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30.知らない自分(お題:紅茶)

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「良い紅茶をもらったんだ。飲むかい?」

風間尊はいつもコーヒーを淹れるのと同じように、達弘に紅茶を振る舞った。

紅茶を待つ間に壁一面の本棚を見ると、また並び方が変わっているようだ。だが今回の並びはわかりやすい。遠目で見ると、背表紙の色が綺麗に色相になっている。赤から黄色、緑、青とグラデーションになるようになっている。カラフルなのは上の2段だけで、あとのほとんどは白と黒とグレーのグラデーションになっている。そして白のいちばん端には、あのタイトルのない白い本が納められているのが見えた。

「星野が捕まったそうだ」

達弘はいきなり本題を切り出した。風間は動じることなく、紅茶の香りを楽しんでいる。

「そうみたいだね」

紅茶の香りは達弘も当然感じていた。リラックスできる香りだ。この話題を話すには冷静になれる分ちょうどよかった。

「お前、何も聞いてなかったのか?」

「特に、なにも」

風間という男は元来おしゃべりな男だ。聞いてもいないことをベラベラと喋る男が、紅茶に夢中なのか言葉数が少ない。

「あいつ、どうして寺島ゆきこに成り代わっていたのかって聞かれたら、実験だって言ってたらしい」

風間は紅茶をゆっくりと口に含んでその香りを楽しんでいるようだ。

「なぁ、それって、俺たちが学生の頃にしていた実験の、延長みたいなもんなのか?」

風間は一度ティーカップをテーブルに置くと、ようやく達弘の方を見て話した。

「前にも言ったけどね、星野くんとは君の方が仲が良かったんじゃないか。僕より君の方が彼女のことをよく知っているだろう?」

前回星野のことを思い出したあと必死で当時の記憶を再構築してみたら、確かに中学生の頃の記憶の中に星野がたびたび登場することには気がつくことができた。しかし、肝心の「星野がどういう人物だったか」が思い出すことができなかった。

「そうか、仕方がないね。じゃあ僕から見えていた君たちの話をしようか」

風間はそういうと、再びティーカップを持って、本棚の方を見ながら話始めた。

「君たちはよく会話をしていたが、そのほとんどは星野くんから君に話かける形だったように思うね。星野くんが書いた小説や詩を君に読ませて、その感想を聞く。あるいは、僕と星野くんで実験をした結果を君に話す。そんな感じだっただろう。
そこにいわゆる恋心みたいなものがあったかは知らないが、ただ星野くんはシンプルにアウトプットをしたがっていたのと、「君の」意見を聞きたいと思っていただろうね。彼女は僕に対抗意識を持っていたから」

「対抗意識?」

「そう、僕と一緒に実験に付き合ううちに、僕と彼女で大きく考え方が違うのが段々とわかってきた。僕は始めこそ『思い通りにしてやろう』って思って生徒会長選挙なんかをやってみたけど、結局のところ思い通りになったって何も面白くないと思うようになってね。実験の結果自体にはただどうなるのかという興味しか持たなくなったんだけど、彼女は違った。彼女はどこまで行っても『思い通りにしたい』というところに固執するようになったんだ」

思い通り。今回のなり代わりや、あの本も何かを思い通りにしようとしていたのだろうか。

「だから彼女は僕に意見を求めず、君に意見を求めたのだろう」

「俺だって別に、思い通りした方がいいとは思っていなかったぞ」

「君の場合は『無関心』だった、というのが正解だろう。彼女にとっては無害なことが重要さ」

無害な人と言われると、まぁ確かにそうかと納得してしまう。社会に出てからもよく言われる言葉だ。中学生の頃から同じだったのだと気付かされた。

「ともかく、彼女は好奇心がありなんでも思い通りにしたい。君は良い壁打ち相手。僕はライバル。彼女にとってはそんな感じだったんだろう」

「お前はどうなんだ。星野が思い通りにしようとするのを見て、何もしなかったのか」

「言っただろう、僕は『どうなるか知りたい』だけなんだ。彼女が思い通りにしようとした結果どうなるのか、それが知れればそれでいい」

やっぱりか、と達弘は確信した。この男は星野がやろうとしていることを全部わかっていて放置したのだ。最初の質問で「何も聞いていなかったのか?」と質問したのが間違いだった。この男であれば聞かなくても理解することなど容易だろう。

