大原航とは何者なのか…
こんばんわ
札幌市北区にてコミュニティスペースの運営をしている「わたる」です!
かつて自分を押し殺してしまった話。
【俺から僕に…】
2010年前後の出来事だった。
その時に付き合っていた人に振られたのか、仕事がうまくいかなかったのか。
今になってみると詳しく記憶にはない。
きっかけではなく結果だけを記憶している。
自分だからうまくいかない。
「俺が俺だからうまくいかないんだ!」
と謎な発想に行きついた。
「俺が俺じゃなくなればいい!あ!今日から俺は僕だ!」
その瞬間から一人称を20数年使っていた俺から僕に切り替えた。
少しでも別人を演じて、何者かに変わりたい。
変化、変身したい。
その願望を自ら行った。
仮面ライダーが好きな自分が抱いた、儚い変身願望である。
周りの方々には「急に僕ってどうしたの?」という違和感があったようだが数日で浸透した。
僕になったことで物腰がより柔らかくなったような気がする。
【ホイップさん】
それからのお話として次にイマジナリーフレンドについても語っておく。
昨年の世にも奇妙な物語で題材にもなった。
そしてカオスチャイルドというシュタインズ・ゲートの4年後の世界を描いている作品でも題材になっている。
イマジナリーフレンド(英: Imaginary friend)とは、「空想の友人」のことであり、心理学、精神医学における現象名の1つである。 学術的にはイマジナリーコンパニオン(IC)という名称が用いられる。
よくある幼少期にぬいぐるみ遊びするようなものである。
僕の場合は見えているときに腹話術のように会話するといったところから発展し、そのぬいぐるみがなくてもアドバイスをする。
空想上に呼び出し時折会話する。そのような存在。
ある種、自分自身との向き合いに活用したりしていた。
後押ししてくれる相談役
【わたるとまりえ】
まずはこの写真をご覧頂きたい。
なんとどちらも「わたる」本人である。
事の発端は2014年~の出来事である。
相席barのオープニングスタッフとしてアルバイトを始めた。
飲食店経験があること、早起きが苦手、人と話がしたい。といった理由から飲食店を選んだ。
新店なのでお客さんが少ない。集客としてティッシュ配りをしたり、キャッチをしたりすることが多かった。
ティッシュはもらってくれるがお店に行こうとなる人は少ない。
試行錯誤、他のキャッチの人とのコミュニケーション。
その中で知り合った、メイド喫茶のまりえちゃんである。何故かこの名前だけが気になっていた。まりえという語感に魅力を感じた。
人生初めてのキャッチ。いわゆる客引きは月日がたつごとに多少は上達していく。
北海道の秋…当初は暖かかったが徐々に寒くなる。
すすきので歩いている人が少なくなり、そもそも声をかける人が減る。
精度をあげようと声の掛け方だけでなく容姿、立ち振る舞いを変えてみた。
真冬なのにワイシャツ、ベストの寒そうな服装で震えながら同情してもらう作戦。あなたがお店に来てもらわないと僕は凍えて死にますよ。身体を張った客引きである。
この方法が意外とはまり、集客力があがった。
ただ、この方法も同情心を煽っていることもすぐにバレてしまう。
次に思いついた方法が薄着をエスカレートさせた。つまり薄着で目立たないならもっと目立ってしまえばいい!
この時点ですすきのの寒さと人の少なさで相当、心が病み始めていた。
どう目立つか、であるがその解答が女装だった。
素人の女装なのでクオリティが低かったがまたしてもこれが当たり!面白いもの見たさでどんどんきてくれる。
不思議の国のアリスのコスプレ女装をしていたからか「アリスちゃん」と呼ばれたりもしていた。
すすきのの街をこんな派手なコスプレをしてキャッチをしているのだから目立って当然である。
そして、どんどんスタイルが確立された結果がこれだ。
プリで盛っているがこのようなクオリティである。
そして、画像にまりまりと書いてある。このまりまりというのは僕が女装時に名乗っていた名前である。
「名前はなんていうの?」ときかれることも多く、「わたる」と答えるのも不自然極まりない。
なんせ「わたる」ではどうやっても男性の名前である。そこでとあるメイド喫茶の「まりえ」の名をそのまま使って「まりえ」と名乗ったのだ。
#まりえの名前に意味はない 。語感が気に入っただけ。
「俺が僕」になった時と同じように「僕がまりえ」になった。
何故、キャッチがうまくいかないのか。
それは、僕が僕であるからだ。と仮定して僕ではない別人を演じたらうまくいくのではないか。
そうして架空の人物、「遊佐麻里江」こと通称、「まりまり」が出来上がった。
挙句、ノリノリでテレビのインタビューに答える始末である。
タカアンドトシの「なんでなんでなんで」という番組で北海道がメインのコンビニ、セイコーマートについてコメントをした。
すっぴんで外出をしない女性の気持ちが痛いほどわかるようになった。
男性の姿だとうまくいかないのでは、という恐怖心から常に女装。自分は「わたる」ではなく「まりえ」でなくてはいけない。
日に日にメイクを上達し、髭を脱毛し、声を変え、エクステをつけ…どんどん女性になっていった。
自分は男ではなく、女性。まりえという人物の人生を歩むのだ。
道行く人にアピールし、チケットを手売りした。そして、まりまりとしてステージに上がり、歌を歌った。
「まりまり色に染まりませんか?今日はこれで決まりまり!まりまりこと遊佐まりえです!みんなで一緒に高ーまりまり!!」
といった自己紹介まで決めていた!!
「わたる」という存在は人々の中から消えていく。
自分のスタイル、特異な服装でいることで人が寄ってくる。この状態が人気があるのだと錯覚していた。
まりえこそが自分である。恐怖心が性別、人格を超越し、自分を見失った。
【そして、現在…】
今、思い返すと「まりえ」は空想上、理想の存在とはこんな人だったらいいなぁ…と思う人物だったのかもしれない。。。
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