【毒親】真の毒親は、自分が毒親だったと認めてもなお、正しく後悔出来ない、という話。
先日、とある記事を読んでからずっとモヤモヤしていて、いや違う、かなり頭にきてしまっていて、一週間以上かけて色々気を逸らしたりもしたけれど、やっぱり収まらないので、書く。
個人攻撃やバトルをしたいわけではないので、その記事の引用はさすがにしないでおく。というか時間が経ちすぎて、そもそもどの記事だったか分からなくなってしまったのだけれど。けったくそ悪くてスキもしなかったし。
こんな感じの記事だった。
『私は子供たちにとって毒親でした(涙)。
でも私が毒親だったことで、子供がこういう素敵な性質を手に入れられてます。これは子供にとっても間違いなく強みになるし、人生がプラスになっていくはず!毒親育ちでもメリットはある、前向きに生きていこう☆』
(※私の「ムカついた」フィルター越しの記憶に基づく超意訳)
てめぇ分かった振りして何もわかってねぇなアホンダラァァァァ!!!
と書き殴りたくなったのを私は堪え、数日間気を逸らしたのち、「いやでも、こういう考え方をしている人がいるというただの事実であって、私がそれを善悪と判じる必要はない、そうだそうだ」と自分に言い聞かせて、先日この記事を書いた。
でも、そこから更に考えて、こう思った。
「そういう風に考えてるおめでたい毒親がいて、それは別に単なる事実だけれど、その思考を目にした私がハラワタ煮えくりかえってる、これも単なる事実だし、まぁ良いはずだよね」と。
そういう訳ですみません、見苦しいとは思いますが、私の怒りをちょっと書かせてください。これはこれで「感情の発露」の訓練なんです(我慢しきれなかった言い訳)。
確かにね。毒親育ちだからって、何も取柄がないわけじゃない。
毒親育ちの環境でも生き残った長所もあるし、毒親対処で学んだこともあるし、毒親という強敵と生まれてからずっと戦ってきたがために、同年齢の普通の人と比較したら、経験値が溜まった状態で年取ってると思うよ。
毒親育ちだからこその長所はある、前向きに生きよう、そこに異論はないけども。
毒親の立場のお前がいうな、なんですよ。
ちょっと不適切な例かもしれないけれど、例えば交通事故が起こったとする。加害者が完全に悪い、ほぼ100:0の事故で、被害者が片足を失ってしまったとする。
被害者の人生は大きく変わってしまったけれど、障害を持つ立場になったことで、それまでと違う見識を得たり、新たな出会いがあったりして、その人は今の自分を前向きにとらえて「事故に遭ったからこそ今の自分がある、悪いことばかりじゃなかった、良い面もあった」と語るとする。それはいい。物凄く立派だしえらいし、そうありたい。
でも加害者が「やー、事故起こしちゃったことあるんですよ。まぁ自分が不注意だったんですけど、相手は片足失っちゃって。でも今結構いい感じにやれてるみたいで、案外、事故のお陰な所あると思うんですよね。事故も悪いことばっかりじゃないんだなって、前向きに生きるのが大事ですよね!」
とか言ったら何が起こるか。
戦争に決まってんだろボケが!!!
