宝治合戦_04 千葉純胤の時空移動
-下総 千葉宗家の館-
館奥には一人の少年と一人の男がいた。
少年は千葉頼胤。男は千葉泰胤。
千葉頼胤が妙見像の前になにやら唱えていた。
その刹那、襖の奥でガタンガタンと大きな音が響いた。
そして襖が勢いよくバッと開き、一人の男が立っていた。
「相変わらず来てしまいました。純胤です」
純胤は少し照れ笑いしながら入ってきた。
「あれから...結構経った感じですね。」
純胤は頼胤を見渡し、頼胤の成長度合いに感嘆した。
純胤は泰胤に尋ね、泰胤は宝治二年と答えた。
純胤はすこし沈黙し、しばらくして口を開いた。
「ではもうすべてが終えた後ですね。三浦が滅び、上総も衰退した」
泰胤は頷いた。
「泰胤、寛元元年から今までを少し教えて頂けませぬか」
泰胤は承知と語り始めた。
「純胤よ。貴方が告げた通り、『執権の代替わり』はまもなく訪れた。あれから三年で執権の北条経時殿はお亡くなりになり、弟である北条時頼殿が執権を継いだ」
「なるほど。確か北条経時には子息がいたと思いますが、何故弟の時頼に継いだのでしょうか」
「そうよのう。まだ幼いからではないか。家督なら私の様に頼胤様をお支えするという形もあるが、執権となると実務を激しくこなす必要もあるであろう」
「確かに。では何かしらの手立てで兄より執権を奪ったという可能性はどうでしょう」
「それもない。執権として継いだのは三年後であるが、純胤が去ってからしばらくして北条経時殿は伏せがちになり、徐々に北条時頼殿が執権代行として役務を負っていたのでな」
「納得しました。後世ではここら辺も北条家の御家騒動的な見解もあるので、純胤的にはスッキリです。でもその間も評定衆はあまり同意できてないのでは。この間の大きな事変として将軍譲位があるかと」
「左様。反執権である評定衆と征夷大将軍である藤原頼経様はなにかと近い間柄であった。それを阻止せんとして嫡男である頼嗣様に北条家が無理やり将軍職を譲らせた。頼嗣様は御年六歳。露骨な代替わりであった」
泰胤はひと息ついて話を続けた。
「という中での執権代替わり。評定衆としては巻き返しを図ろうとした。そんな最中である事件が起こる」
「ある事件と云いますと」
「前将軍である藤原頼経様を担いでの反乱未遂」
「首謀者は」
「名越光時殿よ」
「ああ北条の分家の。これは本当に計画があったのでしょうか。名越光時は嵌められたのでしょうか」
「真相は分らぬ。但し名越家の祖である北条朝時殿の頃より北条家内では時折不穏な話を聞くのでなにかしらはあったと思うが」
「承知です。未遂なので結局は失敗に終わってますよね」
「左様。担がれた藤原頼経様は京へお戻りとされた」
「この時の余波で主だった評定衆は罷免となり、千葉秀胤は上総で蟄居となった」
「これでは反執権派は抑え込まれたが」
「が」
「反執権派を一掃せよという動きが始まる」
「なにゆえ」
「幕府宿老である安達景盛殿が数十年ぶりに高野山を下りて鎌倉へと参った」
「安達景盛というと安達盛長の子であり、比企能員の乱で比企氏の縁者として連座で蟄居となった安達家の」
泰胤は深く頷いた。
「この時、安達景盛が鎌倉へ行って執権の北条時頼となにを話したかはご存じですか」
「それは知らぬ」
「その時に安達景盛は『三浦を滅ぼせ』と北条時頼に進言したのではないでしょうか」