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ウルトラマンあんまり知らない私のシン・ウルトラマン感想(※ネタバレあり)

シン・ウルトラマンを見た余韻で気が狂いそうだったので感想を書くことで気を紛らわせていたら、公式から専用のハッシュタグが出てきたので乗っかっていきます

まず、タイトルにもありますが、私自身はウルトラマンをまともに見たことがありません。
子供の頃、記憶があるか無いかくらいの昔に、ウルトラマンティガ・ダイナ・ガイアのどれかの話を飛び飛びで見た覚えがあるとか、赤いウルトラマンの映画がなんか怖かったとか(調べたらゼアスでした)そんな程度です。
(子供の頃住んでいて場所ではウルトラマンが放送されておらず、ビデオの入手も困難でした)
初代ウルトラマンに関しては、常識レベルで有名なことや、何かの特集(必殺技集とか怪獣集とかだったような)で見た程度のことしか知らず、一部の有名なシーンや怪獣以外だと、変身するときは赤点滅を背景に右の拳を力強く突き出して迫ってくる(ぐんぐんカットというらしい)とか、マッハ何とかで空を飛ぶとか、必殺技はスペシウム光線・八つ裂き光輪・ウルトラ水流などがあるとか、最後はゼットンに敗れて死んでしまうとか、そのくらいの知識しかなく、何故彼らが人間を助けてくれるのか、どうして人間と一体化しているのかなどの詳しいストーリーは全く分かっていませんでした。

そんな私がシン・ウルトラマンを見た感想ですが、

一言で言って「最高」でした。

何なら鑑賞後に放心し、余韻を引きずり、リアルにまで影響が出た映画は久しぶりです。
劇場から出た後はアクションフィギュアと米津玄師のМ八七を購入し、帰宅後ぶっ倒れてそのまま寝込みました。
忘れてしまっていた子供の頃の記憶と初めてウルトラマンを見たときの感情が一気に蘇り、童心に帰って心からウルトラマンを応援し、楽しむことができた112分間でした。

「もし現代にウルトラマンが現れたらどうなるか」をリアルに考察した物語は、子供の頃の「もし本当に○○がいたら」という想像を現代を舞台にリアルに再現したようで、劇中の禍特対の人達と同じ気持ちでウルトラマンと接し、彼のことを知っていくような体験ができました。
また、初代ウルトラマンのストーリーを踏襲しつつ、1本の映画作品としてまとまるように改変・再構成された脚本は一本筋が通っており、全てに意味がある展開が一切の無駄無く詰め込まれているため、凄まじいスピード感と密度で展開が進んでいくにも関わらず分かりやすく(ウルトラマン初心者でもほぼ理解できました)、実際の上映時間が112分とは信じられない体感時間の物語を叩き込まれた感じでした。

圧倒的な情報量で畳みかけ一気に世界観に引き込まれる冒頭1分から始まり、登場する禍特対、難しい単語と怪獣の分析・考察・対策が飛び交う作戦会議、出現して暴れ始める怪獣といった流れでマッハでボルテージが上がっていき、
そして、空から飛来したウルトラマンが土煙の中立ち上がり、初めて姿を現したシーンでは何故か感極まって涙が出ました。
初代が放送された当時の音源と最新のCGが混ざった怪獣プロレスも不思議な感じで(記憶には全く無いんですが、スペシウム光線は"確かに"こういう音をしていた確信がありました)、CGもあえてリアルにしすぎないことで着ぐるみ感というか、当時の特撮独特の雰囲気を最新の技術で再現しようとしているような印象を受けました。
また、効果音やCGのアクション、ストーリーに仕込まれている小ネタなどからとてつもないウルトラマン愛を感じ、知識がある人が見たら全部分かるんだろうなあと思い、そこは知っている人が羨ましいなと思いました。

