2021.04.25 私の価値観まとめ
前回、書き終えた後にふと思いつきでなんとなく日付の後ろに一言付けてみた。特別深い意味はない。
今回も色々と書き終えた後で、見返して感じたことを一言足そうと思う。
大して見られているわけでもなくて、特別承認欲求が満たされるわけでもないのにこのnote投稿を地味に続けられているのは、元々何かについて考えることが好きだったからだと思う。
リアルな友人や職場の方と接するときは、お笑いキャラみたいな感じがずっとだ。そんなに深い話をすることは無いし、それをしたことがある人はとてもレアだと思う。
これを観ているであろうリアル友達のアナタは、私にとって大切で貴重な友人です。
誇って良いよ。ドヤ。
これを書いてる間にも思考が流れ星のように頭の中を行ったり来たりする。シャトルランが四方八方にある感じだ。
最近はこれやりたい!と思ったら即調べて実行するようにしている自分だが、なかなか引越しなどもあってフットワークが重くなっていた。
今年のGW休みは、そんな未完了を片付ける1週間になるかなぁ。でも新たな未完了もたくさん生まれそう。。
先日友人から頂いた知多ウイスキーを、ダブルのロックで飲みながら、部屋も常夜灯でイきり倒しながら書いている。もはやjazzとかかけたらちょっとバーみたいじゃない?今度やってみるか。
また未完了が増えた。
何のために生まれて、何をして生きるのか。
分からないままなんて、そんなのはいやだ。
急にどうした。
子供の頃に誰もが口ずさむようなあの歌は、たかが菓子パンヒーローの日常アニメのあの歌は、
コロナ禍で働く独身27歳会社員には、アンパンチよりも深く突き刺さるし、餡子ほどは甘くない。
厳密には直接の給与ダウンではないが、それに近い方針を聞いた時。
自分の心は正直非常に揺らいだ。
もちろん文句はない。この状況、英会話スクールという業界そのものが大変なことは重々理解しているし、実際自校の目標も達成できているわけではないので、そんなことを言える身分ではそもそもないし、本当に仕方ないと思っている。
それでも、引越したばかりで支出もいつも以上にかさむ中、転職をすぐに考えた。
すぐ行動派の私は、実際転職系のサイトにも登録した。
誰とでもうまく付き合えるという対人スキルや、ある程度英語が話せること、人前で話すことも初対面の人と話すことも抵抗がないこと、挑戦者マインドであること、一応英検1級持ってたり、TOEICだって965点という、上には上がいるがとりあえず日本人の中では数%の位置に入っていること。
でも所詮それだけだ。特別難しいことをしたことは無い。いまだに、お金の絡むトークにはやや苦手意識があるので、社会人経験としては弱い。
今のご時世で、そううまく採ってくれる企業があるとは限らないし、正直どんな求人があるのか、オファーがどれくらい来るのかを見たくて登録したというのが7割だ。
設定は年収の今よりUPという条件と、未経験可というもの、だったと思う。結果、少なからずオファーはあった。でもどれも全く興味を引くことが無かった。
そこでじゃあ、自分がこれまで生きてきて何を大切にしてきたのか。何を楽しいと感じて、何にお金なり時間なり、心なりのリソースを割いてきたのか、改めて考えるきっかけになった。
まずは幼稚園。とにかく女の子とウルトラマンが好きだった。別にとっかえひっかえ追いかけるとかではなくて、幼稚園の先生がきれいで好きでかまってほしくてなんかいろいろしてたのと、同級生の子もなんかめちゃくちゃ好きだったという記憶がある。むしろそれしかない。あとはめちゃくちゃ外で遊んでたので、この時から肌は黒かった。
ほんで小学生。まぁこの時も女の子が好きでした。2年生くらいからサッカーを好きになって、それからは完全に➀サッカー②女の子でした。これも別にとっかえひっかえというよりは、ずっと同じ子を好きだった、みたいな。一途でかわいいでしょ?さすが私である。でも思春期だから女子と話してるとなんか男子に煙たがられるみたいなのを変に意識してしまって、変に硬派な男を演じていた時期もあった。完全に黒歴史。職場に女性ばかりで笑わせまくっている今の私をぜひ見せてあげたい。
