
15.2つの道(お題:ねこ)
こんなに焦ることは人生で初めてだ。
山中先輩がいなくなったと聞いて慌てて飛び出したものの、正直まだ頭がうまく回っておらず、ただ闇雲に車を走らせている。
とりあえず同期の高橋に手伝ってくれとメッセージは送ったが、自分が何をして何を手伝って貰えばいいのかわからない。ただただ不安と焦りが募るばかりだ。
先輩が飲みすぎて次の日遅刻することは過去にもあったから、今回ももしかしたらどこかで酔いつぶれて寝ているだけなのかもしれないが、なぜか良い知れぬ焦りが押し寄せる。先輩の奥さんが捜索願を出したことも大きい。俺の知る限り、先輩の奥さんは肝が据わっていて、ちょっとやそっとのことじゃ動じないという印象がある。その奥さんが、すぐに警察に行くほど心配するというのは、俺と同じように「ただごとじゃない」という胸騒ぎを感じているからだろう。
今の会社に新卒で入った一番最初の指導係としてついてくれたのが山中先輩だった。
気さくで男らしくフットワークが軽い先輩は、決して教えるのが丁寧ではないが、心のこもった指導をしてくれていた気がする。怒られるということはほとんどなかったが、俺がミスをした時はいつもだまってフォローをしてくれていた。
入稿当日に原稿データが破損してしまった時、半泣きで相談したら「まじか、俺もそれやらかしたことあるわ!しかも去年な!」と笑いながら、当たり前のように代わりの原稿作りを手伝ってくれた。
どこか抜けたところもあるが、間違いなく頼りになる先輩だ。
山中先輩と同期の菊野先輩も、寡黙な人ではあるが山中先輩が一番信頼している人である。この2人のバランスは後輩の俺らからみても抜群で、さながら刑事ドラマのバディのようであった。菊野先輩が担当を移ってからは俺が後釜として山中先輩と組む形になって、毎日充実した仕事ができていた。
大学時代にあれだけ就職活動に精を出していた同年代の友人があっさりと仕事を辞めていく中で、自分がこれだけ熱中できる仕事に巡り会えたのはすごく運がいい。だがそう思えるのも、そう思わせてくれる先輩たちがいたからに他ならない。
そんな俺にとって大事な先輩がいなくなった。
そのことにこんなにも焦っているのはきっと、先輩たちがここ数ヶ月追っていたあの件のことがあるからだろう。
今年の夏に起きた、2人の不審死。
共通して浮かぶ寺島ゆきこという人物。
そして「白いマフラーの女」ーー
どれだけ調べてもこの3つ以上のめぼしい情報が出てこないこの案件を、山中先輩と菊野先輩は執拗に調べていた。もう記事にする予定もないのに、有給まで使って個人的に調べるその熱量に、俺も含め全同僚が不思議に思っていた。いったい何が2人を焚き付けているのかがわからなかった。
ただ、昨日の飲み会の山中先輩はそれまでの狂気じみた空気が抜けていたように思う。かといって元の先輩に戻ったかというとそうでもなく、どこか腑抜けたように見えた。もしかしたらただ疲れて諦めただけかもしれないが、どこか寂しげな様子が気になった。
菊野先輩ももうさほど例の案件のことは気にしていない様子で、こちらはほぼいつも通りに戻っていた気がする。
飲み会で、山中先輩と菊野先輩は2人で何か話しているようだったが、何を話していたかはわからない。2人にしかわからない会話があったのだろうか。山中先輩が何かを渡していたようにも見えるが、昨日は菊野先輩の誕生日会という名目だったから、何かお祝いの品だったのかもしれない。
気がつくと、車は地下鉄の駅に辿り着いていた。山中先輩の家の最寄り駅である。昨日は終電がとっくに終わった時間に解散して、最後山中先輩をタクシーに乗せたのは他でもない俺だ。地下鉄など関係はないと思うが、タクシーで家に着いたあとどこかへふらふらと行ってしまったとしたら、この辺にいるかもしれない。奥さんもすでに探しているだろうが、手掛かりのない今はとにかく動いて探せるところから潰していくしかない。
車を近くの駐車場に停めて、駅の周りを探す。
山中先輩の家は駅の出口から西の方に5分ほど歩いたところで、何度かお邪魔しているからこの辺は見覚えがある。
駅の周りのちょっとしたお店以外はほとんどが住宅で、定期的に床屋とコンビニがあるくらいだ。時々おしゃれな雑貨屋やカフェのようなものもあるが、特段目立ったもののある街ではない。
一通り歩いてみるが、特に先輩の手がかりになるようなものは見当たらない。
駅の反対側、東側の方を見に行ってみようと駅に戻っていると、高橋から返信が届いた。
「了解。詳しいことは今会社に戻って聞いた。お前今どこいる?俺は昨日山中先輩が取材してた現場に行ってみようと思うけど」
