記事に「#ネタバレ」タグがついています
記事の中で映画、ゲーム、漫画などのネタバレが含まれているかもしれません。気になるかたは注意してお読みください。

『名探偵コナン ハロウィンの花嫁』ネタバレ感想②―コナンと制作陣、溶け合った2色

『名探偵コナン ハロウィンの花嫁』、ネタバレどかどか満載の感想、その②。
クソオタクの駄文がツラツラ垂れ流されているのでご注意を。

 


ここまで文章化してみて、改めて今作が素晴らしいものだということに気づかされた。
と同時に、この動乱の時代に公開を敢行してくれた配給会社さん、そして今作完成に注力して下さった制作サイドの方々、キャストさん、その全員への感謝の気持ちでいっぱいになる。本当に本当にありがとうございます。


さて、現実とフィクションの肩がぶつからずにすれ違うことが出来たのは、「コナンワールドの確立」と「マンガっぽさの強調」が要因になっているであろうことは①で述べた。
ということは、当然その要因を創り出した意思が存在することは言うまでもない。

そう、原案・監督・脚本といった制作の方々の意思だ。

 

私はアニメや映画など作品を見ても「ほぇ~良かった~」とか「なんか微妙だった……」といったありあふれた感想を持つことしかできない、ただの一般人だ。構成や演出の技術的な批評や分析はできない。
だからこれから述べることは大的外れかもしれない。しかしそれでも、思ったことをあえて素直に、自由に書かせていただく。


まず感じたのは、脚本の大倉崇裕さんの「コナンワールドとの融和」だ。

大倉さんといえば、『から紅の恋歌』『紺青の拳』の2作品でも脚本を担当され、既に「コナンワールド」に何度も関わっている存在だ。
しかし、今作での大倉さんの関わり方は、前2作とは全く異なると個人的に感じた。

私が大倉さんを知ったのは『福家警部補』シリーズ(青山剛昌先生もシリーズのファンらしい)だった。
そもそも、私は刑事ドラマ大好き人間である。特に好きなのは『相棒』で、大学の卒論にも用いたぐらいだ。
そんな私の刑事ドラマ好きは、お昼に再放送していた『古畑任三郎』に端を発する。ご存じの通り、『刑事コロンボ』を踏襲した「倒叙ミステリー」で、最初から犯人が分かっているタイプのドラマだ。そのため、同じく倒叙ミステリーの『福家警部補』シリーズにハマったのは必然だった。

だからこそ、『から紅』で大倉さんが登板されることを知って、非常にテンションが上がったのを覚えている。
そんな『から紅』における「コナンワールド」と「大倉節」の初顔合わせは、非常に興味深いものだった。これは元々私が大倉さんの作風を知っていたからかもしれないが、とにかく「大倉節」が全開だったのである!
阿知波会長の洗車の話、かるた札を重ねると血痕が浮き上がる、などなど、随所に「大倉節」を感じながら、事件パートをしっかり軸に置き、平次と和葉・紅葉の「恋模様」も同時に描き上げる。
「コナンワールド」と「大倉節」の取り合わせは、まさに両者イーブンといった所感だった。例えるなら、どちらも楽しめてお得!カレーライスにラーメンがついてきた!といった感じか。

大倉さんにとって2作目の劇場版となる『紺青』では、両者のマッチングは更に異なる様相を見せた。
ミステリーはしっかり大倉節を炸裂させ、冒頭でいきなり事件発生。レオンの用いたトリックも、らしさ全開だった。
しかし、『紺青』では事件パートの謎は継続しつつも、途中からキッドと京極の対決、京極と園子の恋模様にフォーカスが移る。『から紅』に比べると、ミステリーはやや脇に据えられた印象だ。『紺青』を例えるなら、ステーキというメインディッシュに、デザートとしてパフェがつきます!という感じだろうか。

