ワクチン接種1回目・つらつら日記
辛くなるとなぜかNoteを書きたくなる。今日は久々の雨。
今日はコロナのワクチン接種の1回目。2週間前にネットで予約した。朝11時。ベルリンのVelodromというインドアの競技自転車用トラックがワクチン接種のための会場になっていた。
冷たいコンクリートと白いカードボードの壁に囲まれたワクチン接種の会場。マスク、消毒液、連なる簡易ブース。パンデミック系の映画に出てきそうな風景だった。体温チェックを済ませて会場に入る。一人ずつ、1.5m間隔で列にならぶ。
椅子がずらっと並んである。意外とスムーズで、5分おきくらいに次の椅子へと移動する。受付の簡易ブースがずらっと並んでいる。ボランティアのベストを着た、大学1年くらいの男の子が、ドイツ語でわたしに話しかける。
「ドイツ語、それとも英語がいい?」
わたしが、英語がいいと言うとニッコリ笑って英語で対応してくれた。くるくるっとした金髪の長い髪の毛、緑がかった灰色の目、つやっとした肌。美しく若い。「若い」そんなふうに思う自分も年をとったものだな。今日は何人の受付を行なったのかな。彼の青春はまだこれから。そんな彼の若さを羨ましく思った。
そんなことを考える間にも、書類を記入してくれたあと、次の椅子へとまた移った。そのあと、小さなブースに通された。軍服を来た人たちがワクチンをせっせといろんなブースに運んでいた。またベストを着たボランティアの学生がわたしの書類の写真をとりにやってきた。
「日本から来たんだ。僕、日本に行ってみたいんだよね。」
コロナが終わったらいけるといいね。大学では何を勉強しているかきいた。
「スポーツと歴史を勉強しているよ。先生になりたいんだ。」
そっか、先生なんていいね。わたしも、学校の先生のことはみんなよく覚えているよ。すてきな職業だと思う。
「なぜドイツにきたの?」
そう聞かれて、わたしは困った。なぜドイツに来たんだっけ。なんとなく、わたしはそう答えた。
医者らしき人がやってきて、注射をしてくれた。Halloと言ってから姿が見えなくなるまで30秒ほどだった。あっという間。
「ここではいろんな人に出会えておもしろいよ」
学生ボランティアの子がわたしに書類を渡しながらいった。
接種が終わると、待合室に通され15分ほど待つことを勧められた。
「お水はいりますか?」
コップに冷たいお水を入れて持ってきてくれた。みんなやさしい。ほんのり人の温かみで元気になった。
久しぶりに、知らない人と会話した。不思議な感じ。
家に帰ったら、仕事を再開。今日は新しい同僚がチームにジョインする。軽くチャットに、よろしく、みたいなあたりさわりのないことを書いておいた。
6時くらいに疲れてきたので、仕事を切り上げた。今日はルームメイトの卒業制作の発表会。家から歩いて徒歩4分の距離だったので、行ってみた。彼の専攻はファッション・デザイン。いかにもアーティストのような人たちが入り口に集まっていた。工学部を卒業したわたしには眩しいほどに華やかな世界で、わたしの地味なパジャマのような格好は逆に浮いたので、その場をさっさと撤退した。
帰り道、とつぜん体の空気が抜けた。
空気がシューと抜けていく感じ。胸のしたの奥の方。真空になったからだの中に、皮だけになったからだがCollapseする。真空パックみたいにペッチャンコ。寂しさのような、ひんやり冷たい何かが、すーっと体のまんなかを突き抜けていく感じにも似ている。
ふらふらっとなって、道のそばに腰をかける。ふー。なんか、疲れたな。
ひとりには慣れている。はず。なのに、最近とてつもなく寂しい。
こんなふうにきつくなったときに、ふと電話できる人が誰もいないという事実がもっと心にのしかかってくる。うっと、胃酸が逆流しそうになった。
物理的・時空間的に距離があると、心もちょっとずつ遠ざかってしまう。1年ぶりに日本からやってきた知り合いにあった先週末。「あれ。わたしたち、違う方向むいている。」そんな感覚に喪失感を抱いた。
わたしは、こんな離れた土地で一体何をしているのだろうか。
欧州では、アジア人は比較的マイノリティである。人種マイノリティであることがここまで潜在意識のレベルで労力を消費するとは。
白人(と呼んでしまうのも差別用語なのかわからんが)ばかりに囲まれた生活は初めてではないはずなのに、肌の色を意識してしまうのは皮肉にもこの私なのである。差別を受けているわけでもないけれど、違いを意識してしまうのは自分なのである。
小さい頃、アジア人であることが嫌だった。日本人、ではなく、アジア人。みんなからみたら、わたしは日本人でさえなく、アジア人だったから。白人になりたかった。背が高くなりたかった。男になりたかった。小さい頃のコンプレックス、なかなか頭から消えてくれないのである。でも、この「アジア人コンプレックス」はどこからきたのだろうか。劣等感を勝手にもっていたのは自分だった。そんな負の感情の行き所に困った幼いわたしは、だぶん「アジア人」っていう外部的要因のせいにしたかっただけなんだと思う。責任転嫁。
それを今でも引きずっている自分に反吐がでる。
ふー、なんとつまらない人間なんだ。
異国の土地でなかなか馴染めないことに惨めになるのも、いいかげん情けない。別に異国に対する母国と呼べるところはないのはわかってる。でも、なんだろう。今日はとりあえず寂しい。
意味がわからない文章になってしまった。でもちょっとスッキリした。
以上。