怪我の功名とくたびれ儲け
手首の一部が綺麗に折れているとの診断を受けた。しかしながら肘も動かせないほどのギプスを装着。楽器を弾いている分明るくなってくる知識として、筋肉、骨、神経はあらゆる連鎖によってようやく一般的な動きが可能になっている。指には筋肉はないとか、腱が全体の動きを担っているとか、これら頭にはあった知識が、怪我をしてみて初めて痛感するのであった。
搬送、レントゲン、MRI、診断を終え夜は7時を回る頃。病院を出て父に一言。
「新年早々、迷惑かけてすみません」
「渉、なにか食べれそうか?」
そうだ、一日何も食べていなかった。
怪我による公演の延期等の仕事の連絡に奔走した一日、いちいち電話口で噛むし、うまく喋れない。折れてはいないが歯もずれているみたい。帰り道にサイゼリアに寄ってもらう。自分は穀物のスープをいただく。食べるのがとても億劫、時間をかけて口に運んだ。とっても暖かかった。そしてあまりに自分が情けなかった。昨年70歳を迎えた父、寡黙で普段からあまり言葉を発しない分、その心配そうな表情は饒舌であった。沈黙の中スープを啜る。自分は何をやっているんだろうと自責の念が増していく。スープの味を覚えていないが、その時間はとても暖かく感傷的で、感覚としてコロンビアコーヒーのように甘くて苦いものであった。「ありがとうね」と言うのが精一杯、胸が不甲斐なさでいっぱい。お父さんいつもありがとう。そして心配かけてごめんね。ごちそうさま。
何よりもまず直すことが先決。左利きの自分ではあるが、右手が動かせないと何かと不自由、やはり国家ありきの社会体系は右向きに出来ているんだなー(?笑)なんてくだらない思いにかられつつ、生活が不自由な楽器を持てない4週間がそれから始まるのでした。情けなや。仕事ができないこと、期待してくれていた仲間やお客さんのことを考えると、とにかくくたびれました。ご迷惑をおかけして申し訳ありません。
(詳しくはこちらに当時のインスタ記事参照)
https://www.instagram.com/p/CZJ_eqYPtDj/?utm_source=ig_web_copy_link
脳細胞は0歳、身体は20歳をピークとして、後は時間経過とともに老化の一途を辿るといわれている人間。(今後再生医療等で寿命が飛躍的に伸びるのもそう遠くないとか、今の日本の年金制度の弱体化とともに、生きている限りは働かなきゃという現代の社会情勢もさておき)40歳を過ぎて加速度的に実感としての老いがやってまいりました。日毎に感じる、白髪が増えたとか疲れの取れなさとか、一般論で言われている類ですが実感としてくるのはショックなものですね。。名実ともにジジイレペゼンなマインドではいましたが、骨は4週間ほどできちんと繋がるのです。人体は宿主の心模様の疲弊を知ってか知らずか宿主の弱気を無視して結果を出してきてくれたのでした。
長かったようで短かったような学びを経て、ベースが弾ける喜びが日常に戻ってきました。
次回からはそんな話も。