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『名探偵コナン ハロウィンの花嫁』ネタバレ感想③―作品を彩った“仲間外れ達の行列”

興奮の熱量そのままに書き連ねている、『名探偵コナン ハロウィンの花嫁』のネタバレ感想、③。引き続き、ワンクッションもなしにどんどんネタバレ書いていくのでご注意ください。

また、今回は登場人物数人にフォーカスを絞って語っていくので、クソオタクのキモさ・痛さがこれまで以上にプンプンだと思います。そちらも注意してください。

 


シネマガジン内の大倉崇裕さんインタビューにもある通り、今作は群像劇的要素の強い作品だ。それは、登場人物の多さを意味する。

元々、コナンワールドには潤沢にキャラクターが存在する。毎年の映画において、「今年は誰が登場するんだろう!」というのを楽しみの1つにしている人も少なくないだろう。もちろん私もその1人だ。
(個人的に、『天空の難破船』や『ゼロの執行人』の小田切敏郎、『11人目のストライカー』の山村刑事みたいな登場の仕方が好きだ。脇役でもちゃんと自分の仕事を全うして、生きている感じがして)

今作でいえば、松本元管理官が登場したのがアツかった。ちゃんとコナンの世界に存在してくれていることが確認できて。ほかにも、佐藤高木の結婚式に参列する刑事たちの中に見覚えある顔が混じっていたり、渋谷の街頭モニターに仮面ヤイバーが映っていたりと小ネタ的客演が嬉しい。


それでは、今作のゲストとなる2人の女性キャラクターについて語っていきたいと思う。

まずは本作のメインゲストであるエレニカ・ラブレンチエワについて。

彼女に関して、どうしても言いたいことがある。

 

白石麻衣さんに、なりた~~~~~~~~い!!!!!

いや白石麻衣さん、役得すぎないかい!?真犯人の名差しセリフがあるかと思えば、コナンくんに抱きしめられるなんてさぁ!?いいなァ~~~~~私もそれ、やりたい。前世でどんな徳を積めば白石さんになれるのか。コレ、コナンくん推しの人みんな思ったでしょ。

まぁそんな欲望はさておき、エレニカ役が白石麻衣さんで本当に良かった。
コナン映画に限らず、俳優や女優さんのアフレコ演技って、ご本人の顔が浮かんでしまって集中できない時がある(ご本人ではなく、完全に私が悪いのだが)。エレニカも、最初こそ「これ白石麻衣なのか~」とよぎったが、途中から完全に白石麻衣さんだということは忘れ、気づけば世界に没頭していた。

これは物語自体の妙もあるし、エレニカが早めにバックグラウンドを明らかにしたことなどもあると思うが。

そしてエレニカが今作のキーパーソンである理由。それはやはりこのシーンだろう。
村中に取り押さえられたプラーミャを、拳銃で狙うエレニカ。復讐のために殺人を犯すことを、決死で止めるコナン。「お前に何がわかる!?」とエレニカは涙を流しながら、復讐を誓ってからの苦しさ・悲しさ・虚しさを感情的にぶつける。コナンは向けられた拳銃にそっと手を添え、彼女をやさしく抱きしめる。

いやこのシーンさ!?爆泣き必須やろ!!!!!
2回目見た時、「前も見たから大丈夫だろ……」と覚悟を決めていたのに同じように爆泣きしてしまった。お陰でセリフはうろ覚えだ。

ここからは私の解釈だけど、エレニカはナーダ・ウニチトージティのリーダーとして “弱いところ”を見せられなかった。後に続くみんなが不安になってしまうから。だから復讐を燃料に、自分の心を燃やして動き続けていた。
渋谷の地下貯水場でコナンと邂逅した時、「私の息子のようになってほしくない」と言った。エレニカはコナンに、亡き息子キリルを重ねたのだろう。コナンの幼児性は、大人を油断させる大きな武器だ。それは容疑者や犯人を油断させるだけでなく、エレニカのような「傷つきながらも強いふりをしなければならない大人」の心を絆していく効果があると思う。

そして幼児性の反面、コナンには全能性も備わっている。プラーミャの正体にいち早く気づき、刑事や多くの人々の命を救おうとするコナンの全能性により、エレニカは信頼して心を預けることが出来たのだろう。

エレニカとコナンを見て、アニメオリジナル初期の第25話『偽りの身代金誘拐事件』を思い出したのは私だけではないだろう。犯人の花井亜希子(CVはベルモットの小山茉美さん!)は、武居社長に会社を乗っ取られ、幼い弟も巻き込んで一家心中した社長の遺された娘だった。武居にガソリンをかけて殺害しようとする寸前、コナンが止めに入る。コナンは「復讐を果たしても、弟さんは喜ばないと思うよ」と彼女を説得。花井はコナンと亡き弟のマサヒトを重ね、泣きながら彼に抱きつく。

