海ってすげえよな
人生初、合宿なるものに参加。
写真を撮るサークルだが、正直あまりこれといって写真を撮りまくる人というよりは、酒飲みの多いサークルなので期待していなかった。
だが、なのだが。
ロケーションがあまりにも美しすぎた。
静岡県伊豆と呼ばれる海に私は降り立ってしまったのだ。
旅行と言えば、関東から西へ行ったことがなく、私という人間の遠出はせいぜい横浜。
生まれて初めて脚を伸ばした静岡県は、冬というにはあまりにもあたたかく、春というにはそっけない冷たい風が吹いており、梅だとか、桜だとか、春を予感するつぼみを撫ぜるような気温だった。
などとくっさい言葉を並べてはいるが、何が言いたいかというと、純粋にポカポカでよい陽気でしたということである。
現地に到着したのはちょうど日が沈む頃で、私と友人NとKとで海へと走る。
写真を見ていただければよくわかると思うのだが、
あまりにも美しすぎる。ちなみに無加工。
Photoshopを使うことのない写真なんていままで私にあっただろうか。
恐らくないくらいにはPhotoshop芸人であるのだが、この写真ばかりは加工することがあまりにも苦しくなるほど美しすぎたのだ。
肉眼で見てもこれなのだ。
波によって削られたさらさらの砂浜が研磨されたように光っていて、夕日さえ鏡のようにこれほどまで美しく映す浜辺など生まれてから一度だって見たことがない。盛っているかもしれない。
この美しさに、NとKとひたすら奇声を高らかにしながら浜辺を走りまくり、撮りまくり、叫びまくった。
現地の人、大変失礼いたしました。
正直なところ、あまり乗り気ではなく、合宿に出向く準備の段階で憂鬱であったのだが、そのメランコリーな気持ちが全て吹っ飛んでいくほどには海がきれいだった。本当に。叫びながら、走りながら、撮りながら、たぶん泣いてた。
実際、夜は飲めないのに先輩たちの飲みに付き合わなければならない雰囲気で、毎夜三時程度まで起きてなければならず、あああああああ帰りたい。を心の中で悲痛に叫び続けていたが、それをも許す海。海の力。母なる海よ。
母なる海という言葉がよくわかる。
憤怒によって生きているような私でも、一度たりとも泣き言を言わず合宿を乗り越える勇気と、寛大な心のストックを増やしてくれる海。
これを母のあたたかさと思わずなんと言えよう。
私が胎児だったころ、母の腹の中のあたたかな水の中で、地球上の空気を吸うことを待っていた時代があったのは、間違いがないのだと深く理解してしまった。
海ってすげえよな。
しかし海の効果は長くは続かない。
合宿を終えた次の日からは、我が大学の成果報告展なる行事が朝から晩まで三日間待っていた。
実行委員的立ち位置の私は、この現状を受け止められず毎夜毎夜枕を濡らしながら伊豆の海を思い出しては、胎児のような恰好になって眠るのだ。
しかし、憧れているたくさんの先輩方の作品を見ることができるのは嬉しい。感覚が研ぎ澄まされるようで、触発されて創作意欲は沸きまくるし、気持ちばかりが高ぶって、どきどきして、はらはらして、しかし、体は追い付かず、体内でその混沌に大爆発が起きそうではある。
四肢が四方八方へ散り散りになる前に、せめて一日くらいぐっすり眠る日がほしい。
もっと言えば、海にまた行きたい。
海の近くの宿で、一週間過ごしたい。
ああ、海ってすげえよな。