『手当たり日記 96』 祖母と散歩、祖父の誕生日 2024年2月13日
昨日、2月12日の日記。天気は晴れ。寒さが少し和らいだ。
朝、看護師さんが帰る音で起きた。祖父の部屋をのぞいてみると、いっぱいに入った点滴が吊るされている。母から、点滴の必要性を聞いてから複雑な気持ちだ。今祖父は、点滴を打たなければ、口から何かを食べるエネルギーも、そして、息をしたり瞼を持ち上げたりするエネルギーを持ち合わせていない。僕らは、食べるという行為をどう考えているだろうか。健康を重視したものだけを食べたい人、自分でおいしいものを作りたい人、世間でおいしいと言われているものを食べたい人、腹が減ったらナニカをテキトーに食べる人、環境負荷が低い食べ物を選んで食べるひと。祖父は、口からは、生命を維持するのに十分なエネルギーを摂取できないから、点滴でブドウ糖を血液中に注入し、人間らしい行為である、口でモノを食べる、という行為を可能にさせる。僕たちは、何を食べるかという自由な選択があって、「口から食べる」ことが、人間らしい行為であるように、つい思ってしまう。だから、僕も母も、たとえ祖父の意識が朦朧としていても、何が食べたいか毎度のように聞く。食べたいや飲みたいものがあれば、慌ててくつをつっかけて、そとに買いに走る。それが、祖父のひととしての尊厳をぎりぎり保っているような気がする。祖父には最後まで、好きなものを好きなだけ、食べてもらいたい、それが人間らしい、と強く思っているようだ。でも、本当にそうなのだろうか。何がそのひとを人間らしさたらしめているのだろうか。自分で排泄をしたりその処理をしたりできなくなっても、会話ができなくなっても、自分の手を器用に使って食べ物を口に運べなくなっても。むしろ人間は皆、そのような状態で生まれる。そのような状態で生まれ、そのような状態に戻り、何も無くなる。いや、何も無くなりもしない。何も無くなりなんてしない。無くなりなんてさせたくない。
昼は、母と祖母が焼きそばを作ってくれた。焼きそばなんて久しぶりに食べた。みんなで食べていると、祖父の呼び鈴が鳴る。母が僕より先に立ち上がって、祖父の寝室に向かっていった。残された僕と、父と、祖母はしきりに喋るわけでもなく、テレビを注視するわけでもなく、多少の会話だけをしながら、やきそばを啜っていた。一皿食べ終えて、ふと横に目をやると、祖母は半分以上残った焼きそばを目の前にして俯いていた。居寝むりをしていたのかもしれない。父が「おかあさん」と声をかけると、首をあげる。昨日、祖父に起こされて眠れなかったのだろうか。みなが食べ終え、僕が皿を洗っていると、祖母が誰に対して言うでもなしに、窓際に新聞を広げその前の席について、「なにもかも分からなくなった、生きる目標もない」、などと言いはじめた。認知症が進んできたこの1年で、たまに言う”お決まりのことば”のうちのひとつで、そのことばに対して、父はあえて明るく声をかけていた。僕はやたらそのことばが気になる。
僕とて、はっきりと強くこころに刻んでいるような生きる目標や目的はない。こどもは好きだし、家族も大好きだけれど、早く結婚したいとか、早くこどもが欲しいとか、何人こともが欲しいとか、仕事でこんな偉業を達成したいとか、有名になりたいとか、そういう目標などは全くない。積極的に選びたい道はない、という感じだろうか。祖母のことばを聞いて、あれ、僕も、何のために生きているんだっけ、と思う。前に、日記で書いていたような、漠然とした「生きる意味」はあれど、それが全く見とおせなくなることもザラにある。今死んでしまっても構わないような気がするが、家族や、僕を大切に思っている人がいる事は分かっていて、その人たちを悲しませるのは嫌だから、生きる、くらいだ。でも、僕が明確で確固たる高尚な生きる意味を常に持ち合わせていなくとも、祖母に寂しいと感じさせたくないとは思っている。今日は天気が良かったので、窓際に座る祖母に、「この後散歩行こうね」と言うと、こちらに笑顔を向けて「あらそう? ありがとうね」と返してきた。
