長い正月休み

 2022年元旦。昼過ぎに目を覚ました。本当は朝10時に近所に住む父の元で雑煮を作って共におせちを囲むという約束であった。元来仕事以外の要件では起きられない寝坊助な自分を呪いつつ父の元へ急ぐ。

 前日(大晦日)に昆布をつけておいた鍋を沸かせ市販の粉末だしを加え、鶏モモ肉を炊いていく。その間に大根、人参、しいたけをいちょう切り、沸騰後に加えて丁寧にあくとりをしながら、記憶の中の母の味と対話をする。

 母が亡くなってから3年を数える。手先が器用でとても頭の良い人であったから、さっとやることが丁寧で、気が効いていた。端では簡単そうに見えていたけれどやってみるといちいち手間がかかる。なくなってから気づくことは多い、人間の性ではあるけれど、それを家族にこの歳にして教えられ学ばされることになるとはなと、幸せを感じながらトースターに放り込んだ切り餅も良い具合、鍋の中も塩で味を決めたら三つ葉を飾って出来上がり。リビングには父がCO-OPで揃えたおせちを取り分けて並べてくれている。遅くなりましたが、お父さん、そして写真のなかのお母さん、あけましておめでとうござます。

 帰宅後、昨年にやり残した大掃除に手をつけながら「一年の計は元旦にあり」の言葉を思い出しつつTVをみながら晩酌。番組は芸能人格付け2択クイズ。カルテットで、セミプロレベルの数十万の楽器と、総額数十億のストラディバリのアンサンブル、どちらかを当てるというもの。普段はTVのバラエティ番組をあまり見ることのない自分、正月は食い入るように見つめながら、居間に鎮座してみる。X のYOSHIKI様しか正解しなかったこの問題、自身には明解であった。古い楽器も触ってきている。1800 年代のコントラバスでツアーに回ったこともある。番組で浮き彫りになったのは楽器のクオリティとそれをいなす難しさの問題だと感じた。良い楽器ほど演者には奏法や扱い方を強いる。単純に演奏が良くない、鳴らしきれないほうが後者の演奏。

そりゃそーだろという結果を見て、ツイッターに投稿



 TVにも飽きて昨年末持ち越した大掃除を再開。思えばコロナのせいにして自堕落だっただけかもしれない。部屋からでた驚く量のゴミを片付け、マンションの下に持っていった。そして、車の中に積んだままの飼育しているウサギ二匹の餌と牧草の袋を抱え家に戻る。外は寒いから小走りに非常階段を上ろうとした。

そこで

こけました。

 大荷物を持って非常階段のお踊り場にダイブ、顔からいきました。あ、これやばいと思いながら、ひとまずぶちまけてしまった荷物をかき集めて家に戻り、血だらけのパーカーを洗濯機にぶち込み、シャワーを浴びてパジャマを着てベッドへ。

アクシデントも寝て起きればしっかり薄まる。おやすみなさい。


 そして、起床。
あれ右手動かない。動かすと激痛。あれ、顔も痛い。顔も傷だらけ。携帯も打てない。あ、携帯って普段右手で打ってたんだ、、気づきと混乱の中で救急を呼び搬送。コロナは落ち着いていた時期でしたが、それでも多くの患者さんでひしめく待合室。医療従事者の方々のルーティーンに思いを馳せ、なんて大変なんだろうと待ちながら、つい24時間前、共に新年を祝った父に付き添われての時間はとにかく長く長く感じました。とほほ、、、

右手首親指の付け根が折れておりました。

ハピーニューイヤー。

そして長い正月休みを迎えることとなりました。

つづく








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