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31.本当の自分(お題:14年前の地図)
自分のことを知らない。
確かにそう言われたら誰だって自分のことほどよくわからないものはないと思うだろう。ただそのことを他人に指摘されると、どこか腹立たしい気分になるのも否めない。
「俺が、俺の何を知らないって言うんだ」
思わず苛立ちを露わにしてしまった。風間は気にせず答える。
「君はね、君が自分で思っている以上に僕と似ているんだ」
風間と、俺が。
「似てない、と君は思うだろうね。多分そう言われるのは腹立たしいだろう」
その通りだ。
「でも気がついているかい?君は誰よりも僕の思考を理解できている。昔からね」
そんなはずはない。昔から、この男の言うことやること、不可解なことばかりで振り回されてきた。
「君は昔から、僕の実験には積極的に関わらなかったが、いつも結果だけは気にしていた。それはつまり、受動的なだけで僕と同じ傍観者なんだ。どうなるのか、知ることが重要なんだ」
傍観者。無害な人だと言われるのと同じくらい、言われてきた言葉だ。確かにそれは俺を表すのに適切な言葉だろう。でもそのことと、俺があいつと似ていることは別の話だ。
「確かに1番最初に君と関わるようになった生徒会選挙の時、あの時はまだ君と僕とは似てはいなかっただろう。でも君はすぐに僕の思考に順応した。多分、じっと観察していたんだろうね。君はいつも他人の仕草を観察する癖がある」
癖と言われれば確かにそうかもしれない。
「それももしかしたら僕からトレースしたのかもしれないね。僕も病的に人を観察するのが得意だから」
そう言われながらも、やはり風間の仕草を観察してしまう。
もうぬるくなっているだろう紅茶に一瞬息を吹きかけて冷まそうとしたのを見逃さない。
「君は、僕と星野くんと過ごした生徒会の1年間をそれほど重要な時間だと捉えていないかもしれないけどね、明らかに大きな影響を与えているんだ。君は僕を無意識にトレースして、星野くんは僕に憧れて模倣した」
さも自分が真似されたり憧れたりするのが当たり前のような言い草が少し癪だ。
「だから、わかるのさ。僕があの『噂話』の実験を悔しいと思っていると言ったね。つまりそれは君たち2人にも同じことが言えるんだよ」
風間の声がやけに気持ち悪く感じる。
「僕の実験を間近で見続けた君が、一緒に実験に参加したのはあの噂話の時だけだった。星野くんも君も、まだあの実験を終えられていないんだよ」
そうか、俺はもう気がついてしまったのか。風間と自分が同じ種類の人間だということに。これは同族嫌悪だ。
「僕が始めた実験を、星野くんが再開して、君が引き継ごうとしている。完成させようとしているんだろう?」
心当たりがあった。
「本を書くつもりだ、と言ったね。今回のこの事件を元ネタに。星野くんは100冊が限界だった。でも君なら仕事の伝手を辿れば、どこかしらからもっとしっかりと出版できるだろう?君はもっと広めるつもりなんだ。この噂話を」
自分でもきっと分かってはいたのだろう。しかし、見て見ぬふりをしてきたのだ。あえて定期的に風間に会うことで、風間という人間性が自分の外にあるということにしようとしてきたのか。あるいは補充していたのか。
「星野くんは自覚して計画を進めていたからね。まぁ僕が関与することもないと静観していたが、君は違う。このままだと無自覚で計画を進めてしまうだろう。そうすると僕も巻き込まれかねないし、何よりきっと、実現してしまうだろうと思ったんだ。だから、心配していた」
俺が風間をトレースしてこの行動に至っているのだとしたら、元凶はこの男の方のはずだが、なぜこの男はこんなにも冷静に心配などと言えるのだろう。
「お前はなんなんだ。お前も噂話の実験をもう一度やろうとしているんじゃないのか。なんで俺を心配するんだ」
風間はいつもの不敵な笑みを俺に向けた。
「もちろん。僕だってあの実験は諦めていないさ。でも君のやり方は少し強引だ。ただばら撒けばいいってもんじゃないだろう」
「俺はお前のトレースなんだろう?俺がやろうとしていることは、お前がやろうとしていることなんじゃないのか?」
「そうか、少し説明が足りていなかったね。君がトレースしたのは中学生の頃の僕だろう。あれから何年経っていると?時々僕に会いにきて多少は吸収していたかもしれないが、残念ながら時間が足りていないね。僕の本棚の並びだって、君にはほとんど理解できなかったはずだ」
確かに、今日くらい見てわかるものでなければ、本棚をどんなルールで並べ直しているのか、検討がつかなかった。だがーー
