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【怨みはないけどウラメシヤ #02】車のハイゴレイ【お題:ドライブ】
ふと気がつくと、俺の実態のないこの体が風を感じていた。そしてそれと同時に、「気がつくと」という感覚を得たことを不思議に思った。どうやら俺は、しばらく意識を失っていたようだ。幽霊なのに眠っていたということだろうか。確かに感覚は、いつの間にか眠りに落ちて、いつの間にか目が覚めたあの感覚にとても近かった。幽霊になるのは初めてのことだが、どうにも生きていた時の感覚と同じような意識を持っているらしいということがわかってきた。
とはいえ、俺は生きていた時の記憶を失っており、依然として自分が誰なのかわからないままだった。昨日の夜、俺の元にやってきた「陽菜」という少女は、俺のことを「ゆうくん」と呼び、友達だと言った。彼女はおおよそ十四歳くらいの年齢に見えたが、俺も彼女と同じくらいの年齢なのだろうか。しかし自分で言うのもなんだが、十四歳にしては随分と落ち着いているような気もするが。
そんなことを考えているうちに、自分の実態のない体が風を感じていることを思い出した。肉体のないふわふわとしたこの俺が、こんなにも風を感じられるというのも発見であるが、それよりも驚くべきことなのは、昨日俺がいた場所と今いる場所が違うということである。それどころか、目まぐるしく景色が変わっていくではないか。
俺はぎこちなく辺りを見渡してみた。体がないということは、見るために動かす目も頭も首もないということだから、何をどうしたら方向を変えられるのかもいまいちピンとこないものである。昨日コツを掴んだ上下の浮き沈みのように、意識を向きたい方向に向けてゆっくりと集中していく。
よく周りを見てみると、どうやら俺は道路を走る車の後ろにくっついているようである。どういう原理かはわからないが、一番後ろの窓の辺りにへばりついている。中はよく見えないが、前の座敷に二人、後ろの座席にも二人座っているようだ。
俺は2つのことが心配だった。
一つは今ここがどこで、これからどこへ向かうのかということ。
そしてもう一つは、昨日陽菜が「必ず明日また来るから。待っててね」と言っていたことだ。
俺は必ずもう一度あの少女に会わなければならない。自分が何者だったのかを知るためにも、あの子を守るためにも。
そのためには一刻も早くこの走る車を離れ、あの場所に戻らなければならない。
どうしたら良いかと考えていると、俺はあることに気がついた。それは、そもそも自分が『あの場所から離れていること』である。俺はてっきり自分が地縛霊で、あの場所から離れることができないと思い込んでいた。しかし、今こうして実際にあの場所から離れたところにいるのだから、俺は本当はもっと自由に動けるのではないか?ということである。
そう考えるとだいぶ気持ちが楽になり、むしろふわふわと飛べることはアドバンテージで、この車から離れることができるならいくらでもどこへでも行けるじゃないかという万能感さえある。
俺は意を決して車を離れるイメージを作ろうとしたが、その前にもう一つ気になった。
それは、なぜ俺はこの車にくっついてしまっているのか?ということである。
道端に捨てられたビニール袋じゃあるまいし、幽霊がただ通りすがりの車に引っかかって引きずられていくとは考えにくい。ましてや窓ガラスなんて吸盤でもなければくっつけないところに、わざわざくっついているのには、俺自身が何か引き寄せられるものがあったからなのではないか。
だとすれば、車内にいる人物たちには何か自分と関連があるのではないだろうか。どうせ空を飛んで帰れるのである。車内を確かめてからでも遅くはないだろう。
とはいえ、俺がいるのは車の外。中に入るにはこのガラスをすり抜けなければならない。いくら自分が幽霊だからといっても、かつて生身を持って生きていた感覚が残っているから、そう簡単にガラスをすり抜けるイメージを持つことは難しい。実際、どうにか意識を向けてみるも、ガラスに阻まれてそれ以上は進めない。
俺は意識を集中するのを敢えてやめて、気を抜いてリラックスしてみることにした。自分の体がないことを改めて自覚して、ふわふわと揺れる感覚に身を委ねる。
自分の輪郭が溶けてきた。体を失ったことを魂が理解していく。
俺はその状態で、ガラスではなく車内の空間をイメージした。物質に縛られない自分であれば、もはやガラスなどないのと一緒であるはずだ。
ガラスの向こうの車内。何やら会話をしている人間の方に意識を向けて、聞き耳を立てるようにそっと近づく。
すると、すーっとガラスを抜けて、車内に入ることができた。
なるほど、これが幽霊としての自分という存在の捉え方なのだと納得しつつ、ようやく車内の会話が耳に入ってきた。
「次お姉ちゃんだよ。み!」
「み、み、ねぇ。じゃあ『みだしなみ』」
「あっ、また『み』だ!ずるいよ。ねぇおかあさん。次おかあさん言って」
「えぇ、じゃあね、『みたらし団子』」
「こうた、おかあさんに言ってもらうのずるだって」
どうやら、ドライブ中に家族でしりとりをしているようだ。
助手席に座る姉と、後部座席に座る弟と母親。運転しているのが父親だろう。父親は特に会話を気にすることもなく、運転に集中しているようだ。
「ごうかく」
「く…クリスマス!」
「すみ」
「また『み』だよぉ」
しりとりにおいて『み』で攻めることがどれくらいの難易度なのかはわからないが、まだ十歳くらいであろう弟にとっては十分に辛い攻めなようである。弟は勝負をうやむやにして話題を変えてきた。
「陽菜おねえちゃんも来ればよかったのに」
不意に陽菜の名前が出て驚いた。おねえちゃんということは、この家族はあの子の家族なのか?
