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【2通目】塀の中に来たのは最善だとはっきり言えます。

2025年1月6日

ことねさんへ

1月の献立メニュー表、24日昼のところに「スラッピージョー」と書いてあるのですが、これって何ですか?
聞いたこともないし、想像もできない。
豆系と予想。

私は今、判決を待ちの状態です。
書面で通達され、しかもそれがいつ来るかわからないので、この手紙がことねさんの元に届くころには有罪判決で受刑者になっている可能性もあります。

無罪になれる確率は、だいたいですが1500人に1人あるかないかってところです。
ここに至るまでに、多くの人があきらめざるを得なかったり、自殺してしまうような人もいる中で、今こうしてチャレンジできているのは、すごいことだなぁと最近になって思えるようになりました。

支えてくれる家族、親族、友人たちと、自分に、本当に感謝しています。

そんでまぁ、そんな状態な私なので、ドキドキの毎日を送っています。
私的にはこの「ドキドキ」ってのが、成長の証かなと思っています。

というのも、有罪・無罪はまさに天と地の差ですし、そんな決定がいつ来るかわからない、しかも1500分の1で無罪とか、普通は「ビクビク」して焦燥感MAXって感じになるはずです。

今までの私なら、絶対にそうなっていたし、なんなら見る世界を変えたら、いつでも「ビクビク」の世界に行けることも気づいています。
こわ。

だからこうして手紙を書いて、自分を整えているのです。
(追記しておくと、たぶんビクビクが悪くてドキドキがいいとかではなく、私にとってこの場面はビクビクして過ごすよりはドキドキの方が「良い気分」で過ごせているのです。本当はもっと余裕で何でも来いくらいになりたいですが、今はまだ難しかった。)

そんで、なんで今「ビクビク」ではなく「ドキドキ」になれているのかというと「塞翁が馬」という考え方を知ったからです。
大事な馬が逃げて「終わった」と知って嘆いている人に対して、あるオジジが言いました。
「この出来事がどうして不幸と言えようか」
すると、逃げたはずの馬がたくさんの馬を引き連れて戻ってきたのです。
という感じだった気がする。

要するに、今の状況や出来事が不幸かどうかは誰にも分らないということ。
不幸だと思ったことが幸せの始まりだったということ。

ただ気をつけたいのが、私みたいな左脳くんは「いや、たまたま馬が帰ってきただけやんけ、そんな甘い考えしてると成長しないぞ」と考えてしまうわけです。

そんな人たちに言いたい。
「で、そう考えた今のあなたは良い気分ですか?」と。

自分にとって良い気分になれる考えはどっちですか?
私はオジジの考え方の方がよい気分になれました。

ここでもう一つ、塞翁が馬の考えをさらに補強してくれるメッセージを紹介します。

「人生でいろんなトラブルが起こると苦しいですよね。
けれど、すごく重要で最善のことが起こっていると受け止めた途端に、間違いなく未来は変わります
こうなってほしいと思うこととは違うことが起こったとしても、その方が望む未来よりもさらにいい未来なんです。」

これはケルマデックさんという方が書かれた、「時空の超え方」という本の一文です。
たとえ逃げた馬が戻ってこなくたって、結局は最善なんですよ。
そこで落ち込み続けることもできるし、次に向かうこともできる。

人生にはいろんなことが起こる。
それを最善と受け入れるマインドを持つと、何が起こっても自分のパワーを高める材料になると思います。
だって、何が起こっても最善なんですもの。

パワーが高い状態と低い状態でいること、選べるならどっちを選びますか?私はパワーが高い状態がいいです。
ほんなら、人生いろいろあるけど、全てのことは最善と思った方が気分がよいですね。

あ、今のところ私が思う最善マインドは、ヘラヘラしたり、気持ちに蓋をするんじゃなくて、起こった出来事をかみしめて、それから
「へぇ、これがオレにとっての最善ってわけか。いいぜ、やってやんよ。」
って考えるのがしっくりきます。

