舞台で『ぼっち・ざ・ろっく!』の世界の住人になれた話
『LIVE STAGE「ぼっち・ざ・ろっく!」2024 PARTII 秀華祭』を観劇しました。
今まで経験したことのない体験ができたので、とくに印象に残った部分についてまとめてみたいと思います。
(※ネタバレありまくりです。)
◯舞台に触れたきっかけ
内容について触れる前に、この舞台を観に行こうと思ったきっかけについて語っていきたいと思う。
ぼざろの舞台は今回が初めてではなく、昨年も上演されていた。
正直舞台化が決まったときにはそこまで興味を持っていなかった。
アニメが好きなオタクにとって、好きな作品の実写化や舞台化は諸手を挙げて喜べることではない。
二次元で表現されていたものが三次元になるとき、高確率でもとの作品の魅力が半減してしまう。
誰もが過去にそのような事例をたくさん見てきたことだろう。
良質な作品もたくさんあることは知っているが、それ以上に駄作の烙印を押されてしまっている作品も多く存在する。
そんな分の悪いギャンブルのようなものに、高いチケット代は出せない。
そういうわけで、ぼざろが大好きな自分でも今回ばかりはスルーだなぁ、と思っていた。
そんなことを思っていたときに、とある情報が入ってきた。
初日公演限定で、配信チケットが690円で販売されることになったのだ。
まあそれなら観てやってもいいか。
謎の上から目線で配信チケットを購入することにした。
そんな舐めた態度で見始めたのが、運の尽き。
結果的に、僕の中の下がり切ったハードルの遥か上空を超えていくクオリティの高さを見せつけられた。
アニメの中から飛び出して来たかのようなキャラクターたち、舞台という制限された空間を活かした表現や小道具の数々、そして何より生演奏による圧巻のライブシーン。
この舞台に完全に魅了されてしまい、後に発売したBlu-rayまで買う始末。
配信を観たときには経済的にもスケジュール的にも他の公演を観に行く余裕がなかったので、もし次があればなんとしても生でこの舞台が観たいと思っていた。
そして、この夏。
その願いが叶うこととなった。
◯大胆なオリジナリティ
今回はスタートから原作には存在しないシーンだった。
原作のある作品において、オリジナル要素というのは非常にデリケートなものである。
しかし、この舞台においては昨年の公演での信頼がある。
原作をしっかりとリスペクトした上で、壊すところはめちゃくちゃに壊す。
そういう認識があるからこそ、今回の秀華祭編では初っ端から好き放題できたのではないだろうか。
このバランス感覚こそが舞台ぼっちの評価が高い要因のひとつであると思う。
「最初から聴いたことない歌ですみません」というぼっちちゃんの台詞にそのバランス感覚が現れているなと感じた。
◯創意工夫から感じる強い意志
昨年の公演から引き続き、今回も驚かされる工夫をこらした演出が盛りだくさんだった。
ぼざろはアニメーションだからこそできる表現のオンパレードである。特にギャグシーンはその最たるもので、実写、ましてや舞台という制限が厳しい状況でそれらのシーンをそのまま再現するのは至難の業である。
しかし、この舞台は我々の予想を上回る創意工夫でほぼ全てのシーンを再現してくる。
個人的には、江ノ島でぼっちちゃんがトンビに襲われてヤ◯チャのような倒れ方をするシーンの再現の仕方に感心した。
あのシーンのためだけにあのセットを作ったのか……。
とにかくアニメに登場するシーンを限界まで忠実に表現しようという強い意志を感じた。
なかでもその意志が色濃く出ていたのが、メイド喫茶のシーンではないだろうか。
結束バンドメンバーがメイド服に着替えて、ぼっちちゃんのクラスの出店のメイド喫茶を手伝うシーン。
これを舞台で表現しようとするとひとつ問題がある。
着替えの時間である。
アニメなら場面を切り替えればキャラクターたちを簡単に着替えさせられるが、舞台ではそうはいかない。
