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千葉篤胤の転生記_20~治承・寿永の乱

篤胤は胤通として鎌倉の北条館に引き続きいた。昨日は頼朝の不意な北条館への訪問があった。本日は下総へ戻る予定であったが、北条義時より声がかかった。

「胤通、今日下総へ戻ると聞いていたが、信光殿がこの館へ立ち寄ることになっている。せっかくだから会ってから帰ったらどうだい」

篤胤は、信光と聞いてすぐには誰かは分からず義時に聞いた。源信義の子である源信光だそうだ。年もほぼ義時と同じらしい。

そうこうしているうちに源信光が北条館へ訪ねてきた。奥の間にへと進み、一番奥に義時が座した。今日は早朝より父親の時政は出かけ、義時がこの館の長だった。

奥の間には義時と信光と篤胤の3人が囲うように座った。それぞれ立場はあるもまだ二十歳前後の若者同士、堅苦しくなく話を重ねていた。

「1年半前はそれぞれこんな世の中になるとはおもってなかったよね」

義時が信光と篤胤に語り掛けた。1年半前は篤胤自身は令和で高校生をしていたのは特異としても、義時は伊豆の、信光は甲斐の、胤通は下総の、1豪族の子でしかなく、ただ平家の影に押さえつけられて日々暮らしていた。それが今や京より東は源氏が束ねる世となった。

ただ安寧の時とは言い難く、3つの源氏がそれぞれけん制していまのバランスを保っている危うい世でもあった。

篤胤は信光に鎌倉へ出向いた理由を聞いた。信光は父である源信義の使者として源頼朝に会いにきたそうだ。源頼朝がこれ以上今の状況から進展がないのと同じように、源信義も甲斐・駿河・信濃・遠江を束ねた後、特に拡大もなく、むしろ常に平家と隣接した中で日々臨戦態勢を過ごしていた。

源信義とすれば、源頼朝がこの均衡状態を望むのか、これから更に西へと進めるのかの腹のうちは把握したく、息子の信光を使いとして寄こしたらしい。

篤胤はよくもそんな大事な事を信光はあっけらかんとしゃべるなあと感じはするも、少し考えれば源信義からすればその2択は知りたいのはその通りだし、あまり隠し立てもせず話すのが信光の性質なんだと理解した。

しばらくして信光は源頼朝へ会いに行くため北条館を跡にした。そして篤胤も下総へと出立することを義時へ伝えた。別れ際に義時は篤胤に尋ねた。

「胤通、君たち千葉一族は頼朝様が挙兵する前から平氏と戦う気でいた。僕はひょんなことから姉様が頼朝様に嫁いであれよあれよと駆け巡って今に至る。でも君たちは下総にいてなぜ今の世へなるために突き進めたんだい。僕はそこが不思議でならないよ。昨日君が頼朝様へ進言していた『西へ西へと平氏を追いやる』ことが千葉一族が次に向かう標なのかい」

篤胤はさあねとだけ返して下総へと旅立った。



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