2022年4月 浜通り旅2
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チケットの半券を見せ、伝承館に再入場をする。白い螺旋通路を上り、映像の多い黒いエリアを抜け、そうして明るいエリアへ。
このへんは除染作業や、拡散した放射性物質によって変化した日常や、食べ物のことが説明されている。もちろん風評被害についても。展示の文章を読んでいる最中に近くのモニターから音声が流れてきて、少し集中しづらいなとは思ったけれど、かなりわかりやすく説明がされている。展示方法も豊富で、特に飽きることもなく読み進めていくことができる。というか日曜ということもあって、団体さんも含め結構お客さんが増えてきた。
と、隣の部屋で語り部講話が催されるとのこと(午前中にも開かれていたが、一日中いる予定だったのでそのときはスルーしていた)。20席くらいあっただろうか。すぐに満員となり、福島第一原子力発電所のある大熊町に住んでいた男性のお話が始まる。凄まじい揺れ、津波、そうしてわけもわからず避難させられたこと、風呂に入れないことがとにかくつらかった、家に帰るのに許可がいる……。当然、たくさんの言いたいことがあるのだと思う。けれど、きちんとご自身の主張や感情を語るときには、必ず「私はそう思います」等と付け加えられていて、落ち着いて語られていたように感じました。原発の問題はややもすると政治的主張に繋がりがちだけれど、この方のお話は──というより、館内全体が事実にフォーカスを当てているように思いました。
次の部屋は特別展。大熊町にクローズアップした展示が並んでいる。目を引いたのは色褪せたテレビ映像。原発が建造されたあたりの頃の特集番組のようで、若い女性アナウンサーが住民の方々や原発の所員の方にインタビューする形で番組が進行している。インタビュー、とはあくまで形式で、あからさまにどちらも台本通り喋ってるなぁという感じで、「おーい、母さん、あの年の人口はどれくらいだっけ?」と、前掛け姿の奥さんが奥から登場して「あの年は○○人くらいですよ」と教え、「なるほど、では○○人、人口が増えたんですね」とインタビュアーが応じる、てな具合の掛けあいをしていて、何だか笑ってしまう。
で、この人口の話。今までの展示で見てきたように、原発が雇用を生み、人が増え、暮らしが豊かになり……という話に繋がっていく。とはいえ原発礼賛番組じゃなく、その安全性にも疑問を持ち、原発にも足を運んだりという構成だった(全25分ったので、すべて見てはいない)。最後はインタビュアーが「私もまだまだ原発について学んでいきたいと思います」みたいな締め方をしていた。本当、そういう時代だったんだなぁ……。
そうして最後のエリア。ここは未来を語る部屋。廃炉についてはもちろんのこと、これからの街造り、そして「福島イノベーションコースト構想」といったものが説明されている。今後はロボット技術やハイテク分野などの研究所が増え、福島を前に進めるチャレンジがなされていくとのこと。
そうそう。書き忘れていたが、タッチパネルの映像が多く、毎回毎回エンボス手袋でタッチするよう、モニターの近くには必ずエンボス手袋が置かれておりました。もちろんコロナ対策。
あとは上映時間の関係で、閲覧を飛ばしていた展示を見に戻る。県民の思いが語られているフロア。この伝承館は主に原子力災害に特化した内容ではあるし、実際福島県は津波よりも原発事故関連で語られることが多いように思うけれど、震災を過去のことに出来ない人はいるのだと思う。
ようやく出口へと向かう。大体夕方の4時頃。陽の光を取り入れた廊下。壁には大きな写真が何枚も並んでいる。
2011年と、ここ最近を比較した空撮写真。そうして震災の模様を納めた報道写真。主に人が被写体だった。何度かつらくて、体ごと目を背けて、息をこぼしました。どんなに悲しくて、怖かっただろうか。
一階に下り、外へ出る。「原子力豊かな社会とまちづくり」。双葉町の道路に跨がり、ゲートのように飾られていた看板標語。その模型が置かれている(この標語はいくつかバリエーションがあり、当時の小学生が考えたものもあったとのこと)。近くには津波で前部がくしゃくしゃになった消防用の車両も。
館内へ戻る。閉館まであと少し。震災関連の本を集めた図書室みたいなものある。最後にアンケートを書く。来て良かったです、と残しました。伝承館特製ウェットティッシュをいただく。「ありがとうございました」と、伝承館を出る。そうして西日を背にして、だだっ広い芝生広場の前を、海のほうへ歩いて行く。
堤防があって見ることはできないけれど、割と激しい波音がする。津波のことを意識した、というよりは、海の近くに来たのだから、海を目にしたい、という気持ちだったと思う。
が、思ったよりも遠い。歩きに歩いて堤防の上にのぼり、目を投げれば、また堤防が連なっている。その向こうで、白波が渦巻いている。うーむ。というかやっぱり風が強くて寒い。戻ろう戻ろう。そうやってご飯を食べたF-BICCへ。売店で何か今夜食べるお菓子でも、と相馬市のおせんべいをいくつか。そうして桃ジュース。あとは南相馬産の一味唐辛子(国産の唐辛子って珍しい気がする)。酒は今夜はよしとこう。
