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§6 請求権問題とは何か

1. 財産・請求権問題とは何か

 協定によって解決されたという財産・請求権問題とは何か、少し詳しく見てみましょう。大韓民国政府が1965年3月に刊行した『韓日会談白書』は、請求権とは何かについて次のように述べます。

イ、請求権の発生経緯
 日韓会談において論議されている財産請求権問題は第2次世界大戦が終結し、韓国が日本から解放され独立したことによって、韓国政府または個人が、日本政府または日本人に対して持つようになった各種の(主として民事上の)請求権をいうのである。
 その内容をあげれば、郵政省関係、日本大蔵省への寄託金の返還、韓国に主たる事務所を置いていた法人の在日財産の返還、韓国人所有の日本銀行券、その他有価証券の弁済請求、徴用者*の未収金、徴用者*の補償金などが含まれている。(外務省訳 『韓日会談白書』52頁)

注*「被徴用者」とすべきところ、原本が「徴用者」と誤植、

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大韓民国政府, "한일회답백서"(1965年3月20日)39頁

 サンフランシスコ平和条約の第14条などに規定されたクレイム(claim)は「請求権」と訳されていますが、次のように、国際法学者の小寺彰は「個人が国家に直接請求する権利はない」としています。

国際法上は国家の行為によって個人が受けた被害が当該加害国によって填補されることが想定されるが、個人の被害が単なるクレイムにとどまる限りはその賠償を請求できるのは国家に限られ、個人が国家に直接請求する権利はない。もちろん理論的には、発生したクレイムを加害国の国内法上の実体的な請求権に転化させることに国家が合意することは国家間の合意によって混合仲裁裁判所等を設置してクレイムをそのフォーラムにおける権利に転化させることと同様に、可能である。クレイムをどのように処理するかはもっぱら国家の権限だということである。

小寺彰「意見書」、藤田久一他編『戦争と個人の権利』(日本評論社、1999年)83-100頁、95頁
1994年に提訴された「オランダ人元捕虜・民間抑留者損害賠償請求事件」(2004年3月30日原告請求棄却の判決確定)の法務省の照会に対する意見書

 つまり、国際法上の請求権は、国内法上の実体的な請求権に転化させることに国家間で合意しない限り、国民の損害を相手国に請求できるのは国家だけだとしています。この前提では、日韓会談で国民個人の請求権が議論される場合も国家が国家に対して持っている請求権について議論していることになります。
 『韓日会談白書』が「各種の(主として民事上の)請求権」とするものは、第一次会談で8項目の「韓国の対日請求要綱案」として、1952年2月21日に提示されます。その後、内容が修正され、項目別に討議がされたのは 1960年の第5次会談以降です。そして、第6項が韓国国民個人が日本政府・国民に対して権利が行使できることの原則を要求するとの内容に、修正されています。最終的な8項目の対日請求要綱の概要は次のようなものです。

第1項 朝鮮銀行を通じて搬出された地金と地銀の返還請求。
第2項 日本政府の対朝鮮総督府債務の弁償請求。
(郵便貯金、振替貯金、為替貯金、日本人が韓国国内銀行から引き出した預貯金など)
第3項 1945年8月9日以後韓国から振替又は送金された金員の返還の請求。
第4項 1945年8月9日現在韓国に本社、本店又は主たる事務所があつた法人の在日財産の返還請求。
第5項 韓国法人又は韓国自然人の日本国又は日本国民に対する日本国債、公債、日本銀行券、被徴用韓人の未収金、補償金及びその他の請求権の弁済請求。
 1. 日本有価証券
 2. 日本系通貨
 3. 被徴用韓国人未収金
 4. 戦争による被徴用者の被害に対する補償
 5. 韓国人の対日本政府請求恩給関係その他
 6. 韓国人の対日本人又は法人請求
 7. その他
第6項韓国人(自然人及び法人)の日本政府又は日本人(自然人及び法人)に対する権利の行使に関する原則
第7項 前記諸財産又は請求権から生じた諸果実の返還請求。
第8項 前記の返還及び決済は協定成立後即時開始し、遅くとも6ヵ月以内の終了。

2. 請求権問題に含まれない賠償請求

 韓国の対日請求権の基礎は、次のようなサンフランシスコ平和条約の規定に求められます。

第二条
 (a) 日本国は、朝鮮の独立を承認して、済州島、巨文島及び欝陵島を含む朝鮮に対するすべての権利、権原及び請求権を放棄する
 (b)~(f) 〔省略〕

第四条
 (a)
 この条の(b)の規定を留保して、日本国及びその国民の財産で第二条に掲げる地域にあるもの並びに日本国及びその国民の請求権(債権を含む。)で現にこれらの地域の施政を行つている当局及びそこの住民(法人を含む。)に対するものの処理並びに日本国におけるこれらの当局及び住民の財産並びに日本国及びその国民に対するこれらの当局及び住民の請求権(債権を含む。)の処理は、日本国とこれらの当局との間の特別取極の主題とする。第二条に掲げる地域にある連合国又はその国民の財産は、まだ返還されていない限り、施政を行つている当局が現状で返還しなければならない。(国民という語は、この条約で用いるときはいつでも、法人を含む。)
 (b) 日本国は、第二条及び第三条に掲げる地域のいずれかにある合衆国軍政府により、又はその指令に従つて行われた日本国及びその国民の財産の処理の効力を承認する
 (c) 〔省略〕

