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2021年12月 木曽路旅2

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 馬籠宿にたどり着き、まずは腹ごしらえ。っと、何だかガラス戸の中に明かりの灯っていない店が多いような……。月曜定休の店が多いのだろうか。と思いつつ、石畳の坂道をのぼっていく。観光地としても有名なために、点々としてはいますが、割と観光客も目に着きます。
 馬籠宿(まごめじゅく)。南から木曽路に入って、はじめての宿場町です。なかなかの斜面、その両脇に家屋が建ち並んでいます。この前後には、割となだらかな場所もあるのに、どうして斜面に宿場が誕生したのか不思議です。それはそうと、度々言及している島崎藤村生誕の地でもあり『夜明け前』の舞台の宿場でもあります。

 やっぱり温かいものが食べたい……。歩き通してきたおかげで身体は熱を帯びているけれど、指先はけっこう冷えています。というわけで、目に留まった蕎麦屋、なのに注文したのは「栗おこわ定食」。昔ながらの筒型のストーブに手を向けつつ、しばらくしてお盆が運ばれてきます。せいろの蓋を外せば、ほわほわとした湯気の中に、ごま塩をまぶした栗おこわが。味噌汁も嬉しい。もちろん美味しかったです。ただ、栗おこわだけで言えば、こないだの信州旅で食べた栗おこわ弁当にゃ少し及ばず。もっと栗の甘みと、餅米の粘りを感じたかったなぁ、と。個人的には、漬け物や煮物のやさしい味付けのほうが印象に残りました。ごちそうさまでした。

 さて、腹も満ちたし、今一度馬籠宿の入口へと戻ります。そうして今度こそジンバルカメラを構えます。防寒もばっちり。ここまで歩くことに関してはだいぶ堪能しました。加えて陽が傾く前に、ということであまりのんびりとした道行きはできません。そんなわけで、ここから次の宿場町までの8km弱、ただひたすら歩いた時に見える景色を動画に収めつつ、峠を越えて、次の宿場町まで。
( ↓ がその動画です。本当にずうっと歩くだけの切れ目のない淡々とした動画です。字幕も喋りもありません。せせらぎと、足音と、ときおりの熊鈴だけがBGMです。そういうのでいいんだよ、という方だけどうぞ。倍速でも割と楽しめると思います)

(撮影のあれこれ、を箇条書き)
・できるだけ没入感を持って見てもらいたいのに、影が映り込むとは。まぁでも、仕方ない。
・動画中、唐突に思える箇所がいくつもあるので、まだまだ改善が必要だなぁ、と。
・衣服の擦れる音をカットしたくて、前面マイクだけオンにしていたけれど、実際に歩いていたときに比べて静か過ぎるので、このへんは工夫が必要だなぁ(前後左右のうち、後のマイクだけオフにできりゃいいのに。いっそテープで塞ぐか)。
・というか一度手袋をつけたら着脱ができなくなるので、撮影中の温度調節は大変でした。
・何で歩きながらわざわざ動画を撮りたいと思うんだろ、と今さら考えてみたけれど、文章よりも動画のほうが、自分の道行きの面白さを伝えられるからだろうか、とぼんやり。じゃあ、(文章も含めて)なぜ旅の面白さを伝えたいと思うのだろ、と続けてみれば、昔から旅日記は書きたくて仕方がないという感じで。要は「こんな面白い旅をしてんだぞー!」という承認欲求だろうか。Twitterでも『つい旅』と称して旅の実況みたいなことしてるし。
 まぁでも、こういったブレも切れ目も少ない旅先での歩行動画があったら、自分はやっぱり見入ってしまう気がします。喋りも字幕もBGMもなく、ほんと、歩くだけの。自分がこういった動画を求めてるってのもあるし、旅のアルバム的な意味合いもあるんだろうか。
・外国ではこの道のりを、『Samurai Trail』と呼んでいるようで。

