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16.出会う2人(お題:自動販売機)

病院の3階、入院病棟のエレベーター前の休憩スペースで、菊野達弘は缶コーヒーを片手に座っていた。時折、低い唸り声を上げる自動販売機の気配を感じながら、ひとしきりの安堵感を味わっていた。

同僚で同期入社の山中がいなくなったという報せを聞いたのは、昨日の昼過ぎであった。朝から山中の姿を見てはいなかったが、その前日が飲み会であったこともあり、取材現場に直行することにしてまだ寝ているのだろうと職場の誰もが思っていたが、山中の奥さんから会社に連絡があったことから皆がざわつき始めた。誰からも連絡はつかず、家や会社の周辺にも気配も痕跡もないことから、不安になった奥さんが警察に届けを出す運びになった。

達弘は警察の刑事課にいる中條という古い付き合いの刑事を尋ねたが、管轄が違うと追い返されてしまった。中條は山中とも知り合いであるし、かつての彼であれば管轄が違えども動いてくれる男だったはずだが、そのやる気と覇気のなさに達弘も少し戸惑っていた。

ともかく、頼るところがないのであれば自分の足を使うしか無く、後輩の長谷川と高橋とも連携をとりながらあちこちを探し回った。思いつくところは手当たり次第回ったものの、結局何の手がかりもないまま1日が終わろうとしていた。

日も変わり、流石にそろそろ一旦切り上げようとした時、山中の奥さんから連絡が入った。山中の携帯を拾ったという人物から連絡があったのだそうだ。山中の自宅からそう離れていないとあるアパートの一室の前に鞄とその中身が散らばっていて、その家の住人が帰宅した時に気がついたのだそうだ。その住人はしばらく家を空けていたのだそうで、いつからあったかなどはわからないとのことだった。やっと見つかった手がかりと共に、山中本人が携帯やらといった連絡手段を身につけていない状態であるということが顕になったことで、菊野たちの不安はより募ることになった。

その不安が解消されたのは、結局一夜明けた次の日、今日の午前中のことであった。

市内の病院から職場に連絡が入り、昨日の朝方に山中が病院へ運び込まれていて、今日まで意識を失っていたということだった。持ち物を何も持っていなかったため誰にもれんらくがつかず、意識の戻った山中から職場の連絡先を聞き出せたことでようやく我々の元へ伝達された。

ちなみに一番最初に会社に連絡が来たのは、山中が自宅や奥さんの電話番号を記憶しておらず、会社名だけが唯一連絡先につながる情報だったからだそうだ。電話番号は全てスマートホンが記憶してくれているから、本人の頭には頭の3桁しか入っていなかったらしい。確かに今自分もスマートホンを取り上げられたとして、すぐに電話番号がわかる相手がどれくらいいるだろうと考えるくらいには、達弘の精神も落ち着きを取り戻していた。

再び、「ぶぅー」と低い音を立てて自動販売機が唸ったと同時に、廊下の向こうから菊野の奥さんの歩美が歩いてきた。達弘は一度山中の病室に見舞いには入ったが、すぐに歩美もやってきたためしばらく席を外していたのである。

いつもは活発な歩美も、流石に焦燥と安心で疲れ果てているようで、弱った声で達弘に話しかけた。

「本当に、この度はご迷惑おかけしました」

「いいえ、無事でよかった。本当に」

歩美はしばらく頭を低い位置にしたまま続けた。

「最初はまたいつもの飲み過ぎでどこかで寝ているのか、くらいに思っていたんですが、何だか急にすごく不安になって。ここのところ、ちょっと様子も変だったから。ずっと聞けないでいたんですけどね。何か必死で調べているようで。仕事のことに口出しはしないと思っていたんですけど、もしかしたらないか危ないことに首を突っ込んでいたのかもと思ったら、不安で…」

脈絡もなく、何か堰を切ったように話す歩美をそっと止めるようにして達弘が割って入った。

「それなら、僕も責任があります。一緒に調べていたことがあるんです。とある事件というか、出来事について。特に何もないのに2人とも気になってしまって、子供のようでした。一昨日ちょど、そろそろやめようと話していたところだったので、多分もう大丈夫かと」

山中の怪我の原因は、まだ意識が戻ったばかりで記憶も曖昧な山中の話によれば、飲み会後タクシーを降りた後、気がつくと知らない道をフラフラと歩いていて、よろけたところに通りかかった車と接触したことだったらしい。車はそのまま行ってしまったため、ほどなくして通りかかった近所の人が救急車を呼んでくれたことで何とか助かった。