女の子の話は一旦置いておいて、この時からハマったらリソースを全部そこにぶち込むみたいな性格だった。大して強くない地元のチームですら補欠だったのに、本気でサッカー選手になりたいと思っていたのでめちゃくちゃ研究熱心だった。インターネットでボールの蹴り方を調べたり、プロ選手が行うルーティンを真似して試合の前日は塩味だけのパスタとバニラアイスを食べたり、キャプテン翼やウイニングイレブンをイメトレと称してずっとやってたり。お小遣いではサッカー雑誌買ってたな。思えば当時から勉強熱心だったのかもしれない。どう考えても努力のベクトル間違ってて、体力全然なかったから走り込みすべきだったんだけど。一生懸命でかわいいでしょ。さすが私である。
中学生は正直あまり学校でのいい思い出はないが、サッカーは変わらず続けていた。部活が週6、クラブが週4で、今思えばけっこうなスケジュールで過ごしてたと思う。まぁ完全にさせてくれてる親に感謝なんだけど。当時は一生懸命頑張るのがかっこ悪い、というような周囲の風潮みたいなものに流されて、元々下手くそなのに100%の力で頑張らない、というクソみたいなやつだったなぁ。とっても後悔している。もう一度戻れたら、全力で自分追い込むのになぁと、今でも月2-3回、サッカーをしている夢を見る。
中2の終わりから塾に入る。その前に行った夏期講習体験のところを除けば、唯一親のお金で通っていた塾だ。正直、ここで人生変えてもらったと思っている。年間いくら払っていたかはわからないが、めちゃくちゃ最高の投資だったと思うよ。今度きいてみようかな。とにかく先生が魅力的な人たちばかりだった。面白く、情熱的で、前向きで、とにかくカッコよかった。あと数学の先生がめちゃくちゃ可愛かった。就活の時に久々にお会いして、「10年ぶりだね。」と声をかけられたとき、やっぱりまだ可愛かったので正直ご飯に誘いたかった。。
余談はさておき。
当時めちゃくちゃマイナス思考だった少年スズキワタルは、この高校受験の時にそのマイナス思考を活かして成績を伸ばし、いつの間にかめちゃくちゃポジティブ野郎になっていた。今の自分のベースは、13年経った今でもここにあったと自信を持って言える。(これはまたどっかのタイミングで書きたいと思っている。)サッカーを頑張れなかった自分は、勉強は頑張ることができた。
自信になって、無事高校デビューを果たす。まぁ正直振り返ると、いたたたたと思うが、今の自分の方が私は好きなので。あれは蛹が蝶になったという風に捉えている。トランセル。
高校はとにかく友人と遊ぶことに全力だった。カラオケに毎週のように行っていた。弓道部だったが隣のソフトテニスに遊びにいったり、バレーめちゃくちゃ本気で練習したり、球技大会のサッカーでサッカー部の人に本気のスライディングかましたり。弓道部員が現役サッカー部員にスライディングするの、今振り返るとまじうける。しゃしゃんなよ。。大人しく弓引いてろよ。。それ見た周りが引いてるの気づけよ。。
当時は一応彼女がいた時期もあったが、友人といるのが楽しすぎてそっちとばかり遊んでいた。いやぁ、これも本当に申し訳なかったと思っている。
でもリソースを一か所にぶち込むのは変わってないんだよね。小学校ではサッカー、中学では勉強(途中から)、高校では友人。そういえばカラオケに行きすぎてたおかげで多少歌えるヤツ認定を受けて、文化祭でボーカルをするという、字面だけ見るとめちゃくちゃかっこいい経験をしている。あれ、気持ちよかったなぁ。未だに歌ったの覚えてるもん。2年の時が20 century boys / Acid Black Cherry, シミ/マキシマムザホルモンで、3年が確か4曲くらい。あれ。。B'zのギリギリchop、ホルモンの絶望ビリー、あとなんだっけか。。わぁ思い出したい何としてでも。。じぶんROCK?あとウーバーワールド的な雰囲気のバンドのやつだったとおもう。。うわぁこれ悲しい。ほんと悲しい。。
当時、めちゃくちゃマイナーな邦ロックバンドをひたすらモバゲーのサークル投稿で仕入れては聞いて覚えるということを繰り返していたおかげで、いまだにそれを覚えていて邦ロック好きな生徒様と話ができるのは完全に財産。当時好きだったtacicaとか久々に聞きたいな。
気が付いたらこの時点で3400文字近いし1時間以上経っている。。でも不思議と飽きなくて自分は楽しい。これ読む人のほとんどは途中で離脱してるだろうけどね。。