さて、そして今作。
冒頭でいきなり殺人事件が発生する・犯人のミスリード要員がいる・細かい仕草が犯人の正体判明に繋がる、と「大倉節」は随所に確かに感じられるが、『ハロウィンの花嫁』が前2作と大きく異なるのは、やはり「交錯」なんだろう。
まず、今作の「視点の多さ」に驚く。改めて後述するが、今作は群像劇的な要素の強い作品。主人公のコナンをはじめ、降谷・高木佐藤・警察学校組・エレニカ・探偵団といった、独自の視点を持ったキャラクターたちが豊富すぎるほど登場する。
そんな「コナンワールド」のキャラクターたちが「大倉節」の中を縦横無尽に動き回っているようで、見ていて本当に気持ちが良かった。
今作を例えるなら、マリアージュ。コナンと大倉さん両者が見事に「融和」したのだ。『から紅』『紺青』『ハロウィン』、どれも同じ脚本家なのに、その合わせ方が全く違うから、違った味わいが楽しめるのだと思う。


次に、監督の満仲勧さんのことを語りたいと思う。

満仲さんはほぼコナン初登板で、過去に『グランピング怪事件』(第961話)に絵コンテとして携わったことがあるようだ(グランピング怪事件、あの大和屋暁さんのコナン初登板作品なので何かと話題に上がる)。
勉強不足なもので満仲さんのことをあまりよく知らないため(『ハイキュー!!』はよく見ていたが、そうした視点で見てなかったので……)、『緋色』『紺青』監督の永岡智佳さんと比較してみようと思う。
もちろん私はお2人とも大好きなので、比較することで優劣をつけるわけではないことを分かってほしい。

『紺青』『緋色』の永岡智佳さんは、どちらかというと余白を楽しませるタイプの方なのかな~と思っていた。
キャラクターの表情とか仕草とか、意味ありげなシーンを散りばめ、「あれ?」と思わせて、2回目、3回目の視聴欲を促す。深くを説明しすぎず、見る者の解釈に委ねる。(例えば、『紺青』でキッドの変装を見破った蘭の描写とか、『緋色』でコナンは世良に正体を明かしたのか?とか、ラストで飛ばされたジャケットの意味とか)
永岡さんが描く展開はリアルタイムに近いスピード感で、だからこそコナンたちの会話や推理に生っぽい温度を感じられる。

対して今作の満仲さんは、群像劇的な作品である今作にピッタリな方だなという印象を受けた。
爆弾魔プラーミャを追う本筋。その核になるのはもちろんコナン。平行して捜査するのは、佐藤高木をはじめとする捜査一課の面々。別の方面からはエレニカたちナーダ・ウニチトージティ(名称合ってるかな)がプラーミャを追い、彼らと空間を隔てて降谷がいる。更に更にみんなと時間を隔てたところに警察学校組がいて。

平行・交錯・別地点・別の時間軸……。キャラクターが豊富なぶん相関図は複雑になったけど、見る側が胃もたれせずに消化できたのは、やはり満仲さんの手腕なのだと思う。そして相関図が複雑だからこそ、余白を埋めて埋めて、展開に繋げる……といった点が永岡さんとの大きな違いかなと。だからこそ生まれたスピード感が、映画への没入感に繋がったのかもしれない。


そしてそして、音楽の菅野祐悟さん!『PSYCHO-PASS』大好きマンなので、まず菅野さんの登板にビックリ!

メインテーマのオシャンティーすぎるアレンジは、原曲リスペクトを感じさせつつも確実に新風を吹かせていた。
私は映画館でメインテーマが流れた瞬間、まず1回目の涙を流すのが恒例になっている(勝手に涙が流れてしまう)。
今作も、例年同様大画面爆音にOPが流れた瞬間、涙腺ブワワッでした。
(音楽詳しくないから、楽器間違ってるかも……)サックスとバイオリン、ハープ(?)の音色が、「渋谷+ハロウィン」のポップで若者ナイズされた街並みに見事にマッチしていた。

そして絶対に触れないといけないのは、「キミがいれば」の再登場!シネマガジンで満仲さんが「アレが復活します」って言っていたのって、コレのことだよね!?
(「キミがいれば」に関しては、歌詞の内容と流れるタイミングについて、④で改めて述べようと思ってます)


さてさて、現実とフィクションが「交錯」ならば、コナンと制作陣、こちらはさながら「融和」とでも言うべきか。
作中に登場する2液混合式の爆弾の如く、ビビットな2色が溶け合った。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?