 長野への県境でもある馬籠峠を越え、しばらく道を下ったところでたどり着いた『一石栃立場茶屋(いちこくとちたてばちゃや)』。ここは木曽路を行く旅人のための、無料の休憩所です(古民家を活用している)。往時は、ここいらに白木の取り締まりを行う番所があったようで(今はどうか知らんですが、木曽の木々は勝手に持ち出しちゃならんのですよ。天領というやつですね)。
 で、動画の半ばでもあったように、立ち寄りました。囲炉裏のある間。先客の年配男性がお一人と、この茶屋の管理をされているおじいさんが一人。お茶をいただきつつ(何故からっきょも出てきた)、土間の椅子に腰掛けて、ぱちぱちと囲炉裏からの爆ぜる音を耳にしながら、身体を休めます。そうしてちょこちょこ会話に加わります。

 前はたまに熊が出たけれど、ここ2年、つまりコロナになってからは話を聞かないとのことで。まぁ、それだけ通行する人が少なくなったということか。
 コロナ前は外国人旅行者が多く(欧米の方が多いのだとか)、あまりの人数にここに立ち寄った日本人がそそくさと出て行くこともあったとか。
 なお、中津川から歩いてきましたという挨拶には、感嘆して下さいました。

 やがて先客は茶屋を立ちます。そうして、おじいさんと自分の二人。マスクやら距離を意識しつつ、言葉を交わします。学生さん? と問われたのは驚いた。見えるかなぁ。そうして一つ、面白い話を耳にしました。
 かつて馬籠宿は長野県だったが、平成の半ば馬籠を含む村の合併で、お隣の中津川市に編入され、現在は長野県の馬籠宿ではなくなり、岐阜県の馬籠宿になった。が、この越県合併は当時揉めに揉めたようで、その理由が「島崎藤村」その人にあったとのこと。
 自分は木曽路旅を思い立って、初めて『夜明け前』を読み始めたような藤村にはまったく明るくない人間だが、藤村が長野県の小諸(こもろ)に住んでいたこともあって「小諸の藤村」「千曲川の藤村」ひいては「長野県の藤村」なのであって、藤村の出生地でもあり小説の舞台でもある馬籠宿が、長野県でなくなるのは、何とも都合が悪い! とのことで。
 自分の死後、藤村さんもそんなことになるとは思わなかっただろうなぁ、と想像をしながら、話に耳を傾けておりました。しかし小説家が、一大観光資源のように扱われるとは。

 それはそうと話を聞きながら、すごいことに気づきました。この感覚久し振りだなぁ……と、何が久し振りなのかと胸の内を辿ってみて、それをそのままお伝えします。
「俺……旅先で、こうやって地元の方と話すの、ものすごく久し振りでしたわ」

 以前はよく、こうやって地元の方と会話を楽しんでおりました。夜なんか、決して観光客向きではない、地元の静かな酒場に繰り出しては地酒に舌鼓を打ちつつ、そこの大将やら女将さんやらと大いに話したもんです。歩くのも大好きだけれど、そうやって話すのが、本当に旅の醍醐味で。

「前はよく、旅先で人と話してたんですけど、コロナになって、そんなこともできなくなって」
 自分でもびっくりしてました。ずっと、この感覚から遠ざかっていたんだなぁ。何だかとっても嬉しいことを思い出しました。

 さて、お昼過ぎ。あまり長居はしていられません、無料の茶屋とはいえ、志を忘れちゃなりません。というわけで一石栃立場茶屋をあとにします。
「身体が熱くなっても脱がないでそのまま行ったほうがいいよ。風邪引くから」というアドバイスを受け、茶屋をあとにします。やっぱり旅は、こうでなくては。

 道を間違えたり、通行止めに出くわしたりしつつ、そうしてたどり着きましたるは、妻籠宿(つまごじゅく)。馬籠宿では割と新しい家屋なんかも目についたけれど、何だか妻籠のほうがとっても鄙びています(というか隣同士の宿場で字面が似ているからややこしい)。
 とっている宿は、宿場の奥の奥にある大吉さん。本当に馬籠の始まりから、妻籠の終わりまで歩き通しました。というわけで、御宿大吉さんの引き戸に手をかけたところで、撮影終了。そのまま「ごめんくださーい」と入っていきます。時刻は3時過ぎ。中津川駅から18km弱の道のり、標高差500m弱の上ったり下ったりをお疲れさまでした。

今回の道のり

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