キャストも全員よかったです。特に主演の斎藤工さんとメフィラス役の山本耕史さんは突き抜けていて最高でした。
両者とも宇宙人の演技がうますぎでした。
姿形も人間で、特段人外じみた動きもしていないのに(序盤の本のページを高速ペラペラしていたウルトラマンは除く。頭がいいんだなぁと思いました)、何かが違う、人間ではない感じが出ていて素晴らしかったです。
ただ、両者とも「人間のはずなのに違和感がある」というのは同じなのに、役によってそれぞれ違和感の感じが違うというのは面白かったですね。
山本耕史さん(メフィラス)は常に笑顔で知性的で礼儀正しく、一見親しみやすそう(そしてうまい居酒屋を知っている)なのに、本心が全く分からない、人間ではない超越的な何かが人間のふりをしている感じでした。
それでも言動の端々から人間(文化)のことが好きなのは噓ではないということが分かるのはズルいですね。「大将!おあいそ!」じゃあないんですよね。「割り勘でいいか?」じゃあないんですよ。戸籍が無いからクレジットカードが作れなかったのかな?
対して斎藤工さん(ウルトラマン)は、こちらと目が合っていても視点が違うような、見透かされている、或いはもっと遠くを見ているような雰囲気が印象的でした。視座が違うといった印象を受けました。
客観的に見ると、どちらかと言えば不愛想な部類ですし表情の変化も少ないのですが、こちらは何故か親しみを持てる感じがしました。変わっているけどいいやつっていうのはああいう感じなんでしょうか。
恐らく人間のことを完全に理解した(つもり)の上位存在メフィラスと、人間のことが分からず理解しようと頑張っている対等な目線のウルトラマンで雰囲気が違うのかな、と思っていました。
それを演技で表現できるのもすごすぎですが。

そして最後、別次元に飛ばされるゼットンからウルトラマンが必死に抜け出そうとするシーン。
人類の未来のために命を使い切ってもいいと言ったウルトラマンが、それでも必死に生きようとするシーン。
心の中でウルトラマンを必死に応援している自分がいました。
ウルトラマンのことはほとんど知りません。これまでの人生でもあまりウルトラマンを見る機会はありませんでしたし、シン・ウルトラマンに関しては2時間以下という短い時間です。
それでもその短い時間の中で私は彼のことを確かに好きになっていて、彼の存在は序盤の正体不明の外星人から気の置けない少し変わった不思議な隣人に変わっていたのです。
徐々に吸い込まれていき、飛行の姿勢を崩し、事象の地平線に消えて行ってしまったとき、どうしようもない虚無感と喪失感がありました。大切な人を失ってしまった感覚がありました。
私はシン・エヴァンゲリオンを見た後の余韻を「文化祭のあと」に例えているのですが、シン・ウルトラマンは「葬式のあと」です。
神永の自己犠牲から始まった物語は、ウルトラマンの自己犠牲で終わりを迎えました。
ただ唯一、ゾーフィとのやり取りの中で、彼の人間に対する「分からない」という感情に対して「好き」という答えが与えられたことが救いだったと感じられ、ひどく寂しくなりました。
そして、神永が目を覚ましたことで「ウルトラマン」の物語が完全に幕を閉じる、最後の終わり方も寂しさを感じさせつつ美しい終わり方でした。
そのすぐ後、米津玄師さんの1テラケルビンのМ八七で情緒を破壊されることになりましたが。
エンドロールが終わり、劇場が明るくなってもしばらく立てませんでした。放心していたので。
隣を見ると、一緒に見に来ていた友人も放心していました。
劇場から出た後は、1日中シン・ウルトラマンの感想を話していました。
本当に素晴らしい映画だったと感じています。

個人的には今回のシン・ウルトラマンを通して、無表情に見えるウルトラマンの顔が、途中から徐々に表情が分かるようになったような気がして、もっとウルトラマンのことを知りたいと思えたことが一番良かったのではないかと思います。
そんなわけで、円谷イマジネーションに加入して、初代ウルトラマンを見ています。
そして、次はもっといい音響の劇場でシン・ウルトラマン2回目を見たいと思います。

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