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【怨みはないけどウラメシヤ #03】ばあさんのオムカエ【お題:ツメ】

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体を失ったこの状態になって初めての長距離移動で少しこなれてきた俺は、電柱の下でまたしゃがみこんでいる陽菜の元に寄っていった。

「すまないな、ちょっと思いもよらない遠出をしていた」

俺が陽菜に話しかけると、彼女はまたハッと気がついたように顔を上げこちらを見た。どうやらはっきりと俺のことが見えているわけではないようで、こちらの方を見てこそいるがしっかりと目が合うことはない。俺よりも少し後ろの空中を見ている感じだ。

「ゆうくん、もういなくなっちゃったのかと思った。よかった」

彼女はそう言いながら肩から下げた小さなカバンから何かを取り出そうとしたが、ファスナーをうまく開けられず、その原因が手袋を履いていることだと気がつき、手袋を脱いで脇に挟んでカバンの中を漁った。手袋を抜いた手には小さな爪がついているが、そのどれもが丁寧に手入れされていて、特に右手の爪は綺麗に磨かれているようである。

「えっとね、ゆうくんに見せてあげたいものがあったの。記憶がないって言ってたでしょう?これを見たら思い出すかなって」

カバンの中は整理されていないようで、その何かを探すのに随分と手間取っている。やがて探すのに夢中になるがあまり、先ほど自分で脇に挟んだ手袋を落としてしまっている。

俺はその落とした手袋を拾ってやろうと近くにいくが、触れようにもどうにもならない。ある程度自由に動き回れるようになったが、体がないことに変わりはない。自分がこの世にはすでに存在しないということにまだ慣れないが、やはり実体のないものが実体のあるものに触れることは叶わないのだろうか。

海外ではよくポルターガイストなどと家具や家のものが一人でに動く現象があると言うが、あれは俺のような幽霊の仕業ではないのだろうか?もしあれが死せる者の仕業なのであれば、俺にも地面に落ちた手袋を拾うことだってできるだろうに。歯がゆいものだ。

「おい陽菜、てぶーー」

俺が手袋を落としたことを陽菜に伝えようとするのと同時に、誰かの手が俺の体を貫いて手袋を拾い上げた。自分の体、厳密には体ではなく意識の塊みたいなものなのだろうが、それを手で貫かれる体験など当然したことがないから、俺は心底びっくりした。ない心臓が止まってしまいそうだ。

「これ、手袋。落としてるよ」

手袋を拾い上げたのは腰の随分と曲がったおばあさんであった。腰はほとんど90度近くまで曲がり、片手には杖をついているが、よくもまぁ昨日の積雪で足場も悪い中軽々と地面に落ちた手袋を拾ったものである。俺は陽菜の手袋を拾ってくれた感謝と、自分の体を他人の手が貫いた衝撃と、おばあさんの身体の使い方の妙に感心する気持ちとをいっぺんに味わった。身体がなくなった分、感情みたいなものが以前より感じやすくなっているようである。

「あ、ありがとうございます」

陽菜は受け取った手袋をまた落とさないようにダウンコートのポケットにねじ込み、カバンの中の捜索を再開した。まだ例のものは見つからないのか。

これだけ一生懸命になってくれていることに感謝しつつも、どこか抜けのある彼女に懐かしさもおぼえていた。

先ほども、たくさんの感情を「以前より」感じられるようになったと思ったこともそうであるが、少しずつ自分の中に生前の記憶が存在しているという実感が湧いてきた。一般情報的な記憶ではなく、この俺自身の記憶が見つかる希望を持てる。

そうこう考えている間に、陽菜は探し物を終えたようである。何やら嬉しそうにカバンからそのものを取り出そうとしたとき、冷たい冬の空気を引き裂くように、さらに冷たい声が聞こえてきた。

「陽菜。もう帰るよ」

声の方を見ると、女性が一人立っていた。どことなく陽菜に似た顔立ちのその女性は、おそらく陽菜の母親なのだろう。俺はこの人にも懐かしさは感じていたが、陽菜にあった時のような暖かさはさほど感じなかった。というよりも、彼女との間にとてつもなく分厚い壁のようなものを感じたのだ。だから、暖かさを感じなかったというよりも、そもそも彼女の何かを感じるには隔たりが大きすぎるということかもしれない。