 前掲の『韓日会談白書』は、請求権の性格について次のように述べます。

6. 請求権の性格
 サンフランシスコ平和条約第4条の対日請求権は、戦勝国の賠償請求権とは区別される。韓国は、不幸にもサンフランシスコ平和条約の調印当事国として参加することはできなかったし、従って平和条約第14条の規定による、戦勝国が享有する賠償〔損害および苦痛( Damage and Suffering )」に対する賠償請求権が認められなかったからである。
 よく請求権問題に関連して、「日本帝国主義の36年間の植民地的統治時代の代価」として論議する一部の意見は、このような日韓両国の請求権問題には、賠償請求を含めることができないという、根本的立場を認識し得ないところから生ずる概念の混同であるとみることができる。
 われわれが日本国に要求する請求権を、国際法に適用してみると、領土の分離分別からくる財政上および民事上の請求権の解決である。(外務省訳 『韓日会談白書』54-55頁)

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大韓民国政府, "한일회답백서"(1965年3月20日)40-41頁

 つまり、サンフランシスコ平和条約の調印当事国でない韓国は、サンフランシスコ平和条約第14条の「損害および苦痛」などに対する賠償を、対日請求権問題に含めることができなかったのです。
 もっとも、戦争ではなく、"奴隷状態"*、言い換えれば、不法な植民地支配に起因する賠償請求問題は議題になりえたと思われます。当初は、実際に植民地支配に起因する賠償請求も検討されましたが、それは日本の朝鮮併合の違法・合法の議論に繋がるので、韓国側は意図的に日韓会談に賠償請求問題は含まないことにしたと考えられます。

註*  朝鮮半島の日本からの分離独立の根拠は、1943年11月27日に発表されたカイロ宣言に遡ります。
 同宣言では「前記三大国〔米国・中国・英国〕は朝鮮の人民の奴隷状態に留意し軈て〔やがて〕朝鮮を自由且〔かつ〕独立のものたらしむるの決意を有す」とし、独立の名分を朝鮮人民の奴隷状態としています。
 日本が受諾した1945年7月26日ポツダム宣言第8項には『「カイロ」宣言の条項は履行せらるべく……』とあり、カイロ宣言の条項は履行されるべきものとされています。
 そして1951年9月8日のサンフランシスコ平和条約では、第6条(b)項で、ポツダム宣言第9項に関連して同宣言が履行されるべきものとし、第2条(a)項で「日本国は、朝鮮の独立を承認して、済州島、巨文島及び欝陵島を含む朝鮮に対するすべての権利、権原及び請求権を放棄する」と規定しています。つまり、カイロ宣言は条約ではありませんが、その内容はポツダム宣言を経てサンフランシスコ平和条約で追認されています。

 次に示す文書は、韓国駐日代表部公使・溶植の本国外務部長官宛の、1953年10月21日「韓日会談の第2次財産及び請求権分科会に関する報告の件(文書番号: 韓日代 第5599号)という文書です。日本の在韓資産に対する請求権と韓国の請求権を相殺そうさいしようとすることに反対する韓国側の発言に次のような箇所があります。

韓国の対日請求権は対日賠償請求的性質のものは含まれておらず純全な法的清算関係に局限したので、日本が最後まで相殺を主張するならば、韓国側は対日請求権において、再び新しい考慮をしなければならないだろう。
『季刊 戦争責任研究』第53号(2006年秋季号)71-72頁

原文
韓国의 対日請求権은 対日賠償請求権的性格것은 包含시키지 않고 純全한 法的清算関係에 局限하였으므로日本이 끝까지 相殺를 主張한다면 韓国側은 対日請求権에 있어서 다시 새로운 考慮를 하여야 할 것이다.
韓日會談 第二次 財産 및 請求權分科會議에 關한 報告의 件」(韓日代 第5599號)の原本画像9枚目(1393)

 サンフランシスコ平和条約第4条を基礎とした日韓会談での請求権問題には、条約調印当事国でない韓国が同条約第14条規定の「損害および苦痛」などに対する賠償請求を含めることができないという前提があり、また、植民地支配下における賠償請求的なものは会談の進捗のために意図的に含まず、民事的な清算関係に問題を限定したということになるでしょう。

 話しを少し遡ると、日本敗戦後、韓国では対日賠償要求調査が行われ、1949年に『対日賠償要求調書』全二巻がまとめられました。
 そこでは、必ずしも違法行為を原因としない補償にあたるのものも含めて「賠償要求」とされていました(「韓国の対日賠償要求」50-68頁)。また、日本政府に対する賠償請求だけでなく「日本人に対する韓国人の賠償請求」も含まれていました(「韓国の対日賠償要求」58頁, 54画像目)。
 1952年の第1次会談で韓国「韓日間財産および請求権協定要綱」を提出しましたが、1952年の資料では、「8項目」の第5項目の「補償」の部分は「慰藉料」になっています。

