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12.2人の男(お題:オールバック)

「ちょっと、行ってきます」

相変わらずぼうっとしている中条を一瞥して、深見七恵(ふかみななえ)は部署を飛び出した。本人の中では別段急いでいるつもりはないのだが、すれ違った同僚に「廊下は走るなよ」と言われるくらいのスピードではあったらしい。

しかしそれも仕方のないことで、たった今署にとある人物の捜索願いが出されたという知らせが入り、それが例の2つの事件を調べていた雑誌記者の山中晋作(やまなかしんさく)だというのである。七恵が動き出さないわけがない。こちらが正式には事件として扱っていないことなので、この捜索願いは生活安全課の管轄であり、自分が家族に話を聞けるのはまだもう少し後だと判断した七恵は、先に山中の職場に聞き込みに行くことにした。

七恵が署を出ようとした時に、同じくらいの勢いで署に入ってくる人物がいた。
中肉中背、身長160センチメートルの自分より10センチ近く背の高い、くたびれたカーキのコートを着た男性である。よほど急いでいたのか、秋の強風も相まって髪の毛はオールバックのようになっている。

すれ違い様、お互いにそれぞれの勢いに一瞬スピードを緩め、軽く会釈をして通り過ぎた。七恵の直感でこの男には何かがあると感じたが、今回の事件のそれとはどこか違う違和感があったので、今は特別気にすることをせずに駐車場へ向かった。

車に乗り込んだ七恵は、真っ先に靴を履き替えた。現場を回るときは動きにくい革靴ではなく、底のしっかりとしたスニーカーに履き替える。
格好で市民の安全を守れるのならそうするが、七恵にとっては動きやすいことの方がよほど重要であった。

山中の職場である北岩出版社は車で5分ほどの近いところにあり、8階建てのビルの5階と6階の2フロアを占めている。地元紙のなかでも古株で、地元の作家の作品や歴史書などの硬派なものから、いわゆる大衆雑誌までを扱う出版社である。近年ではネットメディアも運営しており、山中はそこの報道担当として警察にも出入りしていたようである。中条は彼と付き合いが長いようで、流石に彼の失踪の知らせが届いた時には反応していたが、すぐにいつものように無関心な様子に戻ってしまった。中條がそんな調子であるから、山中に関してはほとんど情報を得られないまま、七恵は出版社にやってきてしまったのである。

「失礼します。中央警察署の深見と申します。こちらの社員である山中さんのことをお伺いしたいのですが」

もともとざわついていた職場に、違う意味でのざわつきが巻き起こる。七恵は不用意に全体に自体を知らせてしまったことを後悔しつつも、フロアに見える同僚たちの反応を観察していた。もし何か重要な手掛かりを知っている人がいたら、必ず他とは違う表情をしているはずである。

七恵が観察をしていると、責任者と思われる男が近づいてきた。

今どき珍しいピチッとしたオールバックで、出版社には似合わないピシッとしたスーツを決めた40代前半の男である。

「山中のいた報道部の部長の飯田です。ここでなくても良いですか?皆仕事がありますので、こちらへ」

応接室へと通された七恵は、古臭い革のソファに腰掛けた。

「山中は何か、事件に巻き込まれたのでしょうか?刑事さんがくるなんて」

「驚かせてすいません。まだ事件性があるかどうかはわかりません。ただ、気になることがありまして」

七恵は、山中が追っていた2つの事件に関して話を聞きたかったのである。

「あぁ、その件ですね。あれは、最初は事件性があるとのことでしたので取材をさせていたのですが、その後事件性なしになった時点で取材もやめるように指示をしたのですが、彼は勝手に取材を続けていたんです」

「どうして山中さんはその事件をそんなに調べていたのでしょうか?」

「さぁ、事件の関係者である女性の足取りを掴もうとしていたみたいですが、それ以上はなんとも。過去にはあまりないことでしたので、皆それとなく心配していましたが、そこまで気にはしていませんでしたね。今回のことと、何か関係があるのでしょうか?」

「すいません、それもわかりませんが、私にはどうしても無関係には思えなくて」

少しの間沈黙が流れる。暖房なのか冷房なのかわからないエアコンの音が聞こえる。

「山中さんは、失踪前にはどのような様子でしたか?」

「彼を最後に見たのは、職場の飲み会でした。彼はいつも幹事をやってくれていましたが、その時もやはり彼が仕切ってくれて、あの日は、3次会くらいまでは私も行きましたが、歳ですね。流石に最後まではいられませんでした。山中は最後4次会までは行ったらしく、次の日出勤してこなかった時にはよほど飲み過ぎたんだろうくらいにしか思っていませんでした。でも昼過ぎに彼の奥さんから職場に電話が来まして、旦那が帰ってこないと。それで我々も慌てて彼を探しました」

「最後に山中さんと一緒にいた方は?」

「うちの部署の長谷川というのが、最後タクシーに乗せたそうですが、家までついていくべきだったとひどく後悔していました。特別変わった様子はなかったそうですが…」

「今、その長谷川さんは?」

「取材に出ていますが、もしかしたら山中を探しているのかもしれません。今の若いのにはめずらしく、 人情味のあるやつですから」

飯田はどうやらそれなりに心労を負っているようである。

七恵たち警察の人間からすれば日々何件も捜索願いが届き、そのほとんどがちょっとした家出や勘違いで、事件性のあるものはほとんどないというのが当たり前になっているから、人一人が失踪したと聞いてもそれほど驚くことではないが、一般の人からしたら確かに、身近な誰かが失踪したと聞くとさぞかし驚き、不安になることなのだろう。

七恵は父の教えを思い出していた。

ーーいつでも、守るべき市民の気持ちを忘れるな

七恵は自分が聞きたいことを聞いているだけだったことをすぐさま反省した。

「心配ですよね。ご安心ください、私たちがきっと見つけます」

飯田の顔から不安は消えなかったが、少しばかり落ち着きを取り戻したようである。

ふと、飯田が思い出したように話した。

「そうだ、山中が調べていた事件。あれを部署は別ですが、同じように事件が収まったあとも調べているのがいました」

「どなたですか?」

「菊野という、山中と同期の男です。山中の捜索願いが出たと聞いてすぐにどこかへ行ってしまいましたが」

「ありがとうございます。また、お話しを伺いに来ます」

北岩出版社からほどないコインパーキングに駐車した車に戻った七恵は、改めて自分が何を調べ誰を追うべきかを考えていた。

佐藤郁江の遺族と、もう一つの事件で亡くなった小柴道夫の遺族。そのどちらからも有力な情報は得られなかった。二人の死を結びつけるくさびとなっている、未だにコンタクトの取れない寺島ゆきこ。それらの事件を調べていて失踪した山中と、その同僚の菊野という男。

そして、メッセージとして残された「白いマフラーの女」ーー

七恵には、今回の出来事には何かしらの「意図」が感じられた。それが誰によってなんのために作られたものなのか、どういった意図なのかはわからないが、そう直感していた。

ポケットから手帳を取り出し、北岩出版社の関係者のグループに「菊野」という名前を書き足し、七恵は車を走らせることにした。

とにかく今は、動いて情報を集めてみるしかない。
まだ考えるには早い。

もやもやした時にはとにかく動くことが大事という父の教えを、七恵は忠実に実行することにした。

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