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「不憫さ」を選びたいというぼやき

携帯の背面が見事に割れてしまった。

雨の日のうっかり手元を滑らせてしまった。そのまま、砂利道にほぼ水平状態を保ちながら、裏面を下に落下。あまり大きな音はしなかったのだけれど、持ち上げてみると無数のひび割れが入ってしまった。

だれに愚痴っても「それは携帯電話カバーをつけないからだ」とお説教されてしまう。しかし、こちらにも言い分がある。「だって、カバーつけたデザインって、イマイチじゃん」。しかし、だいたいの人たちに「でも、割れちゃったら、もともこもないでしょ」と言われる。ぎゃふん。でも、いつも目に触れるものは、1番気に入った状態で使用したい。

自分の趣味はなかなか周りの人々に納得してもらえないことが多かった。子どもの頃から、なんとなく好みが一般の人と少しだけズレている。しかし、すこしだけ的を外した嗜好性が好結果を生み出すこともある。

例えば、子どもの頃の「ごっこ遊び」。

幼少期には、やたらと「ウルトラマンごっこ」が流行った。5、6人で遊ぶ場合、誰がどのウルトラマンの役をやるが協議しなければならない。だいたい人気が高いのは、ゾフィ(隊長だしね)か、ウルトラセブン(名作だしね)。漏れなく人と嗜好がズレているぼくは、1番日陰と思われがちの「ウルトラマンエース」を第一指名とすることが多かった。

なぜだか再放送の回数が少なく、なんだか若干フォルムがずんぐりむっくりしているウルトラマンエースには人気が集まらない。しかし、ぼくは、ずっとウルトラマンエース一択だ。なんとなく、特筆すべき特徴のなさもチャームポイント。なんなら、主題歌も歌える。

この、ウルトラマンエース、初代ウルトラマンから数えて4番目のシリーズ。最初は、北斗くんと南ちゃんという2人の地球人が揃うと、ウルトラマンに変身できるという設定。最初のボスキャラは、四次元空間に住む「ヤプール」だった。幾何学模様のデザインが秀逸だった。

シリーズ5作目の最初からウルトラの父と母が登場する若干過保護な「ウルトラマンタロウ」と、ハードボイルド味を兼ね備えたシリーズ4作目「帰ってたウルトラマン」の間に位置する、一見地味な「エース」。ぼくがこのキャラクターを希望すると、ほかの子どもたちは「自分のオシキャラと被ってない」ことを喜ぶ。

被りがおおいキャラに関しては、こだわりすぎるとジャンケンにまけて怪獣には当たってしまう危険もある。それを考えると、戦略的判断とも言えなくもないが、子どもの頃、ぼくは真剣に「エース」がイチオシだったのだ。

背が小さい割に、技の数が多い。シリーズの雰囲気の変わり目と視聴率稼ぎのためか、やたらとピンチと絶体絶命が多いうえに、ほかの先輩ウルトラマンが助けに来るエピソードが多い。結局、あまり頼りにならないのである。

しかも、大人になってしったのだが、男女2人で変身するはずだった設定は、女子視聴者を引き込もうとという制作側の思惑だったのそうだ。しかし、全く的外れだったようで、途中から男子ひとりでの変身という従来の設定に戻っている。

いろいろ不憫なのだ。

不憫なヒーローにぼくはこころを惹かれたのだ。「不憫」と「ヒロイック」のアンビバレント。ほかのヒーローにはなかなかない風味だと思う。現在のメディアに、ウルトラセブンは出ることはあっても、なかなかウルトラマンエースは出てこない。

でも、その「エース」独特の不憫さを愛でたいと思っている。だから、ぼくは、ずっと「ウルトラマンエース」オシでいこうと、密かに決めているのだ。まぁ、それをつまびらかにする機会は、この年齢になると、さすがにないけれど。

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