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とんでもブスのlet's自己救済-おめかしの思い出

画面の向こうの顔の良かったりよくなかったりする皆さん、ご機嫌いかがですか。
わたしはワタリノ。とんでもないブス。
どんな顔をしているかは、自己紹介の記事を読んでね。

日頃、朝から晩まで顔について考えているんだけど、そういう人生はもうしんどすぎるから、結局、どうなりたいのか。
何が欲しいのか。
ネチネチ考えてみたの。

それでちょっと結論が出た。

今からでも美人になりたい、では不正確なのよね。

「お母さんのように美人に育ったね」
「お姉ちゃんとよく似た美人だね」

そんな言葉をかけられたかった、
美しく成長を遂げたかった、のです。
私が救済したいのは、今の自分ではなく、過去の、とりわけ10代の自分なのです。

過去を変えることは不可能なのに、そこに執着しているから、どこにも進めないのでは?

学校に私ほどのブスはおらず、家では美人の姉と母(そして並以上の顔の父)と顔を突き合わせて暮らしていて、
ネットのお悩み相談みたいなのも今ほど発達していなかったため、
わたしは自分の顔の悩みを誰にも打ち明けることなく、封印したまま三十路を超えました。

10代の嫌な思い出を吐き出していくことで、自己救済につながるのでは、考えつき、書き記していくことにします。

***

母と姉は、化粧をほとんどしない。
色付きの日焼け止めにパウダー、眉毛を適当に書いて、リップグロスだけ。
まつげパーマをしなくてもくるんと上向いた素敵なまつ毛を持っていた。
アイメイクをしない方が、目の美しさが際立った。

家族で出かけるとなると、彼女らは身支度を15分で終える。

私が、アイプチ、つけま、アイシャドウ、シェーディング、ハイライトと、できる限りの目の錯覚の力を応用して「化粧の濃い必死なブス」に変身し、目力強調のためのパッツン前髪と、えらと頬骨を隠す触角を拵えてケープで固める間、退屈そうにしていた。
「これは何に使うの?」なんて無邪気にメイクポーチを漁られるのが、たまらなく嫌だった。
姉は世のアイプチに興味津々で、わたしの瞼をじっと見てきたりした。
「すごい。本当に二重になってる。綺麗だねー」
一重のひとならわかってくれると思うが、これを完璧な褒め言葉として受け取るのは難しい。
姉は多分悪気はなかったと思う。自分に縁のない面白い道具を使ってるやつがこんな近くにいた、くらいのテンション。デリカシーに欠けるが、往々にして天然美人というのは、ブスに対してデリカシーが欠けるものである。

***

姉と私は身長はほぼ同じ。
姉は洋服が好きで、かなり甘めのアパレルブランドでバイトをしていた。少し値段は張るが物は良いし、社割だと安く買えるので、姉のクローゼットの中はそのブランドの服でいっぱい。上品なお嬢様っぽい雰囲気のブランドで、ふわふわモヘアのセーター、Aラインのツイードのジャンパースカート、スカラップの裾のプリーツスカートなんかをよく覚えている。
コートの後ろにさりげなくリボンをあしらってあったり、可愛いコンサバ。姉によく似合った。

彼女は着なくなった服をよく譲ってくれたが、わたしはそれを受け取っても、クローゼットの奥に隠してしまった。母親に見つかりたくないのである。姉に似合うような可愛い服は、全く似合わないから、着たくなかった。
私はバイト禁止の学校に通っており、お小遣いは化粧品に全投入していた。服はユニクロのセールで買ったものを何年も着回していた。
そんなに服に困っていてもなお、姉のお下がりは嫌だった。