高橋という男は俺の同期で、すらっとスタイルが良く顔も良いやつで、最初はイケすかないやつだと思っていたが、その実性格はオタクで、熱い男臭さも持ったやつである。ぱっと見での女子ウケはいいが、ちょっと関わってみるとそれほどでもないため、あまりモテない。そういうところが好きだ。
仕事の相性も良く、いつも俺の動きを先回りして準備してくれたり、手の回らないところをカバーしてくれたりと、助けられることが多い。
だから高橋には「頼む」と言えばそれで済むし、実際今も焦りまくっている俺に比べて、冷静に山中先輩の足取りを潰しに行ってくれている。頼りになる男だ。
俺は自分が先輩の最寄り駅周辺にいることを伝え、後で合流することにして再び駅の東側を進んだ。
こちら側には小学校や中学校があり、下校時間を過ぎているこの時間帯には公園で遊ぶ子どもたちが見える。大人になって、子どもたちが遊ぶ公園に1人入って行くのはちょっと勇気がいるが、公園のベンチで寝ている先輩がいるかもしれないと思えば、探しにいくしかない。
いくつかの小さい公園には先輩の姿はなく、さらに道を進んでいくと大きな公園が現れた。野球場や池、大型の遊具などがある広い公園で、ぱっと見では全貌がわからないため、とにかく歩き回るしかなさそうだ。
どこかで寝転がっている先輩がいることを祈りながら、公園内を歩き回る。
池の方へやってくると、ボートを漕いでいる親子やカップルの姿があった。先輩は酔ってこの池に落ちてやしないだろうかと思い、ボート小屋の管理人に話を聞いてみたが、この浅さで人が落ちていたら池のほとりからでも見えるのだそうで、池に落ちていることはなさそうだ。
池の反対側からは林へ上がる坂があり、小高い丘のようになっている。その坂を登り切ると、再びちょっとした遊具のある広場にでて、ここが公園の北東の端になっているようだ。
この広場だけ見れば普通のサイズの公園で、子どもたちが遊具で遊んでいる、普通の光景である。山中先輩の姿はここにもなく、あとは公園の南側を探すしかなさそうだ。
公園の外には再び住宅街が広がっている。
先輩の家からはもうだいぶ離れているから、流石にこっち側には来ていないとは思うが、どうだろうか。
あまりにも先輩の行方に見当がつかないからか、少しだけ焦りが薄くなっていることに気がついた。途方のなさに、すでに諦めの気持ちが湧いているのだとしたら、そんな自分を殴ってやりたいが、どうやらそうではなく、この公園の自然の中を歩いたことで、少し心が落ち着いたのかもしれない。
少しだけ、ベンチで休もう。
子供達のわーきゃーという声を聞きながらベンチに座り、今一度先輩の状況を考えてみた。
昨日はかなり飲んでいて、俺がタクシーに乗せ住所は運転手に伝えたが、その後本当に家までたどり着いたかはわからない。運転手とトラブルになったかもしれないし、どこか別のところで降りてしまったかもしれない。
家に帰っていない以上、とにかくどこか他のところにいることは確かだが、やはり見当がつけられない。
酔った山中先輩が行きそうなところはどこなのか?
考えてもやはりわからないので、再び足を使うしかない。とにかく動いて、探すしかない。
立ち上がって、今度は公園の南側を探しに行こうとした時、住宅街の方から何か視線を感じた。
振り返ると、そこには三毛猫が1匹、こちらをじっとみていた。三毛猫はこちらを数秒見たあと、すっと向こうへ行ってしまった。
昔、猫を追いかけて行って古い雑貨屋のようなところにたどりついてしまうお話しを見たことがあるような気がする。
どうせ先輩の足取りに当てがないなら、いっそこの猫の後を追いかけてみようか?
そんなバカなことを考えつつも、足はいつの間にかそちらに向かって動き始めていた。
猫のいた路地へ向かって道路を渡ろうと左右を確認したその時、視界に映ったものに何か強烈な違和感を感じた。
道路を渡ろうとする足を止めて、もう一度辺りを見渡す。
俺の右側、公園沿いの道に1人の女性が立っていた。
その女性は、白いマフラーを巻いている。
すでに秋の木枯らしが吹く季節で、一足先にマフラーを巻いているだけかもしれないが、あの「白いマフラーの女」というキーワードを思い出さずにはいられなかった。
そして一番の違和感を感じた点に気がついた。
道端で「立っている」のはなぜだ?
道を歩いているのなら普通だ。
なぜわざわざ立ち止まっているのだろう?
白いマフラーの女は、俺から見て向こうを向いて立っている。顔は見えない。
俺は気がついたらその女の方に向かって足を踏み出していた。
横目で先ほどの猫のいた路地を見てみると、またあの猫がこちらをみていた。
どちらの道に進むのが正解なのか。どちらも間違いなのか。
進んで見ればわかるだろう。