とんでもブスの私が容姿に執着する理由
ハロー
画面の向こうの顔の良かったり良くなかったりする皆さん、ご機嫌いかが。
いくら美が相対といえど、
わたしの顔はおそらくどの地域のどの時代でも美には属せないと思う、自他ともに認める妙ちきりんな顔をしているの。
妙ちきりんすぎて、整形も難しいしくらい。
(顔については詳しくは自己紹介の記事を、
整形しない理由についてはこっちの記事を読んでね。)
それでわたしは日々化け物として、早く人間になりたい…と泣き暮らしているわけ。
そんな悩みを匿名掲示板で吐き出すこともあったけど、匿名の同士から、
「たぶんわたしも似たような顔だな〜。でも、ブスでも楽しく生きてるよ〜」
「顔については幼稚園児の時点で諦めてたし、そこまで気にしてない」
などの、返事をいただくことは少なくなかった。
うらやましい。
そんな境地に行きたい。
朝から晩まで顔のことを考え、すれ違う誰も彼もが美しい。
誰の顔を見ても「わたしがこの人の顔だったらこんな服を着てこんなメイクをする…きっと楽しいだろうな〜」など思っている。
夢の中ですら顔のことを考えている。
わたしが幸せでないのは顔のせいじゃなくて心のせいなのでは?なぜ「まあどうでもいいか。」と思えないんだろう?
こんなに執着する根っこの部分に何があるのかネッチョリと推察して、いくつかの原因に思い当たりましたので、書きました。
おそろしく長いうえに、顔の話しかしてませんので注意。
***
幼少期、美人に育つと、わたしも家族も親戚も信じて疑わなかった。
小学生になりたての頃、母方の祖父母の家に遊びに行った。古いアルバムを見せてもらったら、ランドセルを背負ったわたしが写っていた。と、思ったら母だった。鏡を見ているくらい、わたしにそっくりである。
写真の中の6歳の母は、丸顔のサッパリした一重の少女だった。成長するにつれ目はクッキリとした二重になり鼻筋が通っていった。
そして女子校に通っていた彼女は、駅や帰り道で、他校の男の子にラブレターを渡される日々を送るようになるのである。
それはおばあちゃんの遺伝だわと祖母は笑った。彼女もパッチリとした平行二重で、肌は白くて鼻が高い。戦前の話であるが、嫁に行くまでは歌手をしていたらしい。たいそうな美人で、ファンがたくさんいて、道ですれ違っただけの男性が花束を手に追いかけてくるなんてことがあったそうだ。祖父もファンの1人だった。
祖父母は言った。
ほんとにあなたはお母さんの小さい頃にそっくり。生き写し。きっと美人になる。
同じ趣旨のことを他の親戚からもくりかえし言われていた。
わたしもそうなると信じて疑わなかった。
そして姉もカワイイのである。
姉は母には似ていないんだけども、別系統のカワイイである。子どもの頃からお目目くりくりで、学生時代は引っ込み思案な性格から表立ってモテはしなかったが、なんやかんや中学から彼氏は途切れなかった。
小学生の頃は、2人並んで歩いていると、
そっくり!双子?!とよく言われた。
顔のパーツは全然違うんだけど、血のなせる技か。
あと、わたしはキューティーハニーが好きだった。
どんな服でも着こなせてしまう、かっこよくてセクシーで、憧れ。あんなふうになりたかった。
はい。
美人の母の幼少時代の生き写しといわれ、
カワイイ姉ともそっくりといわれ、幼いわたしは自分のことを完璧にカワイイと疑わなかったし、キューティーハニーを目指してたので、かわいくあることを重要視しておりました。
じっさい普通の顔だったので、男の子にもそれなりにモテた。ワタリノは可愛いんだからもっとスカートとか履いたらいいのに、なんて好きな男子に言われてドキドキしてた。あのときだけ。儚いね。
そうはいっても、わたしは小学3年生くらいの時点で、不穏な未来を予感していた。
姉とも母とも違う、一重瞼。
母は3年生の時には二重になっていたという。母の生き写しにもかかわらず、いっこうに二重になる気配がない。
当時もうパソコンがうちにあったから、わたしは夜な夜な「自力 二重」で検索した。目頭にある忌々しいひだの名が「蒙古襞」であると学び、アイプチというものがあるらしいと知った。
少ないお小遣いで失敗したくないので、初期のアットコスメで二重ノリの口コミを一生懸命探した。当時は登録数も口コミも少なくてあまり情報は得られなかったが、一重メイクを紹介する個人サイトなどもあり、巡回して参考にした。
何を買ったか忘れてしまったが、こっそり買ったアイプチを寝る前につけてみて、二重にした。鏡を見たときの感想を強烈に覚えている。「思ってたのと違う」。
下手くそだったのもあるけど、二重にしてもそんなに可愛くないと思った。
それでも、1日100回、爪楊枝で理想の二重のラインをなぞるとそのうち二重になると読んでは布団の中でなぞり、細く切ったセロテープを毎晩貼って寝ると二重になると聞けば、ちゃんとやった。もはや呪詛の世界である。瞼は赤く腫れるばかりで二重にはならなかった。