「その程度なんだって思っているだろう。じゃあもう一つ教えてあげよう。僕がいつからこの噂話の実験をもう一度やろうと考えているか」
勿体ぶるのはこの男の十八番だ。風間はテーブルの上のお菓子箱からクッキーを1枚つまんで、冷たくなった紅茶で流し込んだ。
「14年前さ」
14年前なんて、俺たちが十八歳やそこらの頃じゃないか。
「僕ら三人はそれぞれバラバラの高校に進んだが、高校を卒業した時に一度だけ三人で会おうとしたのを覚えているかい?」
あぁ、確かそんなこともあった。結局実現こそしなかったが、三人で集まって何かをしようって話したような気がする。
「あの時君は、あの高架下に集まろうと言ったんだよ。何をするとは言わなかったが、明らかに未練があることがわかったよ」
「まさか、そんなことで…?」
「あぁ。多分君は一生この悔しさを抱えて生きていくと確信したよ。そしてチャンスがあればまた挑戦しようとするに違いないと。その時から、僕は少しずつタネを撒き続けている」
意識を失ってしまいそうだ。自分が何者かわからなくなっている上に、その自分をかろうじて支えている風間という男の存在が、自分の理解の外に行ってしまう。
「星野くんが書いたたった100冊の本に、どうしてそんなに影響力があると思うんだい?君はたくさん彼女の作品を読んできただろう?申し訳ないが彼女には作品で人に影響を与えるだけの力も才能もない。君も読んだだろう?あの白い本を。内容にさほど面白味はなかっただろう。それでもなぜ、彼女のあの本は噂話を作ることができたのか」
「それは、あいつが寺島ゆきこになりすまして、直接色々と吹き込んだんじゃ…」
「残念だけどハズレだよ。あれは彼女の別の願望を実現するための実験さ。僕という呪縛から逃れるために、星野葵であることを捨てようとしたというだけの話だ。噂話とは、実は何も関係がない。たまたま重なった部分があるだけさ」
「じゃあ一体どうしてだ?」
「僕が今までに書いてきた作品だよ」
俺はわかりやすく自分の体がゾッとするのがわかった。
「ありがたいことに僕の小説はそこそこ評判をいただいていてね、この前も図書館で会った女性の刑事さんにファンだと言ってもらったよ」
つまり、自分の作品にタネを仕込んでいるということなのか。
「僕の作品を読んでくれている人ならね、多少の下地があるはずなんだ。噂話というものへの感度が育つように仕掛けているつもりだった。その下地のある人であれば、星野くんの作品を見た時に、多少なりとも何かの反応はあったんじゃないかなと思うよ」
この男は、俺や星野も計画の一部に組み込んでいるのか。
「まだ効果は実証していないけれど、まぁその辺はゆっくりと調べていくよ。なんせ僕は君たちみたいに焦っていないからね。ゆっくり時間をかけてやるつもりだ」
俺は、これからどうしたら良いのだろうか。
自分がとても哀れに感じる。
記者として働いてきた自分は一体何者だったのだろう。心の奥ではずっと、あの日の噂話の実験を完成させたいと思っていただけなのだろうか。たかが中学生の遊びをずっと引きずっていたのか。
どうしてあの事件にそんなにこだわるのか、自分でも不思議だった。ただちょっとした好奇心だと思っていた。しかし実際は、俺の人生の全てだったのかもしれない。こんなちっぽけなものが自分の人生を形作っていたのかと思うと、絶望すら感じる。
「君にこの現実を突きつけるのも忍びなかったがね。そろそろ潮時なんじゃないかと思って、話したよ。形は違うが、星野くんもすでに自分の人生を歩み始めている。君もそうしたらいい。残念ながら君は僕にはなれない。あくまでも模倣だからね。根本が違うんだ」
気がつけば11月になっている。
街ゆく人の中に、白いマフラーをしている人も当たり前に見られるようになった。もう白いマフラーの女というシンボルも、機能しなくなるだろう。
風間の家からの帰り道、またあのアンティークショップが目に入った。
店内に入ると、埃臭さにやけに安心する。奥の方にある年季の入った姿見に、再び自分の姿を映す。
これから俺は、俺になることができるだろうか?
自分の心で生きてきたつもりが、他人の心をトレースしていたのだと知った。言葉で否定することは容易だが、自分の心が納得してしまっている。
ずっと傍観者だった自分の人生を、これからは主観で生きていかなければならない。
星野はどういう選択をしたのだろうか。
寺島ゆきこになり変わるなんて選択肢で、本当に新しい自分になれたのだろうか。
結局逮捕もされて、これからどうするつもりなのだろう。
俺は、どう生きていけばいいのだろう。
鏡の中に映る自分を見つめても、答えがわかるはずもなかった。