誤解して欲しくないのだが、毒親になってしまった、子育てで子供に傷を負わせてしまって後悔している、そういう親御さんに「一生苦しめ」なんて言うつもりは全くない。特に、子供たちが大きくなってから自分が毒親育ちであることに気付いたというパターンで、よくよく振り返ってみたら子育てで無自覚に毒を与えてしまっていた、償いようもなくて苦しい。そんな方には、こういう話がある種の救いになるのかもしれない、とも思う。
私自身、今毒親になっていない保証はどこにもないし、自分の息子が小学校に上がるより前は確実に、毒の気がそこそこ以上ある親の挙動をしてしまっていた、と思っている。
でも、だからこそ。だからこそ、こういう思考を加害者として持つわけには、いかないのだ。
自分の母が毒親だと気付いた時、私は生まれて初めて母に明確に喧嘩を売った。母に「それは反抗だ」と勝手に断じられた”反抗”ならば思春期にいくらでもあったけれど、その時は違った。私自身が反抗する意思と感情を強く持ち、母に向かって「何故あの時にこういう事を言ったのか、こうしたのか」と大量に(それでも特に印象の強いことだけだけれども)問い質した。そして私の怒りに驚き、ひとまず謝ってくれた母に、「私は幼少期の体験のせいで今非常に苦しんでいて、生きづらさ解消のために過去の棚卸を行い、自我の再構築をする必要がある。協力して欲しい」と頼んだ。
つい数分前に謝ってくれたはずの母は、「そんなの嫌に決まってる」と、一瞬の迷いもなく、明確に拒否した。
そして、怒り始めた。拒絶したことを正当化するためだったのだろう。その怒りは瞬く間に「激昂」と呼べる熱量までエスカレートし、私は幼少期と同じ、離人症のような症状を発症して、一言も口がきけなくなったまま、母の怒りが通り過ぎるまで、自分の背後1.5mあたりにいる背後霊のような意識でぼんやり眺めていた。
もし、私が心の底から母を許せる可能性があったとしたら、あの時だった。
すまなかった、と私の肩を抱いて母が言ってくれた直後、私が勇気を出して母に助けを求めた、あの瞬間だった。私が母に、慰めて欲しいとか励まして欲しいとか、そういう精神的な助けを求めて口に出したのは、人生で初めてだった。
私は、母が私に謝れる人間だと知ることが出来て、嬉しかった。そして、母が私を愛してくれている可能性に、心から私を愛していたが故に子供時代の接し方を間違えただけだったという可能性に、賭けた。
だから頼んだのだ。過去に向き合い、私の今の苦しみや生きづらさを解消するための手助けをしてくれないか、と。
具体的にはカウンセリングに一緒に通おう、と。そういう場所は母の心理的抵抗が大きくて難しいようなら、時間はかかっても二人で似たようなことをやろう、と思った。
しかし母は拒否した。即答だった。
一時の感情からではない。その数日後にも数週間後にも、母が口にしたのは「お前に謝らされた、自分は人生を否定された」「自分は傷ついた」だけで、私を気遣ったり、私の傷を癒してくれようとする言葉は皆無だった。むしろ「私は悪くなかったのに、あの時ワタリに謝って欲しいと言われて応じたのは間違いだった、屈辱だった」と言いたそうなぐらいだった。そこまでは流石に言わなかったけれど。
結果的に言えば、私はそれらの母の発言のお陰で、母に愛されることを完全に諦めることが出来たし、過去の自分が愛されてなどいなかったのだと確認することも出来た。「本当は母は毒親じゃなかったのでは」「私が勝手に傷ついていただけで、母は悪くなかったのでは」という迷いを綺麗に無くすことが出来た。
でも、私はあの時、母に協力して欲しかった。
それまでピーナッツ状態の、極めて親密な親子関係だと信じていたし、母が長年言い続けてきた「世界で一番愛してる」を信じたかった。
過去は変えられなくても、今や未来の私の痛みを減らすために、母が一緒に努力してくれるのではないかと期待して、それを伝えた。
ある種の「償い」を要求したとも言える。だが、私が欲しかったのはきっと昔から一つだけで、それは「無条件に愛して欲しい」ということだった。
母がこの先、それをしてくれるなら、私は時間がかかっても、母をきっと許せた。母を再び愛することも、母と正常な親子の絆を築き直す努力も、きっとできた。
だから、思うのだ。
もしも私の息子が、私の育児のせいで傷を負っていて、成人してからそれに気付き、その傷を癒すために私の協力を求める日が来たならば。
なんとしてでも、出来ることはしてあげたい。過去の自分の過ちを無くせなくても、今の息子の苦しみを減らしたい。そう思うだろうし、そう思える自分でいたい、と。