コナンは全能性と幼児性を併せ持っているからこそ、大人たちの心を揺さぶる。


エレニカの次に語りたいのは、今作の犯人、プラーミャことクリスティーヌ・リシャール

コナン劇場版といえば、犯人の魅力も大きな要素の1つだ。『14番目の標的』の沢木公平、『瞳の中の暗殺者』の風戸京介などが人気上位だろうが、クリスティーヌは彼らに匹敵するほどの強さと狂いっぷりを見せてくれた。(厳密な殺害人数は判明していないが、原作のハーデス・サバラや『世紀末の魔術師』の浦思青蘭といい勝負かもしれない)

この “最狂” 犯人が登場したことで、初期コナン劇場版にあったスリリングな雰囲気を味わうことが出来た。 

クリスティーヌの何がいいって、その計画性と残虐性、そして何より頭脳の瞬発力だ。

私は追い詰められてもギリギリまで逃げようともがき続けるタイプの犯人が大好きだ。(むろん、フィクションの上でだ!)
例えば『ジョジョの奇妙な冒険』の吉良吉影、『PSYCHO-PASS』の槙島聖護、『MIU404』の久住など。彼らは綿密に練られた計画で犯罪を積み重ねる。そして万が一捜査の手が及んだとしても、持ち前の頭脳の瞬発力を持って、それを交わそうとする。

だがここで重要なのは、視聴者は「最後に必ず正義は勝つ」と分かりきっている、ということだ。
メタ的読みをすると、吉良も槙島も久住もクリスティーヌも、最終的には主人公に負けることは直感で分かる。それでも、久住が咄嗟に橋に頭をぶつけて被害者を装ったり、クリスティーヌが髪に隠した手榴弾を投げたり(これ、いざという時は手を頭の後ろに持っていくよう指図されることを予測していた、ってことだもんね。エグいね)、頭脳をフル回転させて、いわば「悪あがき」ともいえる行動をするのが、とてつもなくカッコいいのだ。

クリスティーヌの場合、「殺し屋としての仕事」のほかに、「自分の正体を知る者の始末」も行っていた。
更にヘリポートで追い詰められた際は手榴弾で「1人でも多く道連れに」しようとする(実際は、ヘリに乗る隙を作るためだったかもしれないけど)。これまで華麗だった犯罪者が、獣のような本能剥き出して足掻く様が、カッコいいのだ。

では犯罪者がカッコいいと、何が良いのか。

それは、悪が強ければ強いほど、正義がそれを上回る強さを発揮するからだ。

クリスティーヌがあらゆる手段で逃げ、人を殺そうとする。コナンや降谷は何度もピンチに陥るが、彼女が繰り出す手の先を読んで上回ろうとする。正義と悪の応酬が簡単だと、ストーリーはつまらなくなってしまう。

敵がカッコよければカッコいいほど、それを倒すヒーローはもっとカッコいい。光と影。結局のところ、これに尽きるのだと思う。

そして、いくら強くてカッコいい犯罪者でも、正義は必ず勝つことを私たちは知っている。コナンや降谷が、必ずクリスティーヌを逮捕することを知っている。

 

今作でショックだったことが1つある。

それは、冒頭で松田刑事を殉職させた『揺れる警視庁』の爆弾犯(役名は「男」)が死亡することだ。

「新一なら誰も死なせたりしないから!絶対!!」(73巻「狙撃可能!」より)という蘭のセリフに表れているように、できるだけ多くの人の命を救おうとする。それは犯人の命も同様。

パッと思いつく限り、コナンが目の前で死なせてしまった犯人は宮野明美と浅井成実の2人。(笛本隆策もコナンが食い止められなかったと言うべきなのか悩むけど)
『緋色』でも、犯人殺害もやむなしという立場のFBIから見事に命を救った(「永遠の不在証明」のラスサビの歌詞、コナンの信念を表してるようでマジで良いよね)。

そして、高木刑事もこの信念を同じように抱いている。最近の本誌でも、犯人の持つナイフをガッツリ握って自殺を止めようとしたし。
『揺れる警視庁』でも、刑事が爆弾犯を射殺するのを間一髪で止めた。いわばこの爆弾犯、「死ぬところだったのを、高木刑事により救われた」存在なのだ。

そんな爆弾犯が、冒頭でいきなり爆死。原作キャラが映画(もといアニオリ)で死亡するのって、初なんじゃない?(誰かいたっけ。『探偵たちの鎮魂歌』の槍田郁美・茂木遥史もフェイクだったし)

登場人物の命を尊重する作品なだけあって、爆弾犯の死亡がかなりショックだった……。それだけクリスティーヌがヤバいやつだってことなんだろうけど。

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