私の初裏アカには、SNSの原点が広がっていた。
最近私のスマホを使って何でもないような風景を撮る娘。
自分のスマホが欲しくてたまらない様子の娘に、スマホで何をしたいのか聞いてみた。
どうやらSNSに興味があるらしい。
娘曰く「お父さんとお母さんだけじゃなくて、いっぱいの人にお届けしたいことがある」とのこと。
「今スマホを持つことが難しいなら裏アカをつくってよ」と娘が言う。
「裏アカ」という存在を小学2年生が知っていることにドキッとする。でもまぁこれだけYouTubeを見ているのだ。きっと娘の方が今の世の中のことをたくさん知っているのだろう。
娘の「お届けしたいこと」に興味がある一方で、「SNS」や「裏アカ」というワードには抵抗感がある。
「なんでダメなの?」
そう聞かれた時に
「子どもにとって悪影響があるから」
なんて理由を簡単に並べることは、SNSを日常的に楽しむ私にとってその場しのぎの言い訳でしかない。
娘だってその理由のチグハグさに気づくだろう。
娘はSNSから情報を得たいわけではないらしい。
何かをお届けしたいのだ。
娘のお届けしたいものを見てみたい。
そんな好奇心が勝った。
いつも個人名で発信している私にとっても初「裏アカ」だ。
実はとても興味があったので、いい機会だ。
書いてはいけないこと、載せてはいけない写真などルールを簡単に説明したあとは、早速アカウント名を決める。
プロフィールも娘が考えて完成した。
それはゆっくり丁寧に文字を打つものだから、随分と時間がかかった。
続くは待ちに待った投稿だ。
私にやり方を聞きながら、1文字打っては「できた!」と喜んでいる。
短く、ひらがなの多い文を何度も読み返し確認する娘。
「多くの人が見るんだよね」
興奮気味に娘が言うので、
「みんな忙しいから『いいね』されないこともあるんだよ」
と返す。
「『いいね』なんて全然いいよ!」
と、投稿する画像を嬉々として選ぶ。
知らない誰かに自分の思いを届けるということは、こんなに楽しく興奮するものだっただろうか。
誰からも反応がなかったら、なんてことはどうでもいいのだろう。
そんな娘がお届けしたかった思いがこちらだ。
自分の投稿を「3人も見てくれた」と嬉しそうに見返す娘を見て、SNSは素敵なものだと思った。
私の初裏アカに広がるSNSの原点を、私も誰かにお届けしたくなった夏の夕方。