母親はバブル世代より上の、戦後の世代の人である。20代の時のセーターを70すぎてまだ着ているくらいの物持ちの良さである。着こなせる本人もすごいが、物を大事にすることに命を賭けていて、おそろしいほど。
全然くたびれてない服を着ないで捨てるなんて決して許さなかった。
案の定、整理整頓が大好きな母は、私のクローゼットの奥にぐちゃっと溜まっている、姉からのお下がりを発見しては、怒り狂った。
なぜ着ないのか。流行にも遅れてないし、生地もしっかりしている。勿体無い。着なさい。
似合わないから、と言っても、無駄である。
その場で着せられる。鏡の前に立たされる。

パウダリーなピンクの細身のワンピースが一番ひどかった。
人間の服を着た、痩せた顔色の悪いブタが立っていた。
開いた襟ぐりからのぞくデコルテには毛孔性苔癬がびっしり。
イエベ秋の黄色くて黒い肌は、パステルカラーと魔の共演を果たし、病人然としている。
(当時はまだパーソナルカラーの概念が浸透してなかった。なんで姉の服はいつも私の顔色を悪くするんだろうと思っていた。)
ワンピースの綺麗なラインが、わたしの狂った輪郭を引き立てる。
身長は同じでも骨格は同じではない。
姉は華奢な、わかりやすい骨格ウェーブ。
わたしはゴツい骨格ストレート。
可愛い服を着ると、女装みたいになる。
母にいくらそういっても、全然とりあってもらえなかった。「似合ってる、大丈夫、まだまだ着られる」と繰り返すばかり。
年頃のくせに、瞼ばかりいじくり回して、何年も同じ服を着て、オシャレのひとつもしない、娘のことを案じていたのもあったと思う。

上にも書いたが、若者向けのわりにちょっとお高めのブランドだったし、上品なカタチなので、まあ着ていると、似合うかどうかは別として、「ちゃんとした服を着ている」という信号を発することはできる。

そんなわけで、年末年始に親戚に挨拶に行くとか、あらたまった場面で、しばしば、わたしは姉とお揃いの甘いコンサバワンピースを着せられる羽目になった。

姉も色違いの2着を社割でわざわざ買ったりしてくる。可愛いワンピースを着こなす、華奢で可愛い姉と並ぶのが辛かった。

服も多分私に着られて困っただろう。ごめんね。肩幅ががっしりしててちょうちん袖の可愛さがちっとも活きないよね。流行に沿ったスカート丈は、ちょうど私のふくらはぎが一番太く見えるね。お互いの良さを打ち消しあって、着てる間ずっと居心地が悪かった。

親戚のおじさんおばさんは、過去、お母さん似のワタリノちゃんはきっと美人になる!と太鼓判を押してくれた人たち。
私たちが登場すると、彼らの視線は姉に集まり、歓声が上がる。
「モデルさんみたいねぇ〜」
「お母さんとは違うタイプの美人」
「細いわぁ、ちゃんと食べてるの?」
いちいち覚えてないけど、そんな感じ。
私は横で、よくわからない笑みを浮かべて、ボンヤリとバカ面を下げて立っている。アイプチがちゃんとついてるか不安だ。
それが落ち着くと、私への挨拶。

元気そう
勉強がんばってるんだってね〜

なんだよそれ。もうちょい頑張れよ。

酔っ払ったジジイが「ワタリノちゃんは妹なのに、お姉ちゃんより脚が太い」「お姉ちゃんより顔が大きい」などと口を滑らして空気が凍りつくのも毎度のこと。
こういう機会は年に二、三度あるかないかだったと思うけど、体感100回くらいあった気がする。

こんなもんだと思ってたから、別に涙も出なかったが、いま思い返すと、すごく惨めだった。
めちゃくちゃつらかった。

わたしは愛されてないわけではなかった。
むしろ概ねよくしてもらっていたと思う。
ありがたい。
でも家族と一緒にいるだけでつく傷があったのは確かだ。

世のお母さん、物も大事だけど、
着たい服は、なるべく着せてあげてね。
好みじゃない服は着せないでね。

読んでくれてありがとう。
良い1日を。
またね。

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