「そうね、でも陽菜ちゃん、今ちょっと忙しいみたいよ」
「陽菜ね、ゆうくんが死んじゃってから1週間くらい、ずっと学校にも来てなかったし。そのまま冬休み入っちゃったから、心配よ」
姉の方がそう言ったのを、母親が「ちょっと、あんまり…」と何かを制止するようにしていた。よくわかっていなさそうな弟のことを気遣ってなのか、少しばつが悪そうだ。
どうやら、この姉の方が陽菜と同級生か何かで友達で、彼女と家族ぐるみで付き合いがあるのだろう。俺がこの車にくっついてきていた理由はどうやらその辺りにありそうだ。姉の方が俺の名を知っていることからしても、きっと俺もこの家族と何らかのつながりがあったのだろう。
そして俺が死んだのは今から大体1週間ほど前だということも明らかになった。そして陽菜がそれによって相当落ち込んでいるということもわかったし、この家族もそんな陽菜のことを心配してくれている。
俺は自分の使命を果たせていない悔しさと、陽菜のことを大事に思ってくれる人がいることに安堵していた。自分が何者かとわからなくても、自分にとって彼女が大切だということはよくわかっている。
「おれ、ゆうくんともまた遊びたかったな」
弟がボソリと呟いた。この子もまた俺を知っているのか。どうやら陽菜と俺は随分とこの家族に関わっていたらしい。記憶こそ戻りはしないが、自分の名前を誰かが覚えてくれているというのは、何とも嬉しいものだ。
やがてまた普通の会話に戻る家族を見送り、俺はそっと車から離れ、街角にふわりと浮かんでいた。すでに死んでしまっている俺が、これ以上普通の生きている人間のそばにいるのは、何か良くないと感じたからだ。少なくとも彼らは俺の死を偲んでくれているのだ。俺がそばにいることで万が一何か不都合があっても申し訳がない。
そして俺は改めて辺りを見渡した。全く見覚えのない景色に戸惑う。そもそも記憶がない今の俺に、昨日いたあの場所まで帰る術はあるのだろうか。
仕方なく、俺は一旦高いところまで浮かび上がってみることにした。
近くのマンションよりも高いところまで上がっていくと、白く染まった街の美しさに一瞬見惚れてしまった。昨日の夜は確かに雪が降っていたが、あのまま振り続けたのだろうか。あたりは一面真っ白である。
とりあえず、車が走ってきた方向を見てみる。
途中で川を挟んで、さらに向こうには高い建物がたくさん並んでいる。あちらが街の中心部だろう。なんとなく、あっちの方に目的地がある気がした。ピンと来るものがあるのと、どことなく見覚えのある建物が多い気がする。生前、馴染んだ場所があるのだろうか。
俺はとりあえずそのまま高い位置をふわふわとしながら、川の向こう側を目指して進むことにした。
生前の俺がどんな風に考えて生きていたかわからないが、少なくとも死んだ後にこうして空をふわふわと飛んでいるだなんて想像していなかっただろう。死ぬのも案外悪くないものである。
川を渡ってさらに進むと、徐々に人が増えてきた。俺は少し高度を下げて、地上から3メートルくらいのところを飛んでみることにした。不思議と、体などないはずなのに鼻をつくきつい匂いを感じた。この辺りは繁華街らしく、カラスが荒らしたゴミの匂いがキツい。
俺は高度を上げつつ急いでその通りを抜け、さらに進んだ。すると、路面を走る電車が見えてきた。どうやら街中を路面電車が走っているようだが、その光景がやけに懐かしく感じた。この辺りは生前の自分の行動範囲だったのだろうか。
なんとなくその路面電車を追いかけてみると、見覚えのある電柱が目に入った。そしてその電柱の足元に、陽菜がいるのがわかった。
俺は急いで陽菜の元へ飛んで行った。