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Neil Gaiman: ハメルンの笛吹としての物書き

Bard大学 フィッシャーセンターのニール・ゲイマン氏講義2日目。
昨日は「フィクションを書くこと」について、その手法と根幹を「若い書き手」(この言い回しについてはこの日説明があった。「年齢が若い」の意味でなく「歴の若い」の意味とのことだ)に伝えることを主軸にしていたが、2日目の講義はより現実に即したものとなった。

はやくから作家を目指していたという、まだ若かりし頃のニール・ゲイマン氏に、ある眠れない夜こんな疑念が頭をよぎったという。

ーーぼくは作家だ。自分が作家だと信じている。
でも、もしそうじゃなかったら?
今ぼくが「作家」だと証明するものなんて、はっきり言ってなにもありゃしないじゃないか。70にも80にもなって、病院やらホスピスやらでこう思うことになるんじゃないか?「ぼくは作家だった」って。ーー

実はこれを書いている自分も、多少の文章の心得はある。フィクションではないし出版の世界にはあまり足を踏み入れておらず、最近はクリエイティブやエディットのほうが増えたにしろ、文章で家族を養うことがどうにかできている人間の一人だ。そして、「ものを書いて生きる」世界に足を踏み入れはじめたときに(ただしそれはかなり人生の紆余曲折を経た後のことである)まるきりゲイマン氏のこの眠れない夜と同じことを考えたことを今もまざまざと記憶している。
"自分は「もの書き/ライター」なのか?自分はそう思っているけれど、もしそうじゃなかったら?"

ゲイマン氏はここで、「ものを書くこととコマース(商い)の交わる場所」という言葉を使う。ものを書くことが、お金というトークンに変わる場所。「物書きになりたい」という言葉があるいはファンシーに聞こえるゆえなのか、しばしおおっぴらには語られないこの「ものを書くこととコマース(商業)の交わる場所」を、自身の経験から語ったのがこの日の講義の前半であった。

これはもちろん、全米1万1500人が加盟する全米脚本家組合が、今年の5月2日からつい先日まで大規模なストライキを行っていたことと無関係ではない。配信サービスなどによる視聴のシステム・プラットフォームの変化に応じた待遇の改善や、AIの台頭による脚本の改変など、現実に即した問題を訴えて行われたストライキは、長く苦しい闘いのうちにどうにか合意を迎えている。

ゲイマン氏は言う。

ーー芸術と商いが交差する場所は決して悪い場所ではない。作家は書いたものを貨幣というトークンと交換し、それで家を建て食事を買い、家族を養っていい。至極当然のことだ。
ただし、商い手と話をするなら、契約書をしっかりと読みなさい。支払いが満足にされないばかりか、作品を手放さなくなってしまった作家たちはたくさんいる。法律家に相談するのもいいし、エージェントを持つのもいい。とにかく契約書を読み込み、納得の行かない時には交渉を行いなさい。それもまた何も悪いことではないのだから。ーー

ロマンチックじゃないと感じる人もいるかもしれない。けれど、この「現実」をなあなあにすることで、自分の血肉を削って書き上げた大切な作品が、いつのまにか契約書という盾のもとあちら側の世界にいってしまう。その事実を経験し、目にし、そんな彼らとともに闘った氏だからこその話しだったと思う。

ゲイマン氏はこれを、ロバート・ブラウニングによる「ハメルンの笛吹き男」の詩の朗読とともに語る。この有名な話では(おとぎ話、ではないのは、これが実際にあったとも言われているからだ)ご存知の通り、ネズミを笛で退治した笛吹き男に満足な対価が支払われず、笛吹き男は町の子どもたちを町からどこかへ笛の音とともに連れ去ってしまう。ブラウニングの詩には、いやもしかしたら原作でもそうなのかもしれないが、ひとりの足の悪い少年についても描かれている。笛の音とその音が見せる幻想に釣れられ町を他の子どもたちと出ていった少年だが、足が悪いゆえ町を出た荒野でひとり取り残されてしまう。楽しげな響きと夢のような幻想は過ぎ去り、ただ元いた場所から遠く離れた荒野でひとり呆然とする少年の姿が謳われている。