要綱第五項目 内訳
(一部省略)
一、太平洋戦争中의(の)*韓人戦没者弔慰金및(及び)遺族慰藉料
一、太平洋戦争中의(の)韓人傷病者慰藉料 및(及び)援護金
一、太平洋戦争中의(の)韓人被徴用者未収金
一、太平洋戦争中의(の)韓人被徴用者慰藉料
(以下省略)
韓日間請求権協定要綱韓国側提案の細目」4枚目

注* 原文は大韓民国駐日代表部の罫線紙に手書きされた韓国語ですが、その意味を示す日本語(括弧内)が横にメモ書きされています。1枚目に「昭 二七」(1952年)と記載されています。

 朝鮮の奴隷状態、あるいは不法な植民地支配を前提とし、その下で受けた「太平洋戦争中の」徴用などによる朝鮮人の戦争被害に対する「慰藉料」とされていた語が、植民地支配の違法を基礎としない「補償」という語に、その後、置き換えられたと考えられます
 韓国では、1961年5月16日に朴正煕がクーデターを起こして政権を掌握しました。1961年11月の池田隼人・朴正煕会談の結果、国家間の賠償的性格の請求権は含まないこと、「請求権については法的根拠があるものだけを支払うことに一致」、これは個人的請求権で「…戦時徴用者の未払い賃金などで、その徴用者の所遇は大体日本人並みに扱うことになった」(毎日新聞夕刊1961年11月14日)と報道されています。 

3. 「8項目の対日請求要綱」はどうなったか

 日韓請求権協定の「合意議事録(1)第2条(g)には次の次のように書かれています。

同条〔協定第2条〕1にいう完全かつ最終的に解決されたこととなる両国及びその国民の財産、権利及び利益並びに両国及びその国民の間の請求権に関する問題には、日韓会談において韓国側から提出された「韓国の対日請求要綱」(いわゆる八項目)の範囲に属するすべての請求が含まれており、したがつて、同対日請求要綱に関しては、いかなる主張もなしえないこととなることが確認された。
https://worldjpn.grips.ac.jp/documents/texts/JPKR/19650622.TFJ.html

(1) 日韓協定で「いかなる主張もなしえない」というときは、国が主張をなしえないという意味であって、外交保護権の放棄であることは既に述べました。(§2)
 つまり、8項目の「韓国の対日請求要綱」の範囲に属する財産・請求権について、協定署名後、韓国政府は日本政府に対して「いかなる主張もなしえない」ということになります。
 しかし、「韓国の対日請求要綱」の8項目の各項目の請求を日本国が認めたというのではありません
 「8項目」が協定に「含まれる」と「合意議事録(1)」第2条(g)にあるので、例えば第5項目の被徴用者への補償が協定に含まれているかのような意見があります。しかし、「合意議事録」では、韓国が国として日本国に対して被徴用者の補償をせよとの主張は、協定によってもはやできないとされているだけであって、協定によって被徴用者へなどへの補償が実現されたとは一切述べてはいません

(2) 日韓会談の中で、韓国側委員が被徴用者への補償についても要求し、それに対して日本側が死亡者・負傷者に対して補償の意思があったことなどをあげ、被徴用者への補償が協定に含まれていると主張されることがあります。
 確かに、日本の外務省は、植民地支配が合法との前提で日本の法令に従って韓国人の個人請求権に一つ一つ答えてゆこうという「債務履行」の方向性でした。一方、大蔵省は韓国側の請求項目を一つずつ否定するかたちで交渉すべきであると主張しました。そして、日韓の交渉が進展しない中で、1961年に請求権議論を棚上げにした「経済協力方式」が日本側で浮上しました。
 その直後に韓国で、朴正煕がクーデターで政権を掌握し日韓会談は妥協へと進むことになったのでした(吉澤文寿『日韓会談1965 ―戦後日韓関係の原点を検証するー』(高文研、2015年)102-106頁)。
 第 6次会談では、1962年10月20日と11月12日に太平正芳外相と金鍾泌韓国中央情報部長の会談が東京で行われました。その結果、いわゆる「大平・金メモ」によって、経済協力として無償3億ドル、長期低利借款2億ドル、民間信用供与1億ドル以上という合意がなされ、その後、当時は外遊中だった池田勇人首相の同意を得て「経済協力方式によって国家間の請求権問題が解決されることになったのです。

 条文の解釈に当たって、最終的な条文の決定に関してどのような議論や合意があったかということは重要と考えられます。しかし、長い年月をかけた日韓会談での輻輳した委員の議論の一部、とりわけ「経済協力方式」に転換する前の議論の一部をとりあげて、日韓協定の条文に直接解釈を施そうとするのは適切でないといえます。ただし、会談の中では明示的に含まないとされ、1961年11月の池田・朴会談で請求権に含まれないと確認された賠償請求は協定に含まれないと考えるべきでしょう。

 次に、協定の締結後、韓国ではどのような補償が行われたのか、民間請求権補償を中心に見てみましょう。

(次節へ続く)

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