そうしてホテルへ。ホテルはすぐ近くの新しい、背の低い、何となく何となく、質より量といった感じのデザインのホテル(自分の印象では、工事関係者が長期で泊まるようなタイプのホテルでした)。
伝承館を一日かけて見回る予定だったので、ホテルの選択肢は近くのここしかありませんでした(双葉町の宿泊施設は今のところここだけ)。けれど、新しい施設ということで、少しわくわく。大浴場はないけれど、まぁ一日くらいは我慢することにします(ユニットバスて好きになれん……)。
さて部屋に荷物を整理したり、さっき買ったお菓子をバリボリしているうちに、夕飯の時間です。が、先述の通り観光客向きのホテルとはちょっと趣きが異なるようなので、何だか合宿所のようなご飯。バイキング形式だけれど、品数がそもそも少ない。煮込みハンバーグと豚汁等々てな感じで。味は悪くない。まぁ、たまにはこういうのも良かろうて。しかしノーマスクで館内をうろつく宿泊者が割といることに辟易。うーん。
夕飯後、そのまま外へ出る。まわりに光量が結構あるためか、星はさほど見えず。の代わり、ではないけれど、月が丸く、低く、おおきい。
部屋に戻りぼんやりとして、先程買った瓶の桃ジュースをぐびり。すっげぇ、素材の味。桃って、梅と仲間なんだなと感じられる(実際そうなのかは知らんが)。そうして苦手なユニットバスに浸かる。湯船に入ったまま体を洗うってなんやねん。やっぱ旅先では足を伸ばして、湯に浸かりたいものです。そんなこんなでおやすみなさいませ。
2日目
朝、5時半に起きる。むくむくとランニングウェアに着換え、双葉駅までとことこと走って行く。風は多少落ち着いている。そうしてあとは以下の通り。
今回は歩きません。走るだけです。早朝ジョグです。なるべく呼吸音をカットしたくて、色々と工夫はしましたが、結構入っちゃってますね……。
なお、最後のほうで迷走しているのは、予定していたルート(本当はこの先の漁港まで行く予定だった)が工事で通行止になっていて、じゃあ今通り過ぎた展望台の上で終えるかぁ、と思ったものの、朝9時以前は上れないよう入口にチェーンが張られていて、仕方がないからその場で途方に暮れて空を見上げた、という感じです。そうしてその後、お昼前に通ったとき、展望台の景色だけを撮影し付け加えました。いやはや。
(というか、ホテルの朝食時間が7:45までとかなり早めなので、ここで引き返しておいて良かったです)
というわけで部屋まで戻って、シャワーでさっぱりし、朝食。多分昨日の煮込みハンバーグが小さくカットされて、また提供されている。浪江焼きそばもあった。個人的には、たらこと柴漬けが嬉しかったです。
そうして部屋でしばしうとうと。朝、早すぎるんだって……。旅先なんだからもうすこしゆっくり寝てりゃあいいものを……。
が、今日も結構歩く予定なので、9時過ぎに宿を出ます。本日もひたすら歩きます。
海岸沿いを北へ行く。だだっ広い枯れ色の野原を貫く車道。左手、遠くに真新しい鳥居、そして神社が見える。遠くからそっと一礼。きっと、津波で流された神社が再建されたのだろうと思う。墓石のなくなった、墓地もあった。
早朝ジョグでも来た福島県復興祈念公園(整備中)の見晴台を経て、工事車両の多い車道を行く。少し脇道に逸れようとすると、工事中につき立入禁止。仕方なく太い道路を行き、「請戸小学校→」という看板を目にして右折。茶がかった草地と、等間隔に並ぶ電柱。たまに見かける工事の人。高台の上に連なる木の柵。このへんも公園になるのだろうか。
そうして先程の案内通り、請戸(うけど)小学校に着く。
海のすぐ近くの請戸小学校。津波が到来する前に、全生徒、全教員が近くの山に避難して全員無事だった。今年になって震災遺構として一般公開もされた。けれど、迷いはあったものの、写真を撮ることはしませんでした。
この旅を決めて、ずっと思っていたこと。決して物見遊山気分で、カメラを向けるのはやめようと。たとえ誰も犠牲者がいなかったとしても、今は変わり果ててしまったこの場所に戻ってきたいと思っている人は、きっとたくさんいる。そう思うと、まるで関係のない俺が、興味本位でその場の写真を撮るという行動は、何だか違うと思いました。
だから、静かに巡りました。津波が押し寄せた教室。廊下。厨房。体育館。下駄箱。二階は、津波の被害を比較的逃れていました。黒板にはおそらく生徒たちと、自衛隊の方々の寄せ書きが。2011年以前の町並みを再現した模型もありました。そうして至るところに、小さなフラッグが立っていて「○○さん家」「ここで落としたサイフを拾った」みたいなことが書かれています。
来ることができて、本当に良かったと感じた場所でした。あとおもての芝を刈っている小型の自動芝刈り機がかわいかったです。鉄骨が剥き出しになった壁の跡の前には、色とりどりのチューリップが、きれいに並んで、咲いていました。
(続→)
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