それはその後息子に愛されたいとか、関係を良くしたい、悪くしたくないとかの効果を狙ってではない。ただひたすらに、自分が与えてしまった傷が1秒でも早く癒えるように、息子の苦しみが1グラムでも少なく済むように、という単純な願いからだ。
今の私を構成する要素の中で、「母の毒」によって作られた部分はかなり多い。その中には、私の今後の人生で有用な部分もあるだろう。
だが、それを加害者である母には「だから自分の子育ては間違っていなかった」とは思って欲しくない。実際には今の母はそう思って自分の育児を正当化しているだろうし、今後も正当化し続けるだろうけれど。
毒親とはそういうものだろうとも思う。「自分が正しいこと」が何よりも、子供の痛みよりも大切だから、毒を与え続けてしまうのだ。
だから、もしも。
自分が毒親だったと、終わってしまった育児に後悔を抱えている方がいたら、今からでもお子さんの心を、意思を、あなたの子供という肩書を離れたお子さん自身の「個」を、無条件に愛してあげて欲しい。
既に距離が遠く離れてしまっているならば、お子さんが望む距離を保ったままで、お子さんの幸せを願い、心の底から応援し続けてあげて欲しい。
そして万が一、お子さんから生きづらさ解消のための手助けを求められることがあったなら、可能な範囲で応じてあげて欲しい。ただただ、お子さんの未来が良くなることを願って。
私が母にして欲しかったのは、それだ。
私は母に、自分が負ってきた傷の存在を伝えた。その時の痛みや苦しみを伝えた。
私の痛みや苦しみが軽くなることを、母に願って欲しかった。そのために、母にプライドを捨てて欲しかった。
母は、それを出来なかった。母にとって重要なのは、傷を負った私ではなく、私に傷付けられた母自身のプライドだった。
母はきっと今この瞬間も、私に傷付けられた母自身を回復させるために、あらゆる正当化を図っているだろう。それが何処に行き着くのかは分からないし、知りたくもない。だが、そういう毒親本人による過去の正当化の一つのパターンが、冒頭で書いた「私の子供は毒親育ちのお陰で、こういう長所を手に入れた」のような思考なのだと思う。
私はその記事を読んで、「ああ、これを書いた人は本当に毒親だったのだな」と納得した。そして「育児中とは多少ベクトルが変わったかもしれないが、今もこれからも毒親なのだろうな」と、その記事を書いた人に対して思った。
その人も「私は毒親でした」と書いているからには、何らかのきっかけがあって、それに気付けたのだと思う。
私の母も、逆ギレのフェーズで「毒親」という単語を使った。私が毒親だと言った訳ではなかったのに、「知ってるよ、そういうのを今は『毒親』っていうんだよな!確かに私はそうだった、でもネットに毒されて親をそんな風に呼ぶなんて!!」と、確かそんな感じのことを怒鳴っていた。
でも、「毒親」という単語を知り、自分がそれに当てはまることに気付いてさえ、母は後悔など出来ていなかった。表面上は「後悔している、すまなかった」と言っていたけれど、その後悔は口にしてから数分で覆り、逆ギレできる程度の後悔だった。
何でも私の母を基準に語って終わりに出来るほど、単純な問題ではないことは分かっている。毒親にだって個はあるし、程度も千差万別だ。
だが、あえて言う。真の毒親は、正しく後悔することも出来ない。
逆に言えば、既に子育てが終わってしまっていたとしても、正しい後悔をしつくして、無償の愛を子供に対して向けられるようになっていれば、その親御さんは『元』毒親になれるし、「毒親だった」と過去形にすることが出来る。
それは毒親だった親御さん本人の、生きづらさ解消に必ず繋がる。お子さんとの関係改善が叶わなかったとしても、決して無駄にはならないはずだ。
自分が毒親だったことを開き直り、過去の育児の正当化をしていては、それからひたすらに遠ざかる。
愛着障害を持っている(としか思えない)母は、正しい自己愛を得ることも、他者愛を学ぶことも、他者からの愛に満足することも出来ないまま、きっと一生を終えるのだろう。
誰よりも愛されたい人のはずなのに。だからこそ、父は母を愛してくれていただろうに、それにすらロクに気付かないままで。
気の毒だとは思うけれど、私はもう母にエネルギーを割くつもりはない。
私自身を愛し、息子を愛する。それが出来るかどうか、間に合うかどうかのギリギリをもがいている以上、そちらが絶対に優先だ。
そんな母のような――毒の程度が軽くとも、紛れもなく「真の」と呼ばざるを得ない毒親のままで終わらないために。
毒親だった親御さん、そして昨日も子供への接し方を間違えてしまった私のような、育児中の「毒親候補」の親御さんには、正しい後悔をして欲しいと、自分も出来るだけ正しく後悔しつくそうと、そう思っている。