見出し画像

20.佇む挿絵(お題:熊)

山中先輩が無事に見つかって2週間が過ぎていた。

先輩はまだ病院で療養中だが、来週には復帰できそうだ。昨日お見舞いに行った時も、すっかりと元気になっていた。奥さんも安心した様子で、ようやく平穏が戻ってきたような気がする。

仕事の方もいつも通りに戻っている。例年通り冬眠の準備を始めた熊が市街地に現れたという事件が一番のトピックスになるくらいで、世間的にも特別変わったことはない。大きな情熱を傾けることも特にはないが、やりがいを忘れるほど暇でもない。

ただ、不謹慎なのは承知だが、どうしても忘れられない感覚がある。
山中先輩が失踪して、同期の高橋と一緒に市内のあちこちを駆け回って探したあの日、どこかその状況を楽しんでいる自分もいたような気がする。台風や地震のような自然災害に遭った時、どうしても心の奥に湧いてくる「非日常に対する興奮」のようなものが、あの時にも湧き上がる感覚があった。

山中先輩が無事であったことは本当によかったと思っているし、失踪前日の飲み会で最後見送ったのが自分だったことに少なからず責任も感じてはいるが、それとはまた別のところで熱を帯びたあの感覚が、どこか体の中に残っている気がするのだ。

これは絶対に誰かに話すようなことではないし、むしろ知られたくない感情だが、ことが落ち着いて時間が経つにつれ、あの興奮だけがまだ沸々としているのが心地悪く、どこかに吐き出してしまいたいと思う。
だから、あの日一緒に山中先輩を探した高橋を飲みに誘うことにしたのだ。もしかしたら高橋なら、この感覚を共有できるかもしれない。


ひと足先に仕事を終えて直帰した高橋の待つ居酒屋に辿りつき、席に案内された。

年の瀬の近づいた平日、きっとみんな忙しいのだろう。この街で働く人たちの姿はそれほど多くない。舞い上がった学生と観光客の姿が多い。

その中に、猫背の姿勢でスマホをいじるイケメンがいる。高橋だ。普通に立っている分にはすらっとスタイルも良いが、根がオタク気質で異性を気にすることもないので、座っている姿にはオーラがない。騒々しい周りの空気が、高橋の周りだけバリアが張られたように静かに感じる。

「お待たせ」

おう、と小さく返事をして、卓上の電子パネルでさっと飲み物を注文してくれるあたり、ちゃんと気が利く男である。もっと意識すれば異性にもモテるだろうに。

「山中先輩、来週には復帰できるってさ」

「そうか、よかったな」

先に高橋が注文していたツマミのいくつかと自分の飲み物が届き、ひとまず乾杯をしてひと息ついた。

高橋はもともとおしゃべりな方ではないし、自分も先輩たちや友達と飲む時こそ場を盛り上げるのにはしゃぎがちだが、高橋と2人で飲む時は割と素の状態で、それほどおしゃべりというわけでもなく、比較的のんびりと過ごす。

「そういえばさ」

珍しく高橋の方から話題を始めた。

「山中先輩がいなくなって探したあの日、俺、お前から連絡来た時喫茶店にいたんだよ」

「あぁ、そういえばあの日は休みだったよな。すまんな」

いやそれはいいんだと、軽く流して、高橋は続けた。

「それでさ、その喫茶店で俺が座った席に忘れ物があって、本だったんだけど…」

珍しく高橋が勿体ぶっている。急かすことなく、次の言葉を待ってみた。

「あのさ、山中先輩がいなくなった前日の飲み会、菊野先輩の誕生日の会でさ、山中先輩が持っていた本、覚えてるか?」

あまりはっきりとは覚えていないが、山中先輩が菊野先輩に何かをそっと渡していたのをみた記憶はある。

「その、喫茶店の忘れ物の本がさ、あの時山中先輩が持っていた本な気がするんだ」

高橋にしてはつかみどころのない話をしているなと思った。いつもなら大抵は今見ているおすすめアニメの話だとか、あいつが夢中になっているものの話をするのが定番だ。山中先輩の話がタイムリーとはいえ、だからなんだというのだ。

「ほおん、それで?」

高橋は何やらカバンから取り出して見せた。
白い表紙で、タイトルも何も書いていない本だ。

「おい、これってその?」

「うん、そうだ」

「ちょっと待てよ、落とし物だったんだろ?お店の人に渡すとかしなかったのかよ」

バツの悪そうにする高橋をさらに問い詰める。

「なんでそんな本なんか気になるんだよ。山中先輩が持ってた本だったとして、別にそんな気にならないだろ?」

歯切れ悪く高橋が答える。

「いや、まぁそうなんだけど、なんかどうしても気になったんだよ…」

どことなくしょぼくれる高橋を尻目に、追加の飲み物を注文した。
人のものをパクるような小さいことをするやつは好きじゃない。

高橋は続ける。

「と、とにかくさ、これ読んでみたんだ。中身はなんかよくわからない詩集みたいなのなんだけど、これを読んでから、なんか変なんだよ」

ここでようやく、高橋の話が本題に入った気配を感じた。高橋の行為にはまだ不快感が残っているが、それ以上に何か高橋の心情に気を向けなければならない気がした。

「変って、何が?どうしたんだよ」

「よくわからないんだけどさ、よく見かけるようになったんだよ」

なんとなく、高橋が言おうとしていることがわかった気がして、身構えた。

「白いマフラーの女」

やっぱりか、と思ってグラスのビールを飲み干したところで、ちょうど次の一杯が届いた。高橋のグラスはまだ半分も減っていない。

「あのな、もう10月も半ばだぞ。マフラーをする人もぼちぼちいるだろ」

先輩たちが「白いマフラーの女」を追いかけていたのは9月初頭の残暑が厳しかった頃の話で、その時なら確かにマフラーをした人がいるだけでも違和感があるのは当然だが、10月も半ばを過ぎすっかり冷え込んだ今となっては、それほど不自然な光景ではないはずだ。

「そうなんだけど、だけどさ、多分なんだけど、いつも同じ人なんだよ。いつも同じマフラーをした、同じ女だと思うんだ」

高橋が冗談を言っているようには見えない。ただ、どうしてもただの思い込みにしか思えないし、気になることもあった。

「わかったよ。同じ人物をよく見るとして、別にだからなんだよ?俺だって毎日通勤で同じ人をよく見るよ。それと同じだろ?それに、なんでその本を読んでからってところに結びつくんだよ」

高橋は、手元にある白い本をパラパラとめくると、後半の1ページを開いて見せてきた。

「俺が見るのは、この人なんだ」

そこには、挿絵として描かれた白いマフラーの女がいた。
顔は描かれていないが、少し遠くにこちら向きで佇む白いマフラーをした女性が描かれている。
優しいタッチで、とても綺麗な絵だった。

そして、強烈にあの日のことを思い出した。

「あれ、俺もこの人見たぞ」

「えっ?いつ、どこで?」

「山中先輩を探している日、公園の脇の道で見たんだ。その時も気になって近づこうとしたんだけど、結局違う道を探しにいって、そのままだ」

少しの間、なんともいえない沈黙が流れる。

すっかり、高橋に聞きたいと思っていたことなど忘れていたが、もうどうでも良くなっていた。

「なんなんだよ、この人…」

山中先輩や菊野先輩が追いかけていたものの得体の知れなさに、気味悪く思うこととも、不思議に思うこととも、怖がることとも違う感情が湧いてくる。こんなものと向き合っていた2人の先輩のメンタルすらも恐ろしく感じてしまう。

高橋が開いたページはそのままになっている。

白いマフラーの女がこちらを見ているのかどうか、顔が描かれていないからわからない。

わかっているのは、自分たちが彼女を見ているということだけだ。

いいなと思ったら応援しよう!