ことねさんもありませんか?
今思うとあれが最善だったなと思うことが。
ほとんどの人が一度くらいはあると思います。

彼にフラれたおかげで今の主人と出会えたのとか、
寝坊してなかったら事故に巻き込まれて死んでいたとか、
転んだおかげで100円拾ったとか、
志望校に落ちたけど、そこで一生の友ができたとか。

私の場合も、大人になってから職場でウンコをもらしましたけど(ほんの少しですが)、
今ではみんなが一生笑ってくれるので、
やはりウンコをもらすことさえも最善なのです。

ちなみに上記のことで
ただフラれただけとか、
ただ転んだだけとか、
ただウンコもらしただけでいいことなんかないだろと思う人は、
その出来事から何を学び、何を考え、どうするのか。
それを思案するだけで知識、経験が増えるわけですから、人として深みが出ます。
よって、目に見えない形の最善になると思います。

私は今、塀の中にいますが、ここに来る前と今とでは
今の自分の方が圧倒的に好きです。

物質的には何も変わっていなくて(むしろ給料もないし犯罪者扱い)、
マインドだけが変わっている状態です。

それでもはっきり言えます。
私が塀の中に来たのは、最善だと。

まぁこう思えるようになるまでの道のりは、決して楽ではなかったですがね。
ここに来る前のマインドでそのまま人生を送っていると思うと、ぞっとします。

ケルマデックさんは、こうも言っておられます。
「人生の中で、不安や絶望に遭遇したときは、不要となった古い概念を手放すチャンスなのですよ。」
「ドン底の状態は、世界(自分)を変える大チャンスなのですよ」
と。

たしかに、世の中のいわゆる立派な人とか、マンガの主人公とか、だいたいドン底を経験してるイメージですよね。
親や子の死だったりとか、ホームレスだったりとか、不登校だったりとか、病気だったりとか。
マンガの主人公も、親がいないか、片親がもはや基本ですよね。
孫悟空もクリリンが爆発したから超サイヤ人になれたし。

私の場合は、私が変わるチャンスが塀の中にあったということ(塀の中ってドン底認定でいいですよね?)
私は家族が好きだから、ドン底体験が死別とか離婚とかでなくてよかったと今は思います。

すべてが最善だと思うと気分がいい。
マイナスパワーが入り込む余地がない。
だからいま私は、判決を「ビクビク」ではなく「ドキドキ」くらいで待てるのだと思います。
そりゃあ、無罪を目指している以上は無罪がいいですけど、まぁ起こることはすべて最善ですから、ね。

あとねぇ、こういうこと言いはじめると周りの人たちが
「どうした?」「おかしくなった?」「やめとけ」「ムリだ」「戻ってこい」
などと言ってくれると思います。
今までの私だったら「だよな」と言ってすぐ元通りの生活に戻ると思います。

そんなときは
「自分がどうなりたいか」
「どっちの自分が気分がいいか」
を基準にして考えるといいと思います。

引き寄せの考えって、すごく楽してるとか甘えてるように見えるかもだけど、本気でやってる身としてはかなり勇気がいるし、トレーニングも必要です。
でも私は望む人生を歩みたいから、引き寄せの法則を学んでいます。
人に言われて断念するより、そっちの方が気分がいいから。

わかってるけど、難しいんだよ!という人もいると思います。
私のお勉強ノートにこう書いてあります。

11/20
引き寄せができるかは置いといて、良い気分でいることはいいことなので、とにかく良い気分でいることにした」

このときは、引き寄せ難しい、できっこない、てか信じられない、でも頑張りたいみたいな、思考ぐちゃぐちゃの時期だったので、こんなことを書いたのだと思います。

私はこれでいいと思うし、むしろこれさえしっかりやれば、あとは引き寄せはテクニックでできると思っています。
逆を言うと、これができなければ引き寄せ(意図的に望むものを手に入れる)はできないとも思います(こんなこと言ってよかったかな)。
だからまぁ、気楽にやるのが一番だと思っています。