ゲイマン氏は、笛吹き男は作家のことであり、そして同時に、この足の悪い少年も作家であると説明する。

作家が心血を注いで書き上げた作品は、すばらしい夢をまとって町を席巻する。
一方、現実をよく理解しないままに作品を世にだしてしまった作家は、その作品がさまざまなマーケティングや展開へと広がりどんどん自分の手から離れていくのを、夢から覚めたような気持ちで指を加えて見送るしかなくなってしまうのだ。

ゲイマン氏は「歴の若い作家」に、この資本主義の現実から目を背けないようにしっかりと、丁寧に、時間をかけて伝えていたのが印象的だった。

以下、その他の覚書である。

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◯世にでる「作家」になるには

僕はジャーナリストからはじめた。世の中のことをもっと知る必要があったからだ。これはかつて「最高のアドバイス」と後にいわれた実際に僕がしたアドバイスだ。
"「ぼくは作家だ。ぼくは書ける。(でもチャンスが無い)」と言う前に、まずは人生をしっかり過ごしなさい。まずは作家になろうとするのをやめて、嫌な仕事でもしながら世間の荒波に揉まれ、そしてそこから這い上がってきなさい。作品に落とすことができるような人生を生きること。まずはそれからだ。"

私のころとは時代が違うから、どこからどうチャンスがというのは言い切れない。しかし、もし例えば短編小説を書きたいのなら、まずはたくさんの短編小説を読みなさい。それから良い作品を書いて、何度も推敲し、完成させなさい。それからそれを出版してほしい・応募したい出版メディアの応募条件をきちんと理解するまで読み込んで、それに沿う作品に仕上げなさい。

◯作家の義務としての「書くこと」

Good Omensの共著であるテリー・プラチェットは、昼間は広報のフルタイムの仕事を持っていた。彼は仕事が終わり家に帰るとワインを飲んで、それから毎日400文字書くのを日課にしていた。毎日、必ず400文字。1年間何文字になるか想像してほしい。ある日200文字書いた所で作品が終わったことがあるそうで、その時テリーは、新しい作品の最初の200文字を書いてその日を終えたと話してくれた。毎日必ず400文字だ。

スティーブン・キングは多作な作家で知られるが、意外なことに彼も「毎日1500文字」と決めていると話していた。1500文字書いたらその日はもう書かず、犬の散歩にいったり、でかけたり。ぼくの場合は1日2000文字書けたら上出来、1000文字だとちょっと少ないかなという感じだ。
君が作家なら、作家が必ずしなくてはいけないことは、「書くこと」だ。
いい本を書く。作家としてのその義務を忘れるな。

◯フィクションのちから

父が亡くなった時、サイン会をしていたから涙を流さなかった。その後もイギリスに戻り葬儀をしきったりと、涙を流さず喪に服した。ところがその後何ヶ月も経って、友人から今度書いたTVシリーズの脚本なんだけど、と手渡された脚本を読んでいた。25ページ目で、ふたりが恋に落ちた。そして31ページで、彼女のほうが死んだ。その場面を読んでいた時、僕は堰を切ったように泣き出した。父の死をやっと嘆くことができるようになった瞬間が、実際には存在しない誰かの死を読んだことで訪れる。それまで理解していなかった不思議な瞬間だった。

フィクションというのは、いわば「共感の機構」(empathy machine)だ。僕たちはたった一人のたった一回の自分を生きているけれど、フィクションを読むことで、それが違う誰かの目を通して違う誰かの人生を体験できるようになる。これは素晴らしい魔法という他ない。

◯登場人物たち

作品の中に出てくる登場人物には、大なり小なり自分が反映されているのが作家というものだ。一方過去の彼女から「あの登場人物って私?」と連絡が来たこともあったけれど(笑)ぼくの作品の登場人物たちには、実際の知り合いをモデルにつくったものはいない。








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