17.故郷の匂い(お題:お寿司)
久しぶりに帰ってきた故郷で、美味しい鮮度のいいお寿司でも食べようと思って街を歩いてみると、すっかりと海外からの観光客向けにカスタマイズされた商店街の様子に驚いた。店の前に立っている呼び子も、ダンボールで作った中国語や英語の書かれた看板を胸に下げて、呼びかける言葉も外国の言葉である。歩いている人の半分以上が観光客のようで、歩くスピードが遅いことに若干の苛立ちを覚えてしまう。
最初は変わった街の様子に少し興奮もしたものだが、珍しがって見たことのないお寿司屋さんに入ったことをものすごく後悔した。決して美味しくないというわけではないが、確実に値段とクオリティに差があった。この程度の味なら、安い回転寿司屋でも十分だ。それがランチのセットで4000円もするのだから、腹立たしい。安易にそんなお店を選んでしまった自分に、というのも含めてであるが。
苛立ちも相まってさらに歩くスピードが上がってしまう。
久しぶりに帰ってきたのだから、内心もっとゆっくりと街を見て歩きたい気持ちもあるはずだが、今はとにかく一度ホテルにチェックインして、一息つきたい気分だ。
戻ってきての住居をまだ決めていないので、週明けからは地方の実家に戻ってしばらく過ごす予定だが、せっかくなのでこの街で3泊のホテル生活をすることにしている。
こちらに帰ってくる前に、この街を離れる前に時々会っていた高校の同級生に連絡をしてみたが、リアクションもなく電話も繋がらなくなっていた。少し心配な気もするが、あちらにも何か事情があるのだろう。確か子供もいたはずだし、母親というのはどうしようもなくやることがたくさんあるということもよくわかっているつもりなので、また落ち着いたら連絡してみようと思う。
それよりも残念なことは、その友人以外にこちらから会いたいと思えるような人がこの街にはいないということである。故郷というのはそういうもんだろうか。いや、故郷のせいにするのはよくないな。これはどう考えても私がそういう人生を送ってきたことが問題なのだ。
小さい頃に父親が死んで、ずっと母親と母方のおばあちゃんと女3人、実家で暮らしてきた。決して裕福なわけではなかったが、母親は看護師をしていたため、仕事に就けなくて困るという姿は見たことがなかった。特別辛い姿も、やりがいがあって幸せだという姿も見なかったが、その普通の様子が私にはとても魅力に見えて、自分も看護師を目指すことになった。
当時の私は、普通というのはとても幸せなことだと思っていた。
普通に学校に通って、普通に仕事をして、普通に生活ができる。それ以上のことを求めて大きな波が生まれるくらいなら、静かな凪の時間を過ごせればいいと。
ただ、看護師になって5年ほど経ったころ、自分が普通ではないということを知ってしまう。
27歳の時の健康診断で、子宮頸がんの診断を受けた。ステージはまだ初期であったが、かなりのスピードで進行しているらしく、子宮の全摘出をする選択を迫られた。
当時の私はまだ仕事にがむしゃらな時期で、恋愛や結婚に対してはもっと後になってから考えれば良いと思っていたし、そもそも自分には必要のないことだと思うくらいであった。だから、子宮摘出という言葉を聞いた時に自分がこれほどショックを受けるとも思わなかったし、落ち込むとか絶望とかそういう落ちる感覚ではなく、ただ一瞬で全ての感覚が遮断されて、世界すらもなくなって、ただ1人何もない空間にいるような、そんな感覚に陥った。
辛いと感じたのは、母親とおばあちゃんが私以上にショックを受けて、私よりもたくさん泣いてくれたことであった。私にとってたった2人の家族に一番幸せな表情をさせてあげられる術を、私は失うのかという事実に、初めて絶望を覚えた。
結局手術を受け、27歳で私の一つ目の人生が終わった。
そしてそこから新しい人生が始まるのには、それほど時間はかからなかった。
もう「普通」の女性のように子供を産んで育てることができなくなったことで、今まで一番だと思っていた普通というものが、自分にとって何の意味も持たなくなった。
何をしていても普通であることがむしろ疎ましく、もっと自分の奥底の心の気持ちに従うべきだという声が聞こえてくるようになった。仕事も生活も、もっと自分のやりたいようにやってみるべきだと。なぜなら、またいつ知らぬ間に自分の大事なものを大事にできなくなるのか、わからないからだ。
私はすぐに仕事を辞め、貯金を使って母親とおばあちゃんと国内外のあちこちへ旅行へ出かけた。一年の間に十ヶ所は行っただろうか。母親もずっと働いて私を育ててくれていたから、まともに旅行に行くこともなかったのでとても喜んでくれたし、おばあちゃんも「人生の最後に、孫にこんなしてもらえるなんて、いい人生だわ」としわくちゃの笑顔を返してくれた。
そのうち、おばあちゃんは持病の心臓が悪くなっていって、入退院を繰り返すようになったのであまり遠出はできなくなり、ほどなくして亡くなった。最後におばあちゃん孝行ができたことが、自分の最後の鎖を解き放ってくれた。
