『手当たり日記 91』 雪にしか宿らない魂に優しい場所 2024年2月8日
朝7時に起きる。取材に行くための起きる時間よりは少し遅い。会議は表参道のオフィスで10時開始なので、資料を作る時間は2時間はある。ベッドに座って眠い目をこする。少し手を抜いて資料を作れば1時間くらいで終わるだろうから、もう少し寝るか、と誘惑にかられるが、思い直し、深呼吸をして立ち上がった。着替えを済ませて、顔を洗い、髪をセットして机に向かう。
効率よく資料を作るにはどこから考えるべきか、と頭を働かせる。豆乳をかけたシリアル食べながら、座って作業を進めていると、暖房をつけているにもかかわらず部屋があまり温まっていないような気がして寒気がする。さらに、足先が寒くなってきたので、寒い時に室内で履くように、デスク横に放置してあった、山用の厚手の靴下を履いた。その上からスリッパを履くと、少しずつ足が温まる。
9時には無事作業が終わった。家を出る準備をしながら乗り換え案内アプリを開くと、家の最寄駅の路線が遅延していて、東京メトロへの直通運転を中止していた。これはいつもより時間がかかるぞ、と焦り急いで家を飛び出た。
表参道に9時45分ごろ到着し、コンビニ寄ってコーヒーを買っていたらギリギリになってしまった。開始時間2分前に、急いで会議室に駆け込むも、まだメンバーは全員揃っていなかった。外部参加者が、電車の遅延で遅刻。その上、会議は難航した。僕にも守らなければいけないラインがあるので、年上の先輩にも臆せず意見をぶつける。結局、予定の時間を押した上に、確認すべき項目が十分にクリアにできなかった。
対面の会議が終わったら、今度は階を移動し、だだっ広い会議室でひとり真ん中に座り、リモートで打ち合わせ。取材先に、先の会議で決まったことなどを伝えなければいけないのだが、かなり都合が悪いことがあり、向こうからのバックラッシュも強い。そうなることも予想できてはいたのだが、いざその渦中に放り込まれ、僕に全部の説明責任がかかるとなかなか辛い。だけど、逃げない。自分ができると思うことを全うする。ことばを慎重に選びながら、相手の理解を得るためにこころを尽くす。
心労で疲弊した。大きな空間にひとりっきり、体を背もたれに預けて長いため息をついてしまう。小一時間か、それ以上集中状態が続いていたので、体が火照っていた。足も暑かったので、片方の足で、もう片方の踵を蹴るようにして靴を脱いだ。しかし、その感覚がいつもと違ったので、おかしいなと思って足元をみると、今朝足冷え対策で履いた山用の靴下が足を包んでいた。普段用の靴下に履き替え忘れていた。どうりで暑いわけだ。会議室を出て、フリーアドレスのデスクに座ったら、また疲労感が溢れてきた。まだやることが残っていたので、疲労回復のために、その場で肘をついて数分のパワーナップ。起きて仕事を終わらせた。
駅に向かう前に、こころを救うために青山ブックセンターに寄ろうと思いたつ。国連大学の裏は、地下1階と地下2階レベルにもオフィスやイベントスペースが入っていて、中庭エリアもある。青山ブックセンターに向かうためのエスカレーターに乗り、ふと左手の目をやると、建築の作りの都合で生まれた「何もない空間」、何もないと寂しいからと申し訳程度に本物か偽物か分からない植物が置かれている場所に、いくつかの塊の雪が、どうにか溶けずに残っていた。周囲の建物に囲まれて、ずっと日陰になっているのだろう。雪が溶けることに、春の訪れを感じる寒冷地方の感覚もあるだろう。一方で、絵本、映画「スノーマン」のように、雪が溶けてしまうと、雪塊に宿っていた魂もどこかに行ってしまうような寂しさを覚える場合もある。何もない、陽も当たらない、都市の隙間のような場所は、雪にしか宿らない魂には優しく寄り添っているようで、感傷的な気持ちになった。
表参道から電車に乗った電車の座席が空いていたので座ると、また疲労感がどっと溢れてきて、ぐったりということばがピッタリな気分だった。毎日の長時間通勤と取材でただでさえ体力が削られ、身体的に回復しきっていないのに、メンタルの疲労のダブルパンチ。早く帰って美味いもん作って寝よう。家の最寄りのオーゼキでアジの刺身や野菜などを買い、時計を見るとまだ19時前だったので、いつものところでコーヒー豆を買う。ここ最近、この店が空いている時間に最寄り駅にいることがなく、コーヒーを切らしていたので嬉しい。
帰ってさつまいも入りのクリームシチューを作って食べました。ごちそうさまでした。