午後はリビングで少し仕事をしてから、15時半ごろに祖母と散歩に出る。実家の最寄駅から少しいった場所にある、こぢんまりとしてコーヒー豆屋を目指す。天気がいいね、と祖母がいうと、僕は空を見上げる。本当に天気が良かった。祖母には日光をたくさん受けてほしかった。ときどき、日を浴びて眩しそうに歩く祖母の横顔を盗み見る。祖母の歩みはますますゆっくりになっているようだった。あのコーヒー豆屋まで、起伏もあるし、距離もあるけれど、大丈夫だろうか。いや、たまには少し息がきれる運動をした方がいいんだ、頑張ってもらおう。長い坂を降りて、また長い坂を登る。祖母の隣をゆっくり一歩ずつ歩きながら、祖母を励ましながら登ると、丘の上に出た。たまに行くスーパーや、駅に行くときによく使う坂が見える。祖母は、息が切れているからか、もともと景色には興味がないのか、眺めをゆっくりみることもなく、おしゃべりをしながら歩みを続ける。地図上でなんとなくしか知らない、来たことのない道だった。こんなふうになっているのか、とキョロキョロしながら歩いていると、「ここに置いておかれたら、帰れなくなっちゃうわ」、と何度も祖母が言っていた。
また長くて急な坂をゆっくりと降ると、店に着いた。豆を選ぶと、焙煎が完了するまでに20分かかると言われたので、また散歩を再開する。これまで、僕も、僕の祖母もあるいたことのない、川沿いの道を歩く。あの先に見える、橋までいって、橋を渡ったら反対側を戻る方向に歩いてきたら、20分経っていた。店に入ると、もうすぐで焙煎が終わるところだった。ふたりで店内の椅子にかけて待ち、それから会計を済ませて、店を出た。また、長く急な坂を上がって、すこし休憩して、また進んで、坂を下った。半分くらい来たところで、ミニストップがあるので、イートインコーナーで並んで座り休憩をした。僕が温かいお茶とこしあんパンを一袋買い、席に座ってひとつ口に放り込むと、祖母は、しばらくあんぱんを眺めたあと、「じゃあ私もいただこうかしら」、といってひとつ手に取り、小さくちぎりながら食べる。お茶も飲んでね、と僕がいって、ペットボトルを近くに差し出すと、「私はこれでいい」といいながら、ペットボトルのオレンジのキャップにお茶をそそいで、すするように飲んだ。祖母が、キャップ湯呑みで3杯くらい飲んで、僕がボトルの半分くらいを一気に飲んでから、ミニストップを後にする。坂を、またゆっくりゆっくり歩いて、家に着く頃には夕暮れに差し掛かっていて、細い三日月が空に浮いているのが見えた。
高圧送電線と三日月のしたをくぐって、家に差し掛かると、うちの駐車場に叔父たちの車が停まっていた。今日は祖父の誕生日なので、ケーキを買ってお祝いに来たらしい。祖父と祖母が大好きなモンブランを2種類。それ以外の、僕らにはホールのショートケーキを買ってきてくれていた。リビングで、ショートケーキと、モンブランの両方に火をつけて、祖父の寝室までみんなで向かう。祖父は寝ていたが、叔父が声をかけると目を開ける。みんなで、ハッピバースデーの歌を歌い、祖父と僕のいとこが火を消して、祖父は88歳になった。僕が、「おじいちゃん、何歳になったの?」と聞くと、かすれ声で「96歳」と自信満々に答えていた。みんなで笑った。96歳とさばを読んだ祖父は、モンブランをちいさく3口食べて、みんなはその姿を見つめていた。
今日の夕飯は、里芋ときのことのカレーと、ひじきと豆の煮物。腸に良さそうなご飯だ。どちらも、一度も作ったことがなかったが、勘で味付けしていったらとても美味しくなった。両親や祖母も喜んで食べてくれた。「そろそろ帰るね」、と大きめの声で言うと、祖母は「あら〜、帰っちゃうの。寂しくなるわ」と情けない声を出した。「またすぐくるからね」と僕。いつもの強めのハグ。
8時半ごろ実家を出て、東京の家に帰った。翌日の会議の資料に全く手をつけていないので、これから一仕事が始まる。うなだれている暇はないので、家に着いて暖房を付け、すぐに取り掛かる。結局、半分くらい終わらず、6時半にアラームをかけて、一旦2時半ごろ寝た。