一人称について
どうも。今日は雑記です。
さて、小説のこととは別に、ここんとこ考えていることがあります。それは表題の通り、一人称についてです。といっても、小説の視点のことではありません。
普段SNS等で、もっと言えば個人的な文章の中で使う一人称のことです。noteのコメント欄とかでのことです。
話し言葉の際に、もっぱら使う一人称は「俺」です。仕事だったら「私(わたくし)」でしょうか。「僕」や「自分」もときどき使うかな。まぁ、普段、自然と出てくるのは「俺」です。
しかし、noteでコメントを残す際には、この「俺」はほとんど使ったことがありません(やや感情っぽいコメントの際には、主語にしたことがあります)。
なぜか。
「俺」だろうが「おれ」だろうが「オレ」だろうが、どうにも少年漫画的な雰囲気が強すぎるからです。
口語で使う場合には違和感を覚えないのに、文字にした途端、際立った匂いがつくってのも面白い話です(とはいえ、旅日記なんかを綴っているときには、何の凹凸も感じることなく、使い倒してます、俺)。
じゃあ俺が駄目なら、その次に男性の間では市民権を得ているだろう「僕」でしょうか。
しかし「僕」なんて、日常じゃ滅多に使いません。口に出すと、おぼっちゃんみたいな響きがあります。あるいは、村上春樹さんの描く主人公みたいな脱力したお洒落な趣きがあります。やれやれ。どっちも渡辺の人格じゃありません。
でも文章にすると「俺」よりも「僕」のほうが、何だかしっくりきます(だから何度か使ったことはあります)。どうしてだろう。
言葉を耳でとらえるよりも、目でとらえたほうが落ち着いた印象になる(そうか?)。
↓
その落ち着いた印象が「僕」という主語の持つ静かな雰囲気にマッチする。
という感じでしょうか。うん、よくわかりません。
(しかし世の中で「僕」と話す人をあまり聞掛けない割には、「僕」が主語の文章にはよく出くわすので、「僕」は文章と相性がいいのでしょう)
とはいえ、普段使いをしていない「僕」で文を書いていると、どうにもこうにも違和感が背中を撫でます。何だか別人格を演じているようで……。
じゃあ「私」だろうか、と考えを転じてみるものの、私ってぱっと見「わたし」なのか「わたくし」なのか分からないし、第一、丁寧な場面で使う語というイメージが強いので、砕けたコメントを残す場合には、なかなか使いづらい。
ではでは、消去法で行き着く「自分」。
はい、最近はこの自分を多用していました。しかしそれでもやっぱり馴染めません。自分。万能型で使い勝手はいいんですが、漢字二文字で、若干堅苦しい字面なんですよね。
そもそも口語で「自分」を使うことはたまにあるけれど、その場面って大体が目上の人と話していたり、まぁ、肩にやや力が入っている状況が多いです。
というわけで、文語でのしっくりくる一人称って、何もありません。
(女性なら声でも文字でも「私(わたし)」を違和感なく使える方が多そうな気がしますが、どうでしょう)
(なお、一時期一人称として「渡辺は~」と連呼していたことがありましたが、なんか可笑しいのでやめました)
じゃあ、もういっそのこと一人称を省いちまうか。日本語って割と主語がなくてもいけること多いでしょ、と思いつくものの、どうしたって「自分」を示す言葉が必要なときは、避けようもなくあって。
なら、どうしよう。と、これを書いてて思い至ったのが、
そんときそんときで、文脈に沿って一人称を変えちまえばいいんだという、身も蓋もない結論です。はい。
ので、今後は「俺」も「僕」も「私」も「自分」も「渡辺」も主語省略すらも、適当適切に散りばめて使っていきます、という至極個人的な宣言でした。
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