陽菜は焦ったように再びこちらを見て言った。

「ごめんね、ゆうくん。私いかなきゃ。これは明日見せるね」

そう言いながらあの女の方へ歩き出した陽菜は、すぐにこちらをもう一度向き直した。

「そうだ、もしかしてもうここを動けるようになったのね?でもついてきちゃダメよ。まだダメ。お願いね」

そう早口で言い残して、陽菜は母親であろう人物の元へかけていった。

そうか、俺が動けるようになったのならわざわざ陽菜がここに来るのを待たなくても、俺が陽菜にくっついていけばそれで十分に色々な情報を得られるはずである。しかし陽菜は「まだダメ」と言った。陽菜のなかで俺が記憶を無くした状態でついていって何か問題があろうのだろうか。それとあの分厚い壁のある母親は何か関係があるのだろうか。

そんなことを考えていると、先ほどまで陽菜がいた場所に、彼女の手袋を拾ってくれた老婆が佇んでいることに気がついた。俺へのお供えものを見ている老婆は、腰が曲がっていることをうまく活用しているようにも見える。

すると、老婆はその曲がった腰をぐいっと伸ばし、ほぼほぼ直立になってこちらを見てきた。陽菜が俺の後ろの空を見ていたのとは違い明らかに俺に焦点があっていると感じるくらい、はっきりと俺を見ているということがわかる。

「はて、やっぱり私も死期が近いということかね。お前さん、生きているものじゃないんだね?」

老婆は俺にいきなり話しかけてきた。俺は自分が死んでいること、そして生前の記憶がないことを伝えた。

「ばあさんには、俺の姿はどう見えているんだ?」

差し当たって気になることはそれであった。自分ではすでに自分の実体を感じられず、姿というものを見れない。先ほどここへ戻ってくる途中にこっそり窓ガラスをのぞいてみたが、そこに映る景色には自分はいなかった。

「そうね…光の玉みたいなものかね。ただお前さんからはどことなく死んだ旦那に似た気配を感じるんだわね。面倒見のいい、いわゆるいい男の気配ってやつさね」

ばあさんはそう言ってしわくちゃな顔をさらにしわくちゃにして笑った。俺はまんざらでもないが、いかんせん自分の記憶がないものだから、否定も肯定もしずらい。

「でも、いい男ってのは自分勝手なもんでね。あんたもそうなんだね」

笑いながらばあさんの腰はまた90度に戻っていき、ゆっくりと体の方向を変える。

「どうせいくところもないんだろう。うちへおいで。ちょっとあんたに頼みたいことがある」

そう言うとばあさんはさっさと歩き始めた。

こちらには全く選択権がないように話が進んだが、実際のところ陽菜が帰ってしまいついてくるなと言われた以上、今日はもうすることも行く当てもないのは事実なので、だまってばあさんについて行くことにした。

俺が生前もこのあたりを生活圏にしていたなら、このばあさんにも出会ったことがあったのだろうか。もしかしたら道ですれ違うことくらいはあったかもしれないが、こうして関わることはなかったかもしれない。

ばあさんの後ろをついていきながら、街の景色を眺めてみる。

片側二車線の車道には、ひっきりなしに車が行き交っている。この道路の脇に俺へのお供えが置いてあったということは、ここを通る車に轢かれて俺は死んでしまったのだろうか。
こうしてただ通り過ぎるだけの車なら一生関わることもないのだろうが、その中の一つがある日突然自分に関わりのあるものに変わると思うと不思議だ。

このばあさんも、俺を轢いた車も、もともと俺には関係のないものだったはずだ。

「なぁばあさん、ばあさんはこの街に暮らして長いのか?」

「そうね、あたしが高校を出てこっちにきたんだから、かれこれ60年以上になるかね」

ばあさんは前を見たまま、曲がった腰の向こうから器用にこちらを振り返る。
何かいいたげな顔をしているが、何も言わないまま、また前を向いて歩き出す。

「あんた、どっかで会っているかねぇ」

俺は自分の記憶の不確かさと80歳のばあさんの記憶の不確かさのどっちが当てになるのかと思いながら、その曲がった腰をゆっくりと追いかけた。

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