大学は完全に飲み会と笑いだったなぁ。高校の時も人を笑わせることにけっこう命かけてたけど。それが悪化した感じ。笑わせることこそが正義みたいな、割と人がそれによってどう感じるかとか何も気にせずに、常に目の前の人たちをどうやったら笑わせられるかだけ考えてた。。きれいに聞こえるけど、けっこう毒も言ってたと思うからヨクナイ、今でも反省している。
関西に行くからと舞い上がってたんだと思うなぁ。ホイッスル!という大好きなサッカー漫画で一番好きなシゲというキャラクターがいる。彼は京都だかの出身で、人をおちょくるのがうまくて、どこか大人びた中学生。これを中学生の時に読んでしまったがために、関西への憧れは尋常じゃなかった。
大学受験で始めは静大を志望していて、3年の4月時点ではEだったのに11月くらいだったかにA判定になって、当時の担任に神戸を勧められた時点でそういえばかなり舞い上がっていた。卒業式の日が合格発表で、一緒にずっと勉強していた友人が合格、その後の自分も合格。式中に結果を見た親から携帯に連絡があって、校長先生が話している間に周囲の友人とハイタッチしてたのは本当良い思い出。担任の先生にもガッツポーズで知らせた。
入学してからは周りの人が本当に皆関西弁で話すので、少しでも早く身に付けようと必死だった。でも1週間くらいで大体のイントネーションはコピー出来ていて、それ以降知り合った人ほぼ全員に「関西人だと思った」と本当に言われた。この辺は言語を学ぶだけある。さすが私である。
ほんでワーホリ行って、色々向こうでもあったけど今回は割愛。帰ってきてすぐ就活。早々と就職決めて今の会社。就職決まってからはひたすらTOEICと英検の勉強してたなぁ。とにかく周囲の中で自分が900超えてないのがコンプレックスだった。900が当たり前という環境にいたのは今思うと本当にありがたかった。やっぱり環境って大事。
どの層においても、自分の好きなことや周囲の人との関わりを大事にしていた。大学生の頃なんてバイト代ほとんどサークルの飲み会とか、後輩におごったりで消えてたと思う。ほとんどは言い過ぎか。
少しでもお金を大切に思っているのであれば、絶対そこに自分ならリソースを割いて学んだり増やそうとしていたりしたはず。でもそこに一切なかったということは、それよりも他のことに重きを置いていたということ。価値を感じていたということ。
ここ最近でこそ、より賢く生きたいとする過程でお金や投資についてYouTubeや本などで学んで、少なからず時間は割いてきた。それでも一番多くの時間を割いていた期間というのは本当に1か月半くらいだった。つまりその程度だったということ。ある程度の最適解を見つけたら、設定してあとは放置。これが自分とお金の関わり方。決して1番ではない。
お金よりももっと自分がこれまで大事にしていたものがあったと気づいて。ここまでしっかり言語化したのは初めてだけど。
今の仕事は確かにお金が少し下がってしまったけど、それが何だというんだろうか。たかが数万程度、爆買いを辞めたり、断捨離→メルカリで賄える。数万無くなったとて死にはせん。
英語学習を通じて人と関わって。自分が人より多少できることを、誰かの為に使って。大学に受かった、英検取れた、TOEICとれた、話せるようになって自分に対する自信がついた。何か成果があれば報告されて、お金を頂いているのはこちらなのに感謝もされて。日々の雑談も楽しくできて。今の情勢ではできないけど、時々一緒に飲んだりもして。
俺が大事にしていたことは全部ここにあるんじゃないの?
いずれ転職というのは来るかもしれない。でも今の時点ではここが自分の最適解。強みも活かせて感謝もされる。何より自分らしくいられる。転職が当たり前のこの時代に、新卒で5社程度しか受けていない自分がこんなにマッチする会社に一発で巡り合えたのは、むしろ奇跡なんじゃないかとすら思う。
では最後にあの言葉、いきますか。(ここまで読んだ人何人いるんだろう。。。)
さ す が 私 で あ る 。 ( ニ ン マ リ ド ヤ ァ ァ)
今日はよく眠れそうだ。
明日は6勤最後。フルコマで最高の仕事をしよう。明日というか、1時半やから今日やけど。
なんと上に戻りここまでで見直して一部修正して2時。
約2時間半かけ、そして約5,400文字。誰が読むねん…
何のために生まれて、何をして生きるのか。
分かりそうだったのに、またわからなくなったかも。。。
俺たちの戦いはこれからだ!(END)
ではまた!