良い気分でいるためには…と一つ一つ考えて実践していくと、自然といろいろわかってきます。
仮に何もわからなかった、引き寄せもよくわからない、できないとなったとしても、常に良い気分で過ごす力が身についただけでも、メチャクチャいい人生になりそうですけどね。

でもね、その良い気分をジャマしてくる人たちがいますよね。
そんな人たちへの対策はズバリ、「自分が変わること」だと思います。
良い気分をジャマしてくる人が悪いのに、なんで自分が変わらないといけないんだって感じでしょうか・・・。

でも、その人に対してムカつくとかウザいとかズルいとか思ってるのは自分なわけで、なぜ自分がそう思うのか。
こうあるべきだとか、こうしなければならないとか、言わなくても察するべきとか。
そういう常識とか固定概念が自分にあればあるほど、そこから逸脱した人が気になるのだと思うのです。

挨拶はするべきだ、
後輩は先輩を敬うべきだ、
時間は厳守すべきだ、
学校には行くべきだ、
勉強しなければならない、
靴はそろえなければならない、とかとか…

そんな決まりは本来なくて、神様はなにも禁止なんかしてないんですよ。

ムカつく人に出会ったら、自分の観念を見直して、自分をさらに成長させるチャンスだと思います。
ちなみにそういう人から対策せずに逃げると、同じような人はどこにでもいるので、また違うところで同じようにムカつく出来事がやってくるはずです。

一つ一つつぶしていくのもいいですが、私が思うに、一気にひっくり返す裏技があるのではと思っています。

それはマジに自分を大切にするということです。
自分の全てを受容できたら、他人のことも良いところばかり見えるし、自分は自分、人は人と、たいていのことは受け入れられると思います。
今のところは想像でしかありませんが。

で、この常識とか固定概念とかを広げることを私もやっているのですが、最近それを助けてくれたのが、マンガ「花さか天使テンテンくん」です。

この世に生まれる前に、神様から一人一人に才能の種「サイダネ」が配られるのですが、ダメ天使テンテンくんのせいで、ヒデユキにはサイダネではなく梅干しの種が渡され、何をやってもダメな人間になってしまいました。
それがヒデユキ10歳の時に発覚し、ヒデユキに渡されるはずだったサイダネを探すために天の国からテンテンくんがやってきたという感じのギャグマンガです。

まずテンテンくんはチ○コ丸出しのハダカです。
(他の天使はふつうに服着てます)
すぐキレるし、殴るし、めんどくさがるしで、天の国いちのダメ天使なのです。

けど、今の私には、自分の気持ちに正直で、何者にも縛られない自由さがすごくまぶしく映りました。

そして私と同じように、作中でもテンテンくんに憧れる人が出てきます。
ヒデユキのクラスの委員長です。
この委員長は最強のサイダネを持っていて、勉強もスポーツもすべてできてしまって、とにかくマジメです。
それゆえ、人生に窮屈さも感じていたようです。
テンテンくんの自由さに憧れて弟子入りし、最終的にはハダカで登校してしまうオチなのですが、そのときの委員長は本当にいい顔をしています。

テンテンくんって悪さしてボコボコにされるけど、次のコマではタンコブとか消えてるんですよね。
ギャグマンガのそういうところいいですよね。
起きている現実を深刻にしない。軽やか。

私もテンテンくんのように、自分の気持ちに正直で、何者にも縛られず、自由に生きます。
テンテンくん(小栗かずまた先生)、ありがとう。

私が読んだ本で気になるものがあれば貸し出しますので、遠慮なく言ってください。
なんせ、塀の中で1000冊以上の本を読んでますから、共有したい本がたくさんあるのです。

枚数制限が来たので、今回はこのへんで。
次回はおすすめの本の続きとか、塀の中の年末年始について書こうかな。
※次の手紙が届くのは来週になると思う。

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