それから、私は生まれ育ったこの街を出て、新しい人生を生きることにした。母親を1人残していくことは気がかりではあったが、ちゃっかり新しい彼氏を作っているような人だったから、安心して巣立つことができた。
私は全国各地を渡り歩きながら、その土地、その地域の人たちと関わり、そこにあるさまざまな歴史やストーリーを伝えるライターになった。
いくつかの雑誌やWeb媒体の記事を書く仕事をしながら、自分で紀行文を書いては出版社に持ち込んでみた。最初はなかなか思うように進まないこともあったが、九州に行った際に出会った出版社の編集担当の方が私の作品を気に入ってくれて、ようやくライターとしての基盤ができていった。
普通を捨て、自由になった自分がなぜこの仕事を選んだのか、正直なところまだよくわかってはいない。ただ、さまざまな土地を巡ってわかるのは、人を育てるのはその人が暮らす「土地」であるということである。どんな地形で、どんな街の形をしていて、どんな風景で、どんな風が吹き、どんな匂いがするのか。その土地に暮らす人からは、その土地と同じ匂いがする。だから、東京や大阪のような大きな街に行くと、いろいろな土地で育った人がたくさんあつまるから、いろんな匂いが入り混じっている。生まれ育った土地を離れ東京のような大きな都市で暮らすようになっても、その人の匂いは生まれ育ったその土地の匂いのままだ。
私はたぶん、そういったその人の生まれた土地の匂いを感じるのが好きなのだと思う。いろいろな土地を実際に訪れてその匂いを知り、そして離れた土地でまたその匂いに出会うと、とても愛おしい気持ちになる。それを感じたいがために、この仕事を、生き方を第二の人生として選んだのかもしれない。
そして私が再び故郷に戻ってきたのは、実は私は自分の故郷の匂いを知らないということに気がついたからであった。もしかしたら自分の匂いと同じ匂いを感じずらく、うまく思い出せないだけかもしれないが、いずれにせよ久しぶりに故郷に帰って一体どんな匂いを感じるのか、それを確かめたかったのだ。
ホテルへのチェックインを済ませて、荷物をおいて身軽にしたところで再び街へ出た。
私の実家があるのは、ここS市の隣のE市であるが、高校から大学はS市の学校に通っていたため、この街で過ごした時間はそれなりに多い。特に大袈裟な青春はしていないが、それなりに「普通」の青春くらいはこの街で経験している。
ホテルは街の中心地から5分ほどのところで、ほぼ歓楽街のど真ん中であった。土曜日の夕方は地元民も観光客も入り乱れてもうごった返している。少しごみごみとした雑多な街に、スーツ姿の団体や、どこかアジアの国から来たカラフルなアウターの団体が入り乱れ、また日も暮れる前なのにネオンが照らしている気さえする。
そんな人混みを抜け、また少し苛立ちを感じながら少しずつ中心外を離れ、住宅街の方へ向かっていく。徐々に飲食店が減っていき、美容室が増えてきたあたりで、ようやく地元へ帰ってきたという気分が高まっていく。
そして、さまざまな匂いが入り混じっていたものが晴れていき、だんだんと一つの匂いに統一されていく。
これが、わたしの故郷の匂いか。
何だか初めて嗅ぐようで、でもしっかりとノスタルジックな気分になる匂いだ。ずっと知っていた匂いだけど、きっと意識するのが初めてなのだろう。この土地を離れて、しばらく経ったからこそ気がつけたことだ。
ふと、スマホの着信がなっていることに気がついた。マナーモードにしてポケットに入れていると、案外震えに気がつかないものだ。スマホを取り出すと、それは母親からの着信であった。
そうだ、こちらへ着いたら連絡すると言っていたが、すっかり忘れていた。私は慌てて電話に出る。
「あぁ、やっとでたね。無事着いたのかい?もうホテル着いたかい?」
つい先日も帰ることを連絡した時に聞いている声だが、この街で聞いているからか、なぜか少し懐かしく感じる。
「そういえばね、あんたに荷物が届いてたのよ」
母親は私の返事を聞く前にさっさと次の話題にいってしまう。おそらく、先に送っておいた荷物が届いていたのだろう。もう少し先の日付を指定したはずだが、早めに届いたのか。
「グレーのキャリーバッグでしょう?私の部屋に置いておいて」
母親との会話のコツは、タイミングを見計らわずに、言いたいタイミングで言うことだ。お互いにそういうタイミングで話すが、不思議と会話が混雑することはない。
「いいや、普通のダンボールさね」
「え?本当に私宛?」
どうやら私が自分で送った荷物ではないようだ。実家に私宛に荷物を送る人がいるだろうか?
「そうよ、『寺島ゆきこ様』って、ちゃんと書いてある」
私はその謎の荷物の正体が気になったが、もう数日は実家に戻らずこの街にいる予定だ。荷物はとりあえず母親に任せて、気にしないことにした。
今はまだもう少し、この街の匂いを感じていたいのだ。
私が「普通」を大事にしていた、あの頃の匂いを。