっていた。そう言った作業を僕が頼まれ、すぐに対応したときも「さんきゅー」と言っていた。昔と変わらない「さんきゅー」を聞いて、なんか可笑しくなり、それに笑って返した。

夕方、昨日も来た従兄弟たちと叔父が、叔母も連れてきた。僕は、叔母に祖父の状況を伝えなければと思い、端的に話した。今考えると、淡々と話しすぎてはいなかっただろうか。僕がどう思われるかどうか、というよりも、心配してきてくれた叔母の気持ちに寄り添えていたか、振り返ると気になった。僕自身の、心のストレス回避反応でもあるのかもしれない。祖父のことについて感情的になりすぎて話すと、僕自身のこころが追いついていけない、とか。そうかもしれない。

夕飯には、キャベツとソーセージのトマト煮込みと、大根とちくわとニンジンの煮物。歯が悪い祖母や、毎日の介護に奔走する母が栄養を摂れればと思った。みんなで食事を済ました後、祖父もなにかが食べたいというので、昼のナポリタンを温めなおして食べてもらった。半分くらい、美味しそうに食べてくれた。食べている時に、「味、大丈夫そう?」と聞くが、聞こえていなかったのか、あまり反応はなくて、母と目を見合わせてから少し笑った。

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