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26.不思議な事件(お題:スタンプ)

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それなりの年数刑事をやっていると、不思議な事件というものに出くわすことはよくある。そして不思議な事件というのは大抵の場合被害者として訴えてくる人に問題があることが多いというのも相場である。

先月、市内の地下鉄のスタンプが盗まれるという事件があった。駅員からの通報で、スタンプラリー用に設置しているスタンプが盗まれたということであった。当然ながら駅構内には監視カメラが設置されているので、ひと通りの状況を聞いた後はまずその映像をチェックするところから捜査が始まったが、事件は一瞬にして解決した。犯人は通報した駅員本人であったのだ。監視カメラには何の細工もなくスタンプをカバンに入れる駅員の姿が写っていた。本人曰く「自分が通報すればバレないと思った」と何とも浅はかなことを言っていたが、そもそもなぜスタンプなんぞを欲しがったのかも謎であった。結局厳重注意と減給の処分で起訴とはならなかったが、不思議な事件というのは大抵そんなくだらない理由が隠れているものである。

だが、今日この署に舞い込んだ事件は、そんな瑣末な事件とは比べ物にならないくらい不思議なものであった。

「岡島さん、戻りました」

自分の名を呼び、息を切らしながらやってきたのは後輩の深見である。今年赴任してきた若手であるが、どうやら左遷されてきたようで、最初はどんな問題を起こしてくれるかとヒヤヒヤしていたが、至って真面目で、いやむしろ真面目すぎるくらいである。今日だって彼女は休日であったはずなのに、連絡一つですっとんでくる、最近の若者とは思えない動きである。

「それで、寺島ゆきこはどんな被害に?」

事の発端は、寺島ゆきこの実家に届いた小包であった。

一年ほどこの地を離れ全国を転々として働いていた被害者が久しぶりに帰郷すると、実家に自分宛に小包が届いていた。とりあえず同封された手紙を読んでみると恐ろしいことが書いてあった。

「この1年間、あなたのふりをして過ごさせていただきました。あなたから盗んだものをお返しします」

その手紙のとおり、小包には身分証やアクセサリーなど、寺島本人のものがいくつも入っていたという。手紙にはさらに続けてこう書いてあった。

「あなたのふりをしてさまざまな人と連絡をとり、関わりました。そのために使った各種アカウントはすでに消してあります。関わった方々にも、私があなた、本物の寺島ゆきことは別人であるということは伝えてありますので、ご迷惑はおかけしないと思います。このような勝手をして申し訳ございませんでした」

被害者は盗まれたことにも気がついておらず、しかも盗まれたものも返ってきているので、これが何か犯罪になるのかどうかもわからなかったが、小包が宅配されたのではなく直接家に届けられていたことも含めてただひたすらに恐怖を感じ、警察に駆け込んだのだそうだ。
我々警察も滅多に見ないケースで困惑はしたが、窃盗が事実であれば例え返却されても罪には問われることになるので、一旦窃盗の線で事件とすることになりそうだ。

「なるほど…寺島ゆきこは犯人に心当たりなど無いのですか?」

「あぁ、そうみたいだな。1年前のことだし、細かいことも覚えてないだろう」

メモ帳に書き込んだりページをめくって何かを照らし合わせたりしながら、深みはぶつぶつと呟いている。やがて何か決めたように表情を固めた。

「わかりました。寺島ゆきこは実家に戻りましたか?」

「いや、実家の住所は犯人に知られているから、しばらくは母親と一緒に市内の親戚の家にいるそうだ」

「そうですか、私ちょっと会いにいってきます」

「ちょっと待て、どうせ明日にはまた来てもらうことになっているんだ、余計なことを…」

最後まで聞かないのが当たり前かのように深見はさっさと行ってしまった。若く勢いがあるというのはいいことだが、いかんせん突っ走り過ぎな気もする。
しかし、かつては上司である中條さんもあんな感じで気がつけばすぐ動いてしまうような人であり、それについて走り回っていた時代もあったことを思い出すと、何だか懐かしい気もする。

部署に戻ると、その中條さんが相変わらず腑抜けた様子で座っている。

今年の夏以降ずっとこの調子である。それこそ、今深見が事件でもないのに一生懸命追いかけている例の事件がまだ事件として扱われていた初期の頃までは、中條さんもまだマシな方だった。
奥さんが子供を連れて実家に帰ってしまったあたりから元気はなかったが、仕事で手を抜くような人ではなかった。それが今年の夏以降、まともに仕事もしなくなり、すっかり窓際に落ち着いている。自分から干されにいく刑事なんて見たくなかった。ましてやそれが、自分が刑事になって初めて憧れた人であれば尚更だ。