菊野は以前に古い友人である風間尊から言われた言葉を思い出していた。

呪いっていうのは一種の催眠だ。何かと誰かを関連づけする「意識」を作るものなんだ。人は日常的に自分を自己暗示しながら生きているんだよーー

元々は全て、山中が言った「白いマフラーの女の呪い」という言葉がきっかけだったのではないかと達弘は思っていた。

何の関係もない二つの死亡事故、その間にある寺島ゆきこという共通点。たったそれだけのことで何を躍起になって調べていたのか。そこに何の関連性があるというのか。今回の山中の失踪も、それらの事故に関連のあることなのではないかと達弘は思ってしまっていたし、それが山中の奥さんである歩美にも波及していたことが、達弘にとっては何よりの驚きであったし、歩美に対して「例のことを調べるのはやめるから、もう危険はない」と、この一連の出来事に関わると危険だいう無意識の紐付けをしてしまっていることも、達弘にとっては心外であった。

それだけ、この出来事が自分に与えた影響が大きいものだったのだと達弘は心の中で感じつつ、歩美が一旦荷物を取りに家に帰るのを見送った。

山中はまた痛み止めを打って眠っているらしいので、達弘は再びエレベーターの前の休憩スペースに腰を下ろした。

この一連の事故が何の関連性もなく、自分たちが勝手に関連性を感じ生み出した呪いだとして、どうしたらその呪いを解くことができるのだろうと達弘は考えていた。

関連性が存在することを証明することよりも、関連性が存在しないことを証明する方が難しいというような話を聞いたことがある。風が吹けば桶屋が儲かるという諺があるが、それと同じで極論この世の全てのものは何かしらの影響を受けあって存在しているのであるから、無関係であるとは言えないのかもしれない。

だとしたら、この呪いを解くには、ただひたすら時間が過ぎるのをまって、忘れていくしかないのだろうか。何かもっと自発的に、根本治療でも対処療法でもいいから、呪いを取り除くことはできないものだろうか。

今度また、風間に聞いてみよう。

達弘がそんなことを考えていると、またしても低い音を立てて自動販売機がうなりを上げた。まるで達弘の思考が行き過ぎないよう制止するようにタイミングよく鳴る自動販売機は、もう1人の人物を迎え入れる合図であった。

ぴんっ、という音と共にエレベーターの扉の上のライトが点滅し、開いた扉から小柄な女性が1人降りてきた。歳の頃は20代半ば、ピンと伸びた背筋は体幹だけでなく人間としての芯も感じさせるほどに整って見えた。よく見れば体は小さいが華奢ではなく、ある程度鍛えられているように感じる。

達弘はどこかで見たことがあるような気がしてつい女性の顔をじっと見てしまった。

「もしかして、菊野さんではないですか?」

急に自分の名前を知らない人に呼ばれた達弘は、驚きつつも咄嗟に返事をしてしまっていた。

「あ、はい、そうですが。どこかでお会いしましたっけ?」

「いえ、お会いしていないかと。初めまして。私こういうものです」

彼女は背広の内ポケットから手帳を取り出して見せた。中條のその動きをよく見たことがあった。警察手帳である。深見七恵という名前と、端正な顔つきの写真は、確かに目の前のその女性と同じである。

「警察のかたでしたか。でもなぜ僕の名前を?」

「失礼いたしました。昨日おたくの会社に伺った際に、山中さんの同期に菊野という方がいると伺っていたので、もしかしたらと思いまして」

それだけでは自分が菊野だとどうしてわかったのかという回答には全くなっていないが、気にせずに続けることにした。

「そうでしたか。山中に会いにきたんですよね?今は眠っているので、また後が良いと思います」

「わかりました、ありがとうございます」

深見はそういうと、当たり前のように達弘の隣に座った。

初対面同士で、やや気まずい時間が流れる。

「菊野さんも例の事件を調べていらっしゃったと聞いています」

「ええ、まぁ」

「実は、私も今調べていまして」

達弘は以前、中條にもっと事件のことを調べないのかと聞いたことがあったが、その時には中條はすでに腑抜けであったがために、警察からのこれ以上の情報を望めないと思っていたが、不意に現れた深見の一言によって、状況が変わっていく音が聞こえるようだった。

「何か、わかりましたか?」

「いえ、特に進展はないのですが…」

深見はカバンから何やら白い本を取り出して続けた。

「この本、もしかしたら今回の件に関係があるかもしれなくて。何かご存知ないですか?山中さんも、この本を手にしていた可能性もあるのですが」

達弘は、一昨日の飲み会で山中に渡されたそれをまだコートのポケットに入れたままだった。

白い表紙、タイトルも著者もわからないその本を達弘も取り出した。

「え、それって…」

深見と達弘は思わず目を合わせた。

また一つ呪いを忘れることのできない理由が増えてしまったと、達弘はすでに気が重たかったが、それと同時にもしかしたら新しい何かがわかるかもという期待をせずにはいられなかった。

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