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27.思い出の花(お題:シナの花)

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福岡の6月は、北国の故郷と比べるともう夏が来たのかと思うくらいに暖かかった。日差しと気温もさることながら、何よりその湿度に驚かされる。ずっと温室のなかにいるかのようなまとわりつく暑さに、気が滅入りそうになる。

まだ気温はそこまで高くないはずだが、故郷のまたつと比べても遜色ないくらいに暑さを感じる。

とはいえ、初めての福岡にはちゃんとワクワクしている。

何よりも驚くのは空港から街までの近さだ。S市なら空港からJRで快速でも40分くらいはかかるが、福岡空港から博多までは地下鉄でわずか二駅だ。飛行機で降り立つ時にすでに街が目に入る時点で驚きだった。
そして次に驚いたのは博多、中洲、天神と主要な街が歩いて回れるくらい近く、オフィス街から下町、ショッピング街と多様な顔の街が密接していることである。特に中洲の雰囲気は故郷にはない風情があり、歴史のある街というものをとても羨ましく思う。

故郷を離れ、日本各地を巡りながら仕事をすることに決めて、まず最初に選んだのがこの福岡だった。特に理由はなかったが、とにかく今までと全く違う土地を目指した時に、1番最初に目についた街だった。食べ物も美味しいとよく聞いていたし、気候的にもちょうど良い暖かさだと思って選んでみた。実際は思ってた以上にその暑さを痛感することにはなったが、海の近い街というのも新鮮で心地よかった。

この日は中洲の少し北、東区の恵光院という寺院に来ていた。

目当ては釈迦がその下で悟りを開いたとされる菩提樹という木で、ちょうど今頃が花をつけて見頃になるのだと聞いたので行ってみようと思った。
お寺の敷地は新しく綺麗で、派手さはそれほどでもないが立派なお寺である。
肝心の菩提樹は、お宮への参道の途中に思っていたよりもひっそりと控えめに佇んでいた。薄黄色の小さな花がいくつも寄り添って、下へこうべを垂れるように咲いている。花本来の可憐さとお寺の厳かさが相まって、自分が小さく感じるほど凛々しく見える。
元々はあまり花を見たりして感動するタイプではないが、故郷を離れた今の心境でこういう体験をすると、何か今までと違う感覚になる。何か自分の中で新しいものが生まれそうというか、何か新いものと出会えるような予感がする。

しばらくぼうっと菩薩樹の花を眺めていたら、近くのベンチに腰掛けて休んでいるお婆さんが話しかけてきた。

「シナの花は綺麗でしょう」

シナの花、というのは菩薩樹の花の別名、というよりも本名というべきだろうか。事前に調べたので知っていた。

「ええ、とても素敵です」

「観光かい?どこから?」

「北海道です」

「あれまぁ!ずいぶんと遠くから」

お婆さんは地元の人で、菩提樹の花が咲く頃にこのお寺で来週開かれるお祭りの手伝いで来ていたらしい。しわくちゃな顔と手を一生懸命に動かしながら笑うのがとても可愛らしい。

「いやぁ、うれしいねぇ。こんな若い子が来てくれて。福岡でわざわざこっちにくるなんてめずらしいでしょう」

何気ない会話でも、これほど癒される感覚があるのが不思議だった。看護師の仕事をしているとお年寄りの相手をすることも多かったが、こんなふうにちょっとした会話をするにもどこか義務感があって、仕事としてやっていたのだなと改めて感じる。決して嫌いではなかったが、やはりどこかで閉塞感があったのだろう。

「あれ、こんな時間だ。これを運ばにゃいかんのよ」

そういうとお婆さんは大きな風呂敷を担いで立ちあがろうとするので、慌てて手伝う。

「いやぁ悪いねぇ。ちょっとそこの寺務所までなんだけど、頼めるかい?」

「もちろんです」

お婆さんと荷物を支えながら寺務所に送り届け、お礼に飴玉を一つもらった。この街に来て初めての報酬である。なんとも心が洗われる気持ちだった。

再び先ほどの菩提樹に戻ろうとした時、持っていた鞄がないことに気がついた。
お婆さんの荷物を持つ時にどこかへ置いてしまったのだろうか。慌ててさっきお婆さんが座っていたベンチに戻る。

しかしそこに鞄はなく、近くにもないようだ。

もしかしたら、神様がもっといろんなものを手放せと言っているのか?と思ったが、でもここはお寺だから仏様か、なんて案外悠長に考えていると、声をかけてくる人がいた。

「あの、もしかしてこの鞄をお探しでしたか?」

振り返ると、すらっとしたスタイルに白い肌が美しい女性が立っていた。白のワンピースがよく似合っている。化粧っ気はあまりないが整った顔立ちで見栄えがする。今どきな丸メガネもよく似合う文系女子という雰囲気だ。

