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19.記憶(お題:熱いお茶)

公園を出て車に乗り込む深見七恵の姿を見送って、菊野達弘は再び公園のベンチで1人、まだ熱いお茶のペットボトルで暖をとっていた。

先日同僚の山中の見舞いで病院で出会った刑事の深見と、例の白いマフラーの女の事件の情報共有を終えたところだった。
病院の待合で、お互いに事件にまつわる「白い表紙の本」を入手していたことがわかり、その件も含めての情報共有をしましょうと声をかけてきたのは深見の方だった。

自分と比べればだいぶ若い深見は、刑事としての情熱を燃やしたくて仕方がないのだろうが、どうにも不器用なのだろう。周りとの温度差にきっと空回りしていることだろう。
この街はそれなりの人口がいる都市ではあるが、それでも北の地の大きな田舎の真ん中にあるだけの、やはり大きな田舎であるから、そんなに熱く燃えても周りに燃えるための薪がないのだ。

かつては彼女と同じように燃えていたであろう中條という先輩も、どうやらすっかり消し炭になってしまっているようであるし、1人熱く燃える彼女をみていると痛々しくもあり、羨ましくもある。

自分も記者として報道の担当になった新卒の頃は、大手のマスメディアの退廃した体制に屈しないと息巻いていたものだ。

しかし現実はというと、そもそもそんな退廃したマスメディアに立ち向かうどころか、全く相手にもされない弱小Webメディアの編集部で毎日ひっそりとネット記事を書くだけで、どこの誰の話題になっているかもわからず、挫折することすらできなかった。
その頃によく警察にも出入りしていたが、そこそこの事件をそれなりにこなしていく無難な日常は、テレビで見るそれとは大きく異なり、ひどく退屈なものだった。
だんだんと情熱も薄れていき、部署を異動した今では、人並みのやりがいとこだわりだけでなんとか仕事をした気になっているような気がする。

だから、真っ直ぐに熱い彼女をみているとどこか羨ましくなるし、足を引っ張るようなしょうもない人間にはなりたくないとも思う。かといって、一緒に熱くなるほどの気概はなく、ただ淡々と、興味の赴くままにまた情報を集めていくだけなのだが。

手の中のペットボトルの温かさを忘れさせるくらい冷たい風が吹いて、達弘は側に置いたままの白い表紙の本のことを思い出した。

詰まるところ、彼女とここまでの事件のことを共有したが、遺族のこと、寺島ゆきこのこと、白いマフラーの女について、特に新しい情報を得ることはできなかった。
そして肝心のこの白い本のことも、結局は何もわからなかったのである。

本の中身は、いくつかの詩のようなものが詰め合わされていて、どれも特にこれといったつかみどころのない内容である。子供が書いたと言われても、有名な詩人が書いたと言われても、その辺のサラリーマンが書いたと言われても納得してしまう。

達弘は本を手に取り適当に開いたページを読んでみた。

教室の窓から見たその景色は
いつもと同じだっただろうか
窓の外から見た私たちは
いつもと同じだっただろうか

「教室」という言葉がひどく懐かしく感じる。学生以来、10年は口にしていない言葉だったかもしれない。達弘はあまり自分の過去をねちっこく思い出すタイプではなかったが、「本」と「教室」というキーワードでどうしても結びつく人物を思い出していた。

風間尊。

中学生の時、生徒会で一緒に過ごした古い友人である。今でも小説家として、この街に暮らしている。

生徒会長である風間と、副会長の達弘で面倒な仕事をよくしていた。
正確には仕事をしているのは達弘の方で、風間はいつも何やらよくわからない実験をしていた記憶がある。達弘はいつも文句を言うだけでその実験には関わっていなかったが、大抵の場合生徒たちに特定の文化を植え付けたり、教師たちも巻き込んでルールを新しく作ったり、大衆をコントロールするような危なげな実験をよくしていた気がする。

今でも何を考えているのかよくわからないやつだが、当時は見境がなかったようにも思う。

とにかく風間は自分の思想を形にしてはまた新しい思想をどこからか仕入れてきて試しているような雰囲気だった。狂気じみていたが、それがどこか魅力的だったことも否めない。
その雰囲気ゆえに女子の中には熱狂的な風間のファンがいたのだが、当然風間はそんなことには全く興味を示していなかったのも気に触るところだった。
だがそれと同時に達弘もまた風間に魅かれていたからこそ、今でも時々彼のところに話を聞きに行くのだ。

達弘はパラパラと、白い表紙の本を読み進める。

わたしの頭の中にいるわたしは
あなたの頭の中にいるわたしと
同じでしょうか

読めば読むほど、なんとなく、中学生くらいの思春期に書いた詩のように思えてきた。達弘は、自分の頭が中学時代にタイムスリップしてしまっているからかもしれないと考えたが、それと同時にふと頭をよぎることがあった。

どこかでこの人の詩を読んだことがあるのではないか?

自分がただノスタルジックな気分に浸っているからそう思うのか、それとも本当に過去に読んだことのあるものなのかの判別が、今の達弘には出来なかった。
ただなぜだか思い出さなければならないという焦りを感じていることだけが理解できた。

風間に会いに行かなければ。
きっとあいつなら何か知っている。

そう直感した達弘は、すでに緩くなり始めたペットボトルと白い本をカバンに入れ、公園を後にすることにした。
風間に会いに行くのは骨が折れる。アポを取った上で、土産話を持っていかなければならないからだ。ただ達弘の中で既に決めていることがあった。

何年か前に、風間に聞いてみたことがある。

「どうやって小説を書くんだ?アイデアとか、そういうのはどこから出てくるんだ?」

風間はいつものイタズラっぽい顔と口調で答えた。

「なんだ、君も小説を書きたいのかい?」

達弘も記者として、物書きの端くれも端くれにいるんだというちょっとした意識があった。日々の退屈な記事作成に物足りなくなって、自我が芽生えた頃だった。

「まぁ、書けるものなら、一度くらいは書いてみたいかな」

風間はニヤリとしながら目線をそらす。

「人は一生に一冊は必ず本を書けるとはよく言うが、あれば本当だと思うよ。誰でも一つくらいなら書けてしまうものさ」

「でもそれは、ある程度歳を重ねたらっていう話じゃないのか?」

「確かにそうかもしれないが、僕は歳を重ねなくても最初の一つを書けたよ」

嫌味なのか天然なのかわからないが、風間という男はこういうことを平気で言うのだ。

「だから、その一つ目をどう書くんだよ」

「簡単だよ。どうしても書きたいことがあれば書けばいい。別に短くたってなんだって、書いたらそれが作品だ」

あの時は風間という男が天才だからそう言えるのだと思っていたが、ここ数ヶ月で達弘もその「書きたい」という気持ちを理解できるようになっていた。

そう、この今回の一連の事件を、達弘は何かしらの作品として書くことを考え始めていたのだ。追えども追えども真相も何もないこの不思議な事件、そもそも事件とも呼べないかもしれないこの事象を、もはや作品に落とし込まないことには消化不良のままになってしまうと感じていたのだ。

今回の土産話はこれにしよう。

俺も小説を書くことにしたぞ、と。

達弘は寒さで固まり始めた体をさすりながらベンチから立ち上がり、公園を後にした。

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