ストーリーの根幹に関わるようなシーンではないので、物理的な問題でカットしてしまうという方法もあっただろう。
しかし、この舞台ではそんなことはしない。
原作にあるシーンは出来るだけ再現する。
しかも、このメイドのシーンはファンなら絶対に楽しみにしているシーンのひとつだと思う。
このシーンの着替え問題をどう解決したのか。
その答えは「尺を稼ぐための歌」だった。
いい感じに歌のシーンを挟んで尺を稼いだとかではなく、「尺を稼ぐための歌」という謎の曲で時間を稼いだのである。
この作品だからこそできるメタ的な表現。
ここに関してはもう工夫とかないんだ笑
それくらいのパワープレイをしてでも、喜多ちゃんたちにメイド服を着せるんだという強い意志を感じた。
◯構成からも感じる意志
原作のシーンを再現する強い意志はセリフの構成からも感じた。
印象的だったキャラクター同士の会話やセリフがところどころ、原作とは違う場面で取り入れられていた。
例えば、リョウの頭の中がカラカラで喜多ちゃんがショックを受けるというやりとり。原作では江ノ島に向かう電車の中での会話だったが、ファミレスでのシーンでこの会話が挟み込まれていた。
テンポ感の問題なのか、電車のシーンではカットされたこの会話。
本来ならカットするだけでも問題ないはずだが、やはり印象的なセリフややりとりは余すことなく取り入れたい。
そんな強い意志のもと、原作とは別のシーンに挟み込むという選択をとったのではないだろうか。
◯「観る」のではなく「参加する」
今回の公演を観て一番強く感じたのが、舞台上と客席の境界線がとても薄いということである。
キャラクターたちが客席に語りかけ、レスポンスを要求する。客席の後方からキャラクターが現れたりもする。
会場内の空間全体が作品の世界になっている。
そういった演出がたくさん施されていることで、物語を客観的に眺めるのではなく物語の世界の中で主観的に捉えているような感覚になる。
『ぼっち・ざ・ろっく!』の世界に没入するという体験ができたのだ。
◯圧倒的迫力のライブシーン
この作品の最大の見どころはなんと言ってもライブシーン。
今回は結束バンドだけでなく、SICK HACKのライブシーンもあった。
どちらも圧倒的なパフォーマンスだった。
座席がD列の中央ブロックやや下手よりだったこともあり、特に低音の響きを身体で感じることができた。
バスドラムとベースに身体が押されるような感覚だった。
個人的には、学生時代にベースを弾いていたことがあったので、きくりさんとリョウさんのベースに釘付けになってしまった。
◯キャラクターの存在感
昨年を公演を配信で観た時から、キャラクターの再現度の高さに驚かされていた。
そして、今回初めて生で観てよりその再現度、いや、実在感を強く感じた。
声、動き、表情、どれを取ってもアニメのキャラクターたちが動いているようにも感じる。
そんな実在感は本編中だけでなく、ミニライブやカーテンコールのときにも失われることはない。
おそらく台本にないやりとりの中でも常にキャラクターとしてその場にいるのだ。
たしかミニライブの曲と曲の間で様子がおかしくなったぼっちちゃんが急に「野菜の直売所で、多めにお金を入れます」みたいなことを言い出して、それに対して虹夏が「野菜も大喜びだね」と返したのが、本当に虹夏すぎて感動した……。
◯初めて観た舞台
舞台の観劇経験がほとんどなかったので、一体どんな感じなのか若干の不安もあったのだが、そんな気持ちを忘れてしまうくらい最高の体験をさせてもらった。
夏フェスに続き『ぼっち・ざ・ろっく!』という作品はいつも僕に新たな経験をさせてくれる。
本当にこの舞台を生で観ることが出来て良かった。
ここまでいろいろな感想を書いてきたが、最後にこれだけは言っておきたい。
生で見るリョウさん、美しすぎた……
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