そしてその手には私の鞄があった。

「そうです!ありがとう、助かりました」

「いいえ、確かさっきここでお話ししている方だったかなと思いまして。それと、ちょっと聞こえたのですがあなたも北海道からいらしたのですか?」

「あなたも、ということは、あなたもですか?」

「はい、北海道から、1人旅で来てまして」

聞くと、同じS市から来ているという。時々全国の色々なところを巡っているのだそうだ。

「お名前、お聞きしても良いですか?」

彼女の透き通る声は、じめっとした福岡の空気を一瞬切り裂いて爽やかにするようだ。

「寺島ゆきこといいます」

「ゆきこさん、素敵なお名前ですね」

自分では昔からゆきこという名前をあまり気に入ってはいなかった。ちょっと古風な名前っぽくて、しかもひらがなで書くからあまり意味もわからず、特に思い入れもなかったが。家を離れ、故郷を離れた土地で初めて自己紹介をして、素敵な名前だと言われると、なんだか全てを認められたような気がしてありがたい気持ちになった。

彼女の透明感がそう思わせてくれたのかもしれないが、とにかくこの街に来て最初に出会った人がこの人でよかった。

「あなたは、お名前は?」

私はーー


そこまで思い出したところで、携帯電話の着信音で現実に戻ってきた。

初夏の福岡とは正反対の、晩秋の北海道。地元ではあるが慣れない叔父の家で、母親と2人しばしの間借りをしている。

電話は、先日訪ねてきた刑事さんからだった。

「はい、寺島です」

「寺島さん、深見です。お忙しいところすいません。あれから何か思い出しましたか?」

今ちょうど思い出すところだったのをあなたに邪魔されたのよ、と口から出かけて飲み込んだ。

「いいえ、特には。また明日署に来るよう言われているので、またその時に」

「そうでしたか、すいません。ではまた明日」

熱心なのは良いが、がむしゃらに体当たりしてくるような古風なスタイルというのも今どきいかがなものだろう。私よりまだ随分と若い刑事さんだったが、洒落っ気もなく男っ気もなく、仕事一筋というあの感じは昔の自分を見ているようでヒヤヒヤする。同族嫌悪というものだろうか。とにかく、仕事にどっぷりと浸かりきっている彼女を見るのは、今の私には少し重たく感じる。

そんなことよりも、思い出しかけたあの人の名前は、一体何だっただろうか。

多分あの時、私の個人情報を盗まれたのだと思う。ホテルでも基本的には自分の荷物は自分で持つから、空港以外で荷物を誰かに預けたのはあの時くらいしかなかったはずだ。

ほんの一瞬のことだから頭になかったが、きっとあの時のあの女が、私の個人情報を盗んで、私のフリをしてこの街で1年間過ごしていたのだ。

最初あの小包を見た時、あまりの突拍子のなさに驚くこともできなかった。だが次第にことの重大さに恐怖心が膨れ上がった。何よりもその小包が郵送ではなく自宅に直接送られていたことがその恐怖心を高めた。

急ぎ警察に連絡して事情を説明しようとしたが、自分でも一体何が起こっているのかわからなかったので説明に時間がかかった。ひとまず盗難被害に遭ったということで一旦は処理してもらえることになり、住所を知られているので実家にそのままいるのも怖いので、市内の叔父の家に居候することになった。

それから1週間経って、感情が恐怖心から徐々に怒りへと変わっていくのがわかった。なぜ、どうして私のフリなんかをしたのか、私のフリをして何をしたのか、そしてなぜそれを私に知らせたのか。何一つも理解できず、ただ恐怖に晒されなければならないのが腹立たしい。

そして極め付けは、私の人生を変えることになったあの福岡での日々、その思い出にも恐らくその犯人が紛れ込んでいるということである。
あの小さな薄黄色のシナの花の美しさも、お婆さんとのふれあいも汚されてしまった気分である。

せめてあの女の名前だけでも思い出すことができたらーー

無駄にイライラを増幅させていると、母と叔父が買い物から帰ってきた。慌てて実家からこちらにきたから、母親の生活に必要なものがほとんどなかったのだ。今日は叔父が休みだったため、ようやく車で買い物に行けたのだ。

「ゆきこ、見て、これ。星柄のセーター。可愛いでしょう?」

そう言いながらひょこひょこと部屋を跳ね回る母親を見ると、その天真爛漫さに驚かされる。この人はこんなに無邪気に人生を楽しむ人だっただろうか。もしかしたら、1年前の自分がそんな母親のことをちゃんと見れていなかっただけかもしれない。

思い出は汚されても、この1年間で私が得たものは誰にも汚すことはできないのだと、母親に勇気づけてもらった気がした。

母親は値札をつけたまま星柄のセーターを着てまだはしゃいでいる。

星。

最後思い出せなかったあの女の名前がフラッシュバックした。

ーー私は、星野葵と申します。

私はすぐにあの刑事さんに電話をかけた。

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