「やっぱりそうか。お前わかってて放置しただろう」

風間は紅茶をまた一口飲んだ。

この男の悪い癖なのだ。星野のことを好奇心があると言っていたが、この男に比べれば赤子も同然だ。この男ほど捻くれた好奇心を持った人間を見たことがない。例え目の前で苦しむ人がいたとしても、見たことのない場面であればこの男なら見殺しにしてでも観察しかねない。

中学生の頃、下校時に道端で這いずっているカラスを見かけたことがあった。足を怪我しているようで、立ち上がることができず、飛ぶこともできない。必死に羽をばたつかせるが、体力も少なくなっているのか徐々にあまり動かなくなっていく。
その様子を、風間はじっと見ていた。俺が帰ろうと言っても、もう少し見ていくから先に帰ってくれと言って、その場に止まった。風間にとってそれは見たことのない状況であり、それを観察したいという欲求がその他の良心やモラルを圧倒的に上回っているのだ。
そして決して自らは関わろうとはせず、決して触れることはしない。ただ傍観者としてじっと見つめるだけなのだ。

きっと、今回の星野の件も、星野が何をしようとしていて、どうなるのか、ある程度分かった上でその経過を観察していたに違いない。

しかし今回は言い逃れできない点が一つある。

「お前、なんで星野の本を作るのを手伝ったんだ?」

そう、風間は今回本の制作を手配している。本に落丁があったことを詫びると言っていたから、校正や検品にも関わっているだろう。これは静観ではなく、関与しているのではないか。

「まるで重箱の隅を突かれているようだね。別に、旧友の出版を手伝うことになんの問題があるんだい?」

達弘には風間がある一つにこだわっているのではないかという予感があった。

「『噂話』だよ。まだ諦めていないんだろう?」

風間の動きが一瞬ピタッと止まったような気がした。

「この前話した噂話の実験だよ。中学生の頃2人で、いや星野と3人で隣町まで噂のタネを撒きに行ってどうなるのかってやつだ。あれの結果がどうなったのか、思い出せなかった」

風間は本棚の方を向いたままだ。

「お前も覚えていないような風に言っていたが、そもそもどんな噂が生まれたのか、覚えているはずがないんだ。だってあの時、噂は広がらなかったんだからな」

達弘は、星野との記憶を思い出す中で、あの噂話の実験の結末も思い出していた。隣町から広めようとして埋めた噂のタネは、一向に芽吹くことなく、いつまで経ってもこちらの街に伝わってくることはなかった。

中学を卒業するときに、珍しく風間が後悔を口にしたことがあった。星野と3人で、隣町にばら撒いた噂のタネを仕込んだ缶を回収しに行った時だ。

「噂話、どうしたら広まったのかな」

ばら撒いた缶のうちいくつかしか見つけることはできず、3人でトボトボと帰ってきたことを思い出した。自信のなさそうな風間は後にも先にもこの時にしか見たことがない。

「あの実験のリベンジだったんじゃないか?あの巻末の挿絵もお前の提案なんじゃないか?」

少しの沈黙が流れる。

「まるで名探偵が犯人を名指しする時みたいな口上だね」

この状況でも風間という男はそのキャラを崩さない。これはキャラじゃなく素の人間性だからだろう。

「悪いけど、そこまで僕はねちっこくないよ。確かにあの噂話の実験は悔しかったけれど、別に今更どうしたいとも思っていないさ。星野くんのやることに、僕は口を挟んじゃいない。ただ…」

風間は達弘の方を見て、顔を覗き込むようにして続けた。

「君の心配はしていた」

「俺の心配?」

風間の言葉は達弘にとって意外であった。この話のどこに自分が出てくるのだろうと。

「星野くんが出版の話を持ってきて中身を見た時に、確かに大方彼女のやりたいことの予想はついたよ。何かしらの噂話のようなコントロールをしようとしているのだろうとね。なり代わりをしようというのはわからなかったけども。ただ、もしこの彼女の計画に君が気がついたらと思うと、心配だったんだ」

風間が何を言わんとしているのかが達弘には掴めなかった。

「どういうことだ、俺がこの計画を知ってどうなると思ったんだ」

風間はソファに深く腰掛けて、小さくため息をついた。

「君は自分が思っている以上に自分のことを知らないんだな。まぁ、だからこそ危うくて、心配になんだが」

風間はどこか気が重そうに話を続けた。

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