「中條さん、深見のやつ、すっかり張り切って出て行きましたよ。今日はあいつ休みだっていうのに、頑張りますね」

あぁ、と消え入るような、呻き声のようなものが微かに聞こえるだけで、中條さんは表情のひとつも変えない。
認知症の親を介護するのはこんな感じなのかなと稚拙な想像をしつつ、手元の資料に目を落とす。

寺島ゆきこの相談内容が記録してある。そして机の上の資料の山の1番上には、今年の夏の2つの死亡事案の記録も積まれていた。多少なりとも関連があるということで、先ほど引っ張り出してきた。
改めてみると、何とも言えない事案である。同じ日、同じ時間帯に、100メートル圏内で2名の死体が出た。一つは飛び降り、もうひとつは病死である。

それぞれ、最後に連絡をとっていた人物が同一だと思われたため初めは事件として扱われたが、検死の結果至って不自然なところはなく、すぐにそれぞれただの自殺と自然死として扱われることになった。
同一の人物とのやり取りに関しても、特に怨恨など事件性のあるやり取りではなく、また近隣の監視カメラなどにも当人たち以外の姿はなく、他者が関わった形跡はなかった。

時々こういった「何かありそうで無い事件」というのは起こりうる。というよりも、我々人間が勝手に関連づけてまるで事件が起きたと勘違いしてしまうということはそれほど珍しく無いのだ。普通ではありえないと思うような偶然というのは、案外頻繁に起こっているものである。

ただ1つ不可解なことがあるとすれば、この事案に関わる人の中に、なぜか異常にのめり込む人がいるということである。とあるメディア記者の山中という男ともう1人菊野という男の2人も、そののめり込む人の代表だ。山中の方は先日事故に巻き込まれて大怪我を負った。

何の因果関係もないはずだが、因果関係を感じざるを得ないようなことはままあるものだ。

そしてこの事案に関わったものが必ず口にするキーワードがある。それはこの署内でも一時期はよく噂のネタになっていた。

「白いマフラーの女、ね…」

目を通した資料を再び机の上の山に戻しながら呟くと、斜め向かいの机から、荒い息遣いが聞こえてきた。

「どうしました?中條さん」

中條さんの様子が少しおかしい。息が荒く、汗をかいている。

「中條さんっ!誰か!救急車を!」

駆け寄ると、胸を苦しそうに押さえている。心臓に何かあったのだろうか。声をかけるも反応がない。ズボンのベルトを外し締め付けを弱めた上で、楽な体勢になるように横たわらせる。
呼吸を聞くために耳を近づけると、何やらうわごとのように話しているようだった。

「中條さん、聞こえますか?大丈夫ですよ!」

声をかけるも、息は弱々しくなっていく。
AEDを用意するよりも早く、救急車が到着した。中條さんはすぐに救急車に乗せられ、自分も付き添いで乗り合わせた。救急隊曰くまだ呼吸も脈も止まってはいないのでおそらく大事にはならないだろうとのことであったが、苦しむ中條さんの姿をみてじゃあ大丈夫かと安心できるわけもない。

救急車が信号で一時スピードを落とした時、中條さんが自分の方へ手を伸ばしてきた。
何か伝えたいことがあるのかと寄ってみると、中條さんはやはり何か呟いていた。はっきりとは聞き取れなかったが、それは何か謝罪のように聞こえた。奥さんと子供に誤っているのか、自分に誤っているのかわからなかったが、ただ絞り出すようなその声が耳に残り続けた。

病院に着いて、中條さんのご家族に連絡をした。すでに他の署員から連絡を受けていたようで、すでにこちらに向かっているとのことだった。無事病院に着いて処置が開始したということだけ伝え、深見にもこのことを伝えた。まだ寺島ゆきこの元に行く前で、すぐにこちらにくるそうだ。

自販機でコーヒーでも買って飲もう。少し自分も焦りすぎて、落ち着く必要がある。

自販機を探して廊下を歩いていると、看護師とすれ違った。すれ違って数歩進んでから、何かとてつもない違和感を感じた。慌てて振り返ると、先ほどの看護師はエレベータに乗り込もうとしている。急いでエレベータの方に向かうと、ギリギリで扉が閉まり切った。

しかしその最後の瞬間、確かに見た。

その看護師の名札に「寺島ゆきこ」と書いてあったことを。

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