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14.本嫌いの店主(お題:ブルーハワイ)

小さなコインパーキングに車を停め、深見七恵(ふかみななえ)は路地を歩き始めた。初めて歩く道である。

細い歩道に、片側一車線ずつの小さな路地には、さらに道を狭くするように電柱と街灯が並んでいる。街灯には何やら小さな布切れがはためいている。とうに色褪せているが、どうやらここは小さな商店街だったらしい。かすかに「ようこそ」と書かれた布が、寂しげに揺れている。

商店街「だった」という言葉を七恵が選んだのは、路地を見渡した時に営業しているお店がほとんど見られなかったからである。平日の昼間であるのにほとんどの建物がシャッターを下ろした状態で、もうとっくに店をたたんでしまっているようだ。ところどころ開いているのは、コインランドリーと床屋くらいだろう。きっと昔はもっと賑やかだったのだろうが、今は見る影もない。

それでも、少し歩いていると時々新しい小洒落た喫茶店や雑貨屋、花屋などがあることもわかった。この商店街の栄えた頃に子供だった子達が大人になって親の店の跡地で開店したのか、はたまた外から来た人たちが借りているのかはわからないが、住宅街の中にひっそりと生き長らえ続ける商店街の意地のようなものを垣間見た気がする。

七恵がこの道を歩いているのは、何も時間を持て余しているわけではなく、失踪した記者の山中という男を探しているからである。山中は失踪する1週間ほど前に、彼が追っていた寺島ゆきこの元職場の近くであるこの辺りをうろついていたらしいという、寺島ゆきこの元同僚たちの証言を聞いたので、七恵も山中と同じ足取りを辿ることにした。

山中がこの辺りを歩いた時はまだ残暑が厳しい頃であったから、きっとそう長くは歩いていないと七恵は想定していたが、思いの外この商店街は南北に長く伸びていて、南側から北へ向かって歩いてかれこれ15分は商店街は続いていた。

ふと、小学生の男の子がトボトボと向こう側から歩いて来た。七恵は車道側に寄ってすれ違おうとしたが、すれ違う直前に男の子は足を止めこちらをじーっと見てきたので、七恵もつい立ち止まり少年を見てしまった。

七恵がどうしたのかと尋ねようと思った時、少年は口を開けて舌をべーっと出して、そのまま走って行ってしまった。七恵は呆気に取られてしばらく少年の後ろ姿を見ていたが、七恵が驚いていたのは少年の舌に対してであった。

少年の舌はドス黒い青紫色をしていて、おおよそ健康なそれには見えなかったのである。その異様な舌の色に、戸惑わざるをえなかったのだ。

少しぼーっとした後、七恵は気を取り直して再び商店街を北上していった。
特に目立った店もなく、商店街もそろそろ終わりかと思った時、細い中小路に入る角に一軒の駄菓子屋を見つけた。駄菓子屋は外見こそ古い建物の様相であるが、中を覗くとかなり綺麗に改装されていた。店内に入ってみるも店員がいる様子はなく、正面には奥の座敷まで通っている廊下があり、その入り口のところに座布団が一枚そっと置かれていた。そこに小さな書き置きで「少し留守にします」と書いてあった。内装はこ綺麗になっていても、営業のスタイルは昭和から変わっていないらしい。

店内を見渡してみると、レジの上の方に「氷」と書いたのぼりがあるのを見つけた。七恵はそれを見て先ほどの少年の舌の色に合点がいった。おそらくあの少年はここでブルーハワイのかき氷を食べたのではないか。そういえば子供の頃にかき氷を食べて舌の色があんなふうに変わったような記憶がある。少年の体調に問題がないのならばよかった。

しかし、この寒くなってきた季節にまだかき氷を売っていて、しかもあの少年はそれを食べたと思うと、それはそれでちょっと不思議なものでもある。子供の行動というのは、どうにも予測がつかないことが多い。

七恵は、入った方とは90度違う方の出口から店を出た。先ほどまで歩いていた商店街の路地ではなく、そこから西へ入る小さな中小路の方である。

ふと、中小路の先を見ると、小さな看板が出ていることに気がついた。看板に何が書いてあるのかわからないが、なんとなく営業をしている雰囲気があったので、七恵はその店に向かうことにした。

店の前まで行くと、そこが本屋であることがわかった。
近づいても相変わらず看板は読めないが、入り口のドアに書いてある古本の文字で、この店の正体は十分にわかった。

七恵は半分開いたままの引き戸をさらに開けて店内に入った。

古本屋独特の埃っぽい匂いが、どことなく懐かしい感じがする。読書家である父親の書斎も、こんな匂いだったと七恵は思い出していた。刑事である七恵の父親は家にいる時間が少なかったが、家にいる時はほとんど書斎にいたから、七恵は父親が家にいる時はほとんど父と一緒に書斎に籠って、難しくてわからない本を父親の見様見真似で開いていた。

この店の匂いは、その時の本の匂いになんだか似ている気がした。

店内には入り口から奥に向かっていくつかの本棚が並んでおり、その棚もぎゅうぎゅうに本が詰まっていた。本棚の足元にはさらに本が段ボールなどに積み重なって入っており、気をつけて歩かないと蹴飛ばして本の山を崩してしまいそうになる。これらは全て売り物なのかと疑うほどに、雑多に置かれた本たちが所狭しと店の中を埋め尽くしていた。

奥に進むと、カウンターの中にひっそりとおばあさんが座っていた。いかにも古本屋の店主といった佇まいで、起きているのか眠っているのかわからないくらいに静かにおばあさんは佇んでいた。