家族の中で自分だけの、汚らしいブツブツ肌が毛孔性苔癬なこともネット検索で突き止め、ケラチナミンクリームをお小遣いで買ってせっせと塗った。
自分が稀代の外見ガチャ大外れを引いたかもしれないという恐怖をかき消すように、美容オタクの小学生になった。
しかし努力も虚しく、惨劇の第二次成長を迎えた。鼻の下が伸び、瞼はますます重くなり、苔癬は悪化。鼻は一向に高くならず、赤ちゃんのままフニャフニャ。頬骨が横に張り出すのにつられて小鼻は広がっていく。そうしてわたしは一族の誰も想像しなかったクレイジー・フェイスの道を独り歩きだしたのである。
もう面白い話もないので駆け足で。
高校時代…母と言い争いをしていたとき、「まったく、小さい頃は可愛かったのに、なんでこんなブスになっちゃったの?」と言われた。
その当時、クラスメイトから「あの顔に生まれたら自殺してる」等々の鋭い批評を受けていたが、その程度で親に泣きつくなんて情けないし、心配をかけまいとして、黙って毎日学校に通っていた。それがまさか親に言われると思っていなかったので、衝撃を受けた。とくに母は、美人のわりに容姿に頓着しないほうだったし、他人の見た目について悪様に言うのを嫌う人だった。でも、結局、本音はそう思ってるわけだ。そっか〜。
フェーズが変わったというか見える世界が変わったなという感があった。
(ただ、母がわたしに向かってブスと言ったのはこの一度きりである。)
成人式の写真を見た祖母は言った、
「ワタリノちゃんはいったい誰に似たんだろうね?こんなルックスの悪い人、ウチの家には誰もいないのに。これじゃ嫁の貰い手もないよ」
冒頭、きっと美人になるよと太鼓判を押したのと同一人物の言である。
このとき祖母はボケ始めていて、ありとあらゆる人に毒づいていたので仕方ない面もあるが、これは結構効いた。
二十歳のころ、アイプチとつけまを駆使して変身メイクと息巻いていた。いま写真を見返すとちっとも変身できてない。ボケかけの祖母もそらくらい見抜いただろう。
さて、わたしの中に渦巻くのは、まさしく、あの母の言葉。
「なんでこんなブスになっちゃったの?」
ききたいのはこっちだよ!!!
思春期に顔が崩壊していくのを眺めながら、そして今なお老いてますますアバンギャルドアートの道を突き進もうとする我が顔を見て、
一貫して、とぐろをまいている疑問である。
そしてこの「なんで?」は、
「本当のわたしはこんな顔じゃない」
というナルシズムと繋がっている。平行二重の遺伝子はどこにいったの?苔癬のない肌の遺伝子は?なんで発現しなかったの?なんでェ?
なんでこんなブスになっちゃったの?
まったく、どいつもこいつも、言うだけタダで、言いたいこと言いやがって、この顔で生きるのはあなたじゃなくて、私なんだわ。うるさいな、ほんと。交換してよ。やってみせてよ。どんなふうに生きる?お手本、見せてよ。
母にも、祖母にも、いままで私の顔について好き放題言った人たちに、そう言ってまわりたい。
だから、で繋がるかわからないが、
やっぱり私は整形したくないのである。
(いや、どのみち整形できないんだけど、整形できるとしても、したくない。)
今まで、顔に関して、私に味方なんか1人もいなかったのである。
顔を変えたら、母や祖母やその他の人々の発言が正しいと証明するみたいで、嫌なのである。
整形は、二度と消せない敗北の証を刻むことなのだ。
この顔で嫌いになってくる人間のことを私は嫌いだし、好感なんか持たれたくない…
つまり、醜い顔で世を憎みながら生きることがアイデンティティになってしまっているのだ。
世を憎むために、あえて醜い顔でいることに固執している可能性すらある。
「私か私であるために、私は醜くなければならない!」という状態。
あまりにも不健全だし、ドン詰まってる。
行く先は破滅だろう。
そんな気がするから、多分noteを始めた。
はたして、この執着を捨てて、生きていけるだろうか。まったく顔について考えない人生ってどんな感じなんだろうか、想像もつかない。清々しいんだろうか。特に変わらないのだろうか。しかし他に道はないと思うので、地道に探っていくこととする。
祖母と母と姉の話ばかりで父が出てこなかった。
父の遺伝子のせいでパンクロック・フェイスなのでは?と思われる方もいらっしゃるかもしれないが、父はごくごく普通の顔をしている。
若い頃は、滝藤賢一から色気を全部抜いて乾燥させたような顔をしていて、歳をとるにつれ大村崑に寄っていっている。お察しの通りメガネをかけている。
父方の親戚にも私のような顔立ちの人間はいない。
あー、美人に生まれたかった。
色んな服を着こなして、色んな髪型をしたかった。
モテなくていい、幸せじゃなくていいから、鏡を見て、よしキマってるなって、自分で思ってみたかったな!!!!
長いのに読んでくれてありがとう。
あなたの明日が素敵な1日になりますように。
またね。