「指導委員会からの提言(岡崎範士より)」について

2024年2月号の月刊「弓道」(通称:弓道誌)に掲載されていたものを以下に転記しました。

指導委員会からの提言

岡崎廣志委員長に聞く

 社会規範・常識の変化に応じて全日本弓道連盟はどう進むべきか。全日本弓道連盟は「中期計画2023~2029」 (令和6年1月号)に基づき、各委員会で組織的に取り組みを始めています。

目的である
①弓道の継承
②普及振興
③公益性の追求さらにスロ ーガンである弓道人の Quality (質) & Quantity (量) UP!達成
に向けて、前号に続いて、指導委員会を代表して岡崎廣志委員長に具体的な提言をお聞きしました。弓道界の将来のために、現状を見直し、会員の皆様と共に改善を進める指針を語っていただきました。

指導委員会の方針として会員の皆さんにお伝えしたい点を教えてください。

岡崎 長年続けられてきた指導方法でも時代にそぐわず、修正が必要な点があります。委員会ではそこを見直していきたいと思います。見直しにおける大前提は「自ら考える」です。弓道は段位や称号等により序列がどうしても存在します。指導その他全般において上意下達となり、物事が言いにくい雰囲気・環境があります。 これらのことから、何事もいちいち指示を受けないと、判断ができないという指示待ち症候群が弓道界に常態化してしまいました。これを改善 するために、指導的立場の方は「決 め付けない」「押し付けない」ことを心掛け、指導を受ける方々の自立を促して自調整の心を育てること。まずは、これを根幹として指導の在り方を示して参ります。

具体的な改善点はどこですか。

岡崎 まず体配です。本来あるべき姿である射を活かす体配から、体配のための体配へと変化してしまいました。武道は己と対峙します。ですから、隙を作らないこと・生気体であること・集中を高めること・気の充実を図ること等これらに従い、射を活かす動作としての体配を厳しく言われていました。厳しくいさめられて来たことが今では形骸化してしまいました。全てを合わせるようにするという考えが問題なのです。合わせること自体が目的となり、前の人の動作を追い越さないということに考えが行き、そのため、目使いは大切と言いながら、目をキョロキョ口させて他人の動作を見ながら確認して動き出してしまうようになってしまいました。動作の流れを途中で止めて合わせてしまう。武道に限らず他のスポーツでも、動作の流れを止めたりしながらする所作は本来ありません。

 私たちは、「初心者は楷書で、慣れてきたら行書で、次に草書で」と流れるように所作を運びなさいと言われてきました。他の競技でも、一流選手は流れるようにスムーズな動きをするでしょう。ところが、例を挙げ ると、本座での揖一つまともにでき ない方が増えてしまいました。脇の動きを見て確認するため、ズルズルと遅れて揖をします。歩行でも前の人の足に合わせようと、足先だけでのソロソロ歩行になります。これでは弓道本来の集中心を欠くこと になり、武道の歩行とは言えません。

体配で心掛ける点はどこですか。

岡崎 合わせることと追い越し禁止という縛りをなくします。間合いを計り、揃うように心掛けることで全て解決します。今、審査会で立射の方が中に入ると、その前の人の動作が見えにくく合わせにくいからか、嫌がられることが多いですね。立射の方は坐射の間合いに合わせますから、後ろの坐射の方も通常の間合いでやれば、立射の方が前に何人いても本来関係ありません。
 歩行は、歩行中の目線で間隔を保ち、スッス・スッスと進んで来て射手間隔を整えましょう

入退場についてはいかがですか。

岡崎 現状見苦しい点が目立ちます。 礼の意義より、足を合わせることが目的となり、本来の三息の礼を二的以降は二息の礼にしてしまったのです。足に気を取られ本来の目的である心が伴わなくなってしまいました。 二的以降の人が付いてこられないので、大前はゆっくり歩くようになり ます。退場では、射手間隔が詰まっ てしまい、ゴチャゴチャします。以前、私たちは外で礼をして入場していました。バラバラの方法での入退場では困りますので、申し合わせが重要と考えております。以下指針として試してみてください。

<団体の場合〉

・入場
先頭の射手は、上座に向かって三息の礼をする。
二番目以降は、礼は行わず射手間隔で順次入場する。

·退場
最後の射手が上座に向かって三息の礼で退場する。

〈入場は団体だが、退場は個々に行う場合(審査会や競技会等)〉
・入場は、上記と同じ。
・退場は、個々に上座に向かって三息の礼で退場する。

〈個人の場合〉
・入場、退場共に上座に向かって三息の礼で行う。

他に改善したい点は何でしょうか。

岡崎 矢渡の第二介添の姿です。行く時は大急ぎで、蹲踞では体は崩れ 足が持たず、矢を抜くのもおぼつかず、帰りは途中で第一介添に合わせようと、ゆっくり歩行したり、急に早歩きになったりというのが現状です。介添は、射手を引き立てることが重要な役目です。観覧者の目が介添に向く仕草は介添の本分ではありません。介添の役割 本分を考え射手・介添の3人で、より良いものを求めればいい のです。工夫して実施してみてください。介添動作に規則はあ りません。今は高齢者が多くなり、若い方々の生活様式も変わっていますので、第二介添には 床几等の使用も考慮されても良いと思います。

女性の方が、大変苦労されている襷掛けについてはいかがですか。先般、襷掛けをしての入場が認められましたが。

岡崎 襷掛けの役割を私はこう考えています。弓は離れが大事(物事の 根本に関わる重要な事)と言われてきました。それは、射の成否・・・的中に大きく左右する要だからです。技術的にだけでなく、一気に煩悩が押し寄せ、心の制御が非常に難しい離所なのです。離れを成功させるために前の行程・八節等があり、その行程をスムーズに運ぶための重要な役割が体配にはあります。棒掛けは、それらを成し遂げるための身繕いでしょう。従来は、教本の写真にあるように襷をして入場しました。それ が男性の肌脱ぎと一緒に動作を行なおうと、櫻掛けが考案されたのです。

 但し、膝が立ってしまい弓矢を組 むことができないので、和服での審査は受審できないと諦める方がいる とうかがいました。多様性を重んじる現代においてこれではいけません。 昨年度までの基本計画委員会にてよく話し合って、櫻掛けをした入場を認めました。襷を掛けて入場または弓を置くこともよいと加えたのです。 襷をして入場されるも良し、弓矢を置いて襷掛けをするも良し、従来のように膝の上に組んでするも良し。 ただし、武道の命である武器(弓矢) を落とすことは好ましくないことで す。落弓したまま、襷掛けの動作を続けることはあってはなりません。 工夫して取り組んでください。

立射の襷さばきはどうなりますか。

岡崎 射に悪影響を与えたり、失敗して最初からやり直しをしなければならなくなったりする場合があることを考えて、立射の襷掛けは、やらないと決まりました。しかし、矢渡など単独の行射の際には行なうなど、工夫して取り組まれることは構いません。

そのほかの体配については何かありますか。

岡崎 射位で左膝を手の平一枚生か さなければならないと、体が傾く、ふらつく等してしまい、しっかり行射できずに終わる方が見られます。膝を生かすことは次の動作に瞬時に動けるための体勢づくりです。手の平一枚さらに踵は離さないと教本には書かれていますが、規則ではありません。生気体の構えで生かすこと が第一義です。一例として私の若い頃は左足を少し前にずらし100mm位膝を立てて、しっかり構えたものです。工夫して生気体を作ってください。 手の平一枚とはいたしません。

様々な提言がありましたが、審査での査定で不利になる事はないのですか。

岡崎 それを心配される方が多いですね。審査の際、受審者の不利にな らないように審査委員に提言について周知いたします。審査にあたっては、欠点探しをするのではなく、素晴らしいかの度合いで加点する判定 方向に進めたいと思っております。 会員の皆さんも、全てを決めてもらわないとできないということではなく、試行錯誤しながら見取り稽古を続け、良いところを取り入れてご自身の行射を磨いてください。大いに失敗を重ね、進化してください。はじめ は、当然ためらいや迷いがあるでし ょうが、それは「生みの苦しみ」です。 上からの強制がなければ皆さんの知 恵で、無理なもの・理に合わないも のは自然に淘汰されていくのです。 そして、弓道に親しむ方々の探求心 も育って参ります。指導的立場の方は、それを大きく広い心で受け入れ、見守っていただきたいと思います。

お話を聞いていると、のびのび と自分の弓を追い求めることができる気持ちになります。しかしながら、皆さんのやり方が勝手放題となり、まとまらなくなりませんか。

岡崎 勝手に好き放題で良いと言っているのではありません。あまり決め付けのなかった時代は、今よりはるかにお互いに心遣いしていました。

 決めることが多くなると「あなたは ここが間違っている」等と叱責するようになります。月刊「弓道」 202 3年5・6月合併号に「弓道教本が出来るまで」として座談会(昭和4年 1月) 再録記事が掲載されました。
以前は各流派があり、それぞれに作法の違いがあり、一同での演武はあ まりにもバラバラで成り立ちません。 それで、大きなアウトラインをまと め、細部は各自の判断に任せることにして決め付けなかったのです。そこには相手を尊重する精神があった のです。ですから、掲載記事の中には「あまり細かい抹消的なところは 統制しない方が良いと思う」とあります。この記事を多くの方々に再度 読んで戴きたいと思います。

 教本は規則ではなく、指針のような紳士協定なのです。皆さんがスム ーズに演武できるように、最大公約数を求めた申し合わせなのです。強制力を持つものではありません。副読本等は一つの事例にすぎず参考書 であり、当然強制力はありません。 それを盾に「あなたは間違ってい る」というのは、思いやりのない指導なのです。今後、講習会での副読本の持参は義務付けず、副読本を守らないからといって審査で不合格にすることのないようにいたします。

今後、指導の在り方が変わりますね。

岡崎 百人いれば百通りの弓があります。骨格も感性も考え方も人それぞれです。一つにすることは不合理です。全日本弓道連盟は公益法人です。弓道を愛する全ての方に応じた 団体であらねばなりません。指導者には、学ぶ方の目的・次元に応じた指導能力が求められます。その中から高みを目指し武道弓道に進まれる方も育てていただきたいと思います。

 講師の方々はマニュアルを伝えることが指導ではありません。自身の修練の中で得た引き出しの中から、 強制的ではなく、道案内・提供・参考として知見を開示してください。 選択は受講生がするものです。全日本弓道連盟からではなく、「自分はこのように考えている」「このようにしている」と、自身の名で自信を持って開示してほしいのです。ですのでこれからは講習会においては講話が重要になってきます。

 今回は、間口をあまり広げず、体配における課題を取り上げました。 審査等では的中率は二割台という酷いありさまです。原因は、体配で減点されないようにと合わせることに気を取られ、集中心を欠くことにあると考えます。自分の日頃のリズムで行射できなければ、良い結果を出しようがありません。体配が射を生 かすどころか殺すことになっては本末転倒です。体配の見直しから改善の第一歩を、と考えております。以下、現在の方針をまとめます。
・指導にあたる方は、規則以外は、強制・束縛しない(ハラスメント行為に注意する)
・行射の際は、教本から大きく逸脱して他人に迷惑をかけない
・体配において周りと合わせることに心をとらわれず、前の人の動作の追い越しを気にしない
・弓道界全体で、各自の権利を尊重し、自立を促し自主性を育てていく

 提言の目的を熟察され、自分で判断し対応してください。武道はあらゆる状況に瞬時に臨機応変に対応することが求められます。いろいろ申し上げましたが、現在の状況を生んできたのは単に「指導的な立場である我々」の責任であり、大いに反省しなければならないと痛感しております。自戒を込めて申しますと「高段だから尊いのではなく、信頼されて初めて尊い存在」なのです。

 弓道界の未来の発展のため、全弓 連「中期計画2023~2029」の目的(弓道の継承、普及振興、公益性の追求)遂行のため、上記の改善に皆さまのご理解とご協力をお願い申し上げます。


ということで、月刊弓道を購読していない人も少なくないと思いますし、また、これは連盟本部の考え方についてのものなので転記公開をしても問題ない、むしろ全弓道人が知るべきと考えました。

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