「こんにちは」

七恵はひとまず挨拶をしてみた。挨拶といいつつも、心の片隅では生存確認のつもりでもあった。

「あいよ」

おばあさんのそっけなくも心地の良い返事に少しホッとしつつ、七恵はおばあさんに話しかけた。

「すごい量の本ですね。いつからやっているんですか、このお店は」

おばあさんは、ちょっとだけ訝しげな表情をしつつ答えた。

「あたしの父親の代からだから、かれこれ50年くらいにはなるのかね」

「へぇ、すごい」

七恵は、おばあさんを直視せず、あえて本棚の本を眺めながら返した。とりあえずは、あくまでも普通のお客である方が警戒されずに何か情報を聞けるかもしれないという算段であった。
お年寄り相手に聞き込みをする時は、なるべくこうして自然な流れを装うことが多い。何故なら大抵のお年寄りは話を聞いてもらえることが嬉しくて、有る事無い事含めて話を大きくしがちなのだ。何か事件などゴシップのネタになりそうなものならなおのこと、喜んで情報を差し出してくれるのは嬉しいが、尾ひれのつきまくった情報ほど使いにくいものはないので、こうして程よい無関心さを持ったまま接するのである。

「ここって、本の買取もしてもらえます?」

「そりゃ、古本屋だからね」

「そうですよね」

「値がつかないものでも引き取るんだから、勝手に本棚に本を入れていかないでおくれよ」

「そんなこと、する人いないですよ」

「いやぁ、時々いるんだよ、それが」

おばあさんのシワだらけの顔に、さらにシワが寄る。

「そんな人いるんですね」

「そうなのよ。迷惑なもんだわ」

「でも、売り物が勝手に増えるならいいじゃないですか」

おばあさんは「しっしっ」と手を払うような動きをしながら答えた。

「いいわけあるかい。誰かから盗んだものかもしれないもの、売れやしないよ」

「確かに」

七恵は、自分が警察官であるのにそんな発言をしてしまったことを反省しつつ、おばあさんへの質問を続けた。

「このお店、私みたいに始めて入る方も結構いますか?」

「そうさね、ほとんどが常連だけども、時々おねえちゃんみたいな子もふらっと寄っていくね。この前も男がふらっと入ってきて、一冊買っていったさ」

七恵はその男が山中であると直感した。

「それって、この前のすごく暑かった残暑の日ですか?」

おばあさんはちょっと驚いたような顔をした。

「うん、そうだ、確か。そうだった。あんたなんでわかるんかね」

「ただの勘ですよ。ところで、その男ってこんな人でしたか?」

七恵は手帳に挟んだ山中の写真を取り出しておばあさんに見せた。

「はぁ、どうだったかね。うん。多分この男だったような気もするわ。にしてもあんた、刑事さんみたいなことして、なんしたの」

七恵はニコッと微笑んで誤魔化しながら質問を続けた。

「この人、どんな本を買っていったか覚えていますか?」

「えーっとね、なんだったかな」

おばあさんはそう言いながらレジカウンターの舌の引き出しからノートを取り出して何やら確認している。どうやら帳簿を見ているようだ。

「うーんと、あ、これね。えーっと、あぁ、これはあれだわね」

「なんです?」

「雑多な古本は、一冊100円統一で売るんだけどね、そういうのは帳簿にタイトルまで残さないのさ。覚えとらんねぇ」

おばあさんは帳簿をぽんっとカウンターに置きながら言った。

「そうですか…」

七恵は再び店内を見渡して、本棚を観察した。
本棚は天井近くまでの高さがあり、七恵の身長では一番上までは絶対に手が届かないのがわかる。おばあさんも手が届かないからか、上の方の棚は所々抜けたままになっているようだ。

それに比べて下の方の棚は、どれもぎゅうぎゅう詰めになっていて、おばあさんが日頃から本を入れ直しているのだろうとわかる。

そのぎゅうぎゅうの棚の中で、一箇所だけ隙間が空いている棚があった。

「おかあさん、もしかしてその時売れたのって、この棚の本じゃない?」

おばあさんが近くに寄りながら答えた。

「ほう、そうね、そうだったかもしれないね。ここに入っていたのはなんだったかねぇ…」

考えるおばあさんであったが、七恵はもうとっくにおばあさんが思い出すのを諦めて、他に山中の形跡がないか探そうとした。しかし七恵の予想は外れ、おばあさんはすぐに思い出した。

「そうだ、あれだわね、題名のない本だったわ。あの本はいつからあるんだかわからないけど、いつのまにかあったのよねぇ」

「題名のない本?」

「そうそう。真っ白な背表紙でね、タイトルがないのさ。不思議な本でね、いつの間にかあったんだわ」

七恵は、先ほどそういういつの間にか増えた本は売らないとおばあさんが言っていたことは忘れることにした。

「その本って、どんな内容の本なんですか?」

「知らないよ、読んだことないもの」

「え?そうなんですね」

「そうさ、あたし、本嫌いだから」

おばあさんのまさかのセリフに一瞬心を持っていかれたが、七恵はすぐに山中の行方に意識を戻した。

白い背表紙の、題名のない本。
先日、そんな本をある人から預かったことを、七恵は思い出していた。
今回の事件の発端となった1人、小林貴文の母親から預かった、彼の遺品の中にあった本。それはまさしく、白い背表紙の題名のない本であった。

「おかあさん、ちょっと待ってて、すぐまたくるから!」

七恵は預かった本を取